第2話 作戦本番とまだプロローグ
放課後の遅番……。
全部活動の終了時刻の十七時まで、俺は暇つぶしをする必要がある。そのために幽霊部員を辞めて、ゾンビ部員として久しぶりに部室へ顔を出した。
――文芸部。部活動規定にある五名の最低定員を満たすため、俺が所属する部活動。担任の小野寺が顧問であり、帰宅部志望だった俺が小野寺に頼まれて形だけ入部している。
部室には先輩が居た。
「あら。珍しいこともあるのね」
やや垂れ目がちな目を伏せて机に向かっていたところを、やおらに顔を上げて俺を見る。切れ長で、眠そうで、それでいて利発そうな大きな瞳。先輩は美人だけど、特別なのはやはりその目で、一歳差とは思えない落ち着いた大人の色気みたいなものがあった。
「先輩、居たんですね。てっきり生徒会の仕事があるからもう部室へは顔を出さないのかと」
俺はパイプ椅子の一つに座った。四つ席があるが普段は誰も座らない。部活動は五人が定員なのに椅子は四脚しかない。
「私が居たら不都合だったかしら」
「いえいえ。もう部長なんですから、先輩の私室みたいなもんでしょう、
所詮、俺は暇つぶしに来ただけだ。先輩の邪魔になるなら潔く帰る。
「別に私は構わないわよ。私だって真面目に部活しに来たわけじゃないもの」
「? それじゃあ何をしてるんです?」
先輩はさっきからノートパソコンへ向かっている。原稿編集じゃないとしたら何をしてるんだろうか。部活に顔を出して無さすぎて全然分からない。
「ふふ。何だかね、今日は誰かさんが来てるんじゃないかと思ったの。ほら、今日はホワイトデーでしょう?」
「マジです? それじゃあ……俺はやっぱり邪魔なんじゃ?」
数多くの幽霊部員で構成される文芸部にそんな勇気ある漢がいるとは……。相手が杏南先輩じゃなかったら多少は応援する気にもなれたが、ちょっと競合相手が多過ぎやしないか。その上、先輩は異性にちっとも興味がないからな。はっきり言って無謀だ。
――しかし。今の俺は多くの男子の夢をぶち壊す計画を進行中だ。だから、同じ文芸部の夢想家くらい応援してやりたい。自由に、好き勝手に自爆して欲しい。
「ううん。邪魔というか。むしろ岳間くんは何か私に渡すものだったり、話したいことだったりはないのかしら?」
そう言って、先輩はノートパソコンを閉じる。これで先輩と俺を隔てる壁は無くなった。
じっ……と、先輩の目が俺を見据えている。いつもは演台の向こうに見る真剣な表情を俺だけに向けている。
――そんな顔をされたら、いくら俺と言えども照れる。照れてしまう。
「――え。えーと。……もしかして先輩、俺が先輩のこと好きだと思ってます?」
本格的に耳が熱くなり出す前に、俺は逃げるように雰囲気を茶化した。俺は先輩を特別に意識しているわけじゃないけど、それでも先輩は格別の美人だ。
すると先輩は――。
「あら、そうなんじゃないの?」
けろりと恍けながらに微笑した。
「……はあ」
なんて心臓に悪いんだ。
「――先輩その手の冗談言う人でしたっけ。どこでそういうの覚えたんですか? まさか生徒会ですか?」
部室でひっそりと読書をしていた先輩。生真面目で冗談なんか言わなかったのに、間違いなく生徒会の奴等に毒されている。
「ごめんなさい。でも、バレンタインデーやホワイトデーはお世話になっている人へ感謝を示す日でもあるでしょう? まあ、部員の顔が見れただけでも良かったわ」
先輩は悪びれもせずくすくすと笑っている。ただでさえ美人で清楚なんだから、男を惑わすような魔性のテクを身につけちゃダメだ。全く、誰が教えたんだか。
それはそうと。
「やっぱ女子もホワイトデーに何も貰えないのってクるもんですかね?」
男子はそういうもんだけど、女子も残念だったりするんだろうか。だとすると見上げのひとつでも……自販機でミルクティーでも買って来たら良かった。
「うーん。さあ。どうだろう。私は男の子から何かを貰ったことはないから」
「そうなんですか。突然贈り物を渡されたりとかも?」
「うん。ないかな」
そうなのか。意外とみんな賢明だな。まあ、でも分かる――。凛としていて、いかにも付け入る隙が無さそうだからな。先輩の男女分け隔てない感じが、男子としては逆に距離を感じるんだ。住む世界が違うってくらいの距離感だから、やたら遠い。
「俺も先輩からバレンタイン貰ってたなら、ホワイトデーのお返しくらいやぶさかじゃなかったんですけど」
「それは残念。来年は考えておくわね」
考えておく……ってことは貰えるってことか!?
