第4話 破天荒!栗毛の大家さん
ここまで来るのに、大きな揺れどころか小さな揺れすら感じなかった。なので着いたことを知らされたときは少し疑ってしまった。それほどまでに快適すぎる馬車の旅であったのだ。
「では、私はこれで失礼するよ。彼らと関わり合うと色々面倒そうだからね。君を支援すると言ったが、面倒ごとまで請け負うつもりはないからね」
「ああ、元よりそのつもりだ。それよりここまで連れてきて貰えて助かった。ありがとう」
「だそうだ、レディ。小柄な君を抱えて家に帰ることすら苦労する貧弱な奴だが、私の友人をよろしく頼む」
「は、はい」
反射的に返事をしてしまった。
まずいと咄嗟に身構えたが、買い手は私にコートを被せ直して優しく抱える。
それから、私だけに聞こえる声量で「間に受けなくていいからね」と言いながら苦笑いするのであった。
「じゃあな」
短く友人に別れを告げると、馬車から降りた。
「ちょっと! あんたたち何者よ! ここは私の家なんだけど!!!」
下車後、すぐに耳をつんざいたのは女性の怒号であった。馬車はわざとらしいいななきを上げると、女性の声から逃げるようにどこかへ走り出した。その音に反応するように怒鳴っていた女性の視線がこちらへ移った。買い手は「あいつ……」と小声を漏らす。
「ユア! あんたどこ行ってたのよ! この人たちはなんなの! それにさっきの馬車はポルツィね、また怪しい事を企んでいるんでしょ!」
女性は黒服の男性の耳を引っ張りながら引きずるようにこちらへ向かってくる。カンカンにやかんが湯を沸かしているみたいだ。その後ろでは家から外へ。続々と家財道具が運び出されている。その様が巣穴から出てくるアリみたいで少し面白い。
「奥様痛いです。旦那様どうか止め──」
「はぁ! だれが奥様だって!?」
私が後ろへ目を向けている間に目の前は修羅場になっていた。
今にも握り込んだ拳をどこかへ放出しかねない。
そんな剣幕の女性を見かねた彼は私のことを地面に降ろしながらこう言った。
「アガベ。君の気持ちは分かるが。そこの彼も仕事を全うしているだけだ。離してあげ──」
ボコーン!!!
綺麗な鈍い音が響いた。
女性が買い手の頭を殴ったのだ。すぐさま私の視界から彼が消えた。彼は殴り飛ばされて向かい側の建物に追突したのだ。肌をなぞる風圧に体がピりついた。耳を引っ張られている男は口をあんぐりと開けている。私は思わずその男と目を合わせると自動的に顎が外れた。
「ごちゃごちゃ煩いわね! あんた子供サラって来てんじゃないわよ!!!!!!」
今日一番。
いや人生で一番大きな声であった。
自分の体からはとてもいい匂いがする。何か花の匂いだろうか。それにとても肌触りが良い服を着ているし、汗や汚れでべたつく感覚もない。
ただ、空いた口が塞がらない。
「うん。ばっちりね! あらやだ! 顎が外れているわね」
女性にカコンと顎の位置を直される。
今は家の中。一階は私室というよりロビーのような客室みたいだ。私はソファーに座らされている。
今まで座ってきた中で一番落ち着く感じがする。
高価なソファーが悪いとも、このソファーが安価だというつもりはない。
私はこのソファーの座り心地が一番好きだ。
それだけのこと。
彼がこの女性に吹き飛ばされた後。
私はあれよという間に家へ連れ込まれて、湯あみを促され、服を着させられてソファーに座らされたのだ。
ピンとしたシャツが少しくすぐったい。
「ごめんね急いで買ってきたんだけど、こんな服しかなくて。貴方、あのバカに酷いことはされてない? 言いにくいとは思うけど、もしそうなら私がキッチリと償わせるから!」
女性は私に目線を合わせるように姿勢を落とす。栗毛で穏やかな印象。買い手を殴り飛ばした女性と同じ人だとは思えないほどに優しそうな人である。
「あ、いえ、ごしゅじん様は私を、お買いになられただけで……」
「──そうなのね。ごめんなさい。貴方の口からそんなことを言わせるなんて」
いきなり、彼女が抱き着いてくる。柔らかい感触が腕、体、顔の順にやってくる。ふわりと香る甘い匂い。
「私はアガベ・ロードソンよ。ユーフォルビアに家を貸している大家さんね。名前教えてもらってもいいかしら」
「シャルルです」
「良い名前ね。ユアが考えたとは思えないわ」
会った二人ともが私の名前を彼が考えたものだと疑いはしなかった。
買われた奴隷の名前は一新して主人が名前を付けるのがきまりなのだろう。
私のことをシャルルと呼ぶことを決めていたならば、なぜ私に元の名前を聞いたのだろうか。
名前というものに価値を見出すことができない私には理解が出来ないことだ。
ノックの音と共に買い手が顔を見せた。当たり前かもしれないが、少々体を動かしづらそうにしている。レンガ造りに体が突っ込んでいたので怪我をしていないか心配である。買い手は私を確認するとこちらへ、にこりとしながら手を振る。
腕を上げると、そこが痛むのか顔が歪んだ。
「や、やぁアガベ。話したいことがあるんだけど、今いいかな?」
「ええ、聞きたいことが山ほどあるわ」
栗毛は私から離れる時に、私の背中をポンポンと軽く叩いた。
「シャルル。色々とアガベに話してくる。少し待っててね」
「はい」
二人は扉の向こうへ消えていった。緊張から解放され息が零れる。下を向くと黒い布地が見える。プリーツのついた上質な素材である。
つい数時間前までボロボロで薄い貫頭服を着ていたことに違和感を覚えるほどに着心地がいい。
それと同時にこの待遇の良さに恐怖も感じる。
なぜ買い手は私を選んだのだろう。
あの控室にいた彼女たちと自分は何が違うのだろうか。
ただ運が良かっただけなのか。
私は自分にあの桁違いの金額に似合う価値があるとはやはり思えない。
その理由が知りたいと傲慢にも思ってしまった。
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