義理とは言え役得だな。小野寺に感謝したいくらいだ。
「――でも、来年ですか。さしもの先輩も部活辞めちゃってますよね。面倒だったらいいですからね、くれなくとも。ホワイトデーも、三年生は自由登校でしょうし」
「確かにね。でも大丈夫よ。今、必ず渡すって決めたから。だって、私がどうとかってよりも、岳間くんが面倒くさそうなんだもの。意地でも渡してあげるから、きちんと私の卒業を祝って頂戴ね」
「高校生に高級品せびってます? ホワイトデーは三倍返しとか、俺そんな常識知らないですから」
「そうなの? 詳しんだね」
「ええ、まあ……」
俺もネットで調べただけだが――。
クラスメイトの女子へお返しするか否か。結局は調べるだけ調べてやめた。そもそも義理だしな。丁寧にお返ししてる男子もいたが、まあいいだろう。女子だって、クラスメイト全員に配るだけ用意しているわけで。別に俺に渡したかったわけじゃないさ。
「……それじゃあ、バレンタインにはあまり高い物は贈らない方がいいのね。あ――だから手作りなのかしら。気持ちが入るし、材料費が節約できるものね」
「いやあ。手作りチョコの材料費から三倍の返礼品を考え出したら、ちょっと男としては器が小さいかもしれないっす」
それがまさに昨日の俺なんだけど……。でも、義理で悩んでいても仕方ないって気付けたわけだし、俺の器は大きいに決まっている。
「だったらやっぱり値段の分かり易い市販品の方が、男の子は嬉しいってこと?」
「……一般的には手作りの方がいいかと」
「そう。それなら市販品が嬉しいのは岳間くんだけ、ということね?」
「ああ、いや。俺もどちらかと言えば手作りが良いですね」
「どちらか? 曖昧では迷ってしまうわ。どっちがいいかハッキリしなさい」
……先輩がじっと見つめてくる。全生徒の代表である圧がある。これではっきりした。先輩はどうやら後輩を揶揄うことを覚えたみたいだ。この半年ですっかり生徒会長が板に付いて、俺の知っているただの文学少女ではもうないらしい。
「……分かりました。手作りで。先輩の手作りチョコをお願いします」
「はい。ご注文承ったわ」
先輩は満足そうだ。
少しだけ不服だが、冷静に考えると手作りチョコを確約して貰ったんだから俺は何も損してない。何が悔しいのか、自分でもよく分からない。
――ところで、先輩は何をしに部室へ来たんだろうか。目の前の閉じられたノートパソコンで何かしていたはずなんだが、先輩の方から言わないなら聞かない方がいいのか。
仕事の邪魔だったんじゃないか――という不安を他所に、先輩が再びノートパソコンを開くことはなかった。
久しぶりの再会だったからか、俺たちはずっと他愛無い雑談を続ける。そして日が傾き、空が暗くなり始めたところで――。
「あら、もうこんな時間? ごめんなさい。私、生徒会に戻るわ」
「生徒会抜けて来てたんですか?」
「うん。まあ、そんなところ。でも卒業式の送辞を考えてただけだから。岳間くんと話せて、先輩気分を取り戻せたから悪くなかったかも」
片手間に机に広がる荷物をまとめる。
「すみません。気を遣えなくて」
「いいのよ。楽しくなっちゃった私が悪いからね」
「……じゃあ、仕事頑張って下さい」
「ええ。またね岳間くん」
先輩は控えめに挙げた手を振って、足早に駆けて行った。
――そう言や、先輩が来なくなったから部活に出るのやめたんだっけ?
先輩を狙ってたわけじゃない。けど、まだ学校に慣れてない頃、放課後に先輩と話してると気楽だったんだよな。
* * *
奇跡の桜の下で小さくなっている男子生徒が居た。
「あ、柊兵。そろそろ交代かな?」
ダウンジャケットを着た春輝がよろよろと立ち上がる。
「かなり寒いから気を付けたほうがいいよ。何だったら僕のコート貸そうか?」
イケメンが凍える女の子へ上着を掛けてあげるように、春輝は自分の着ているのを僕へ寄越そうとする。
「いい、いい。要らないよ」
眩しいし、むず痒いから俺にイケメンムーブをするな、全く。
「それより、誰か来たか?」
「まあ。最初の三十分くらいはね。その後は何でか女の子たちが来て、色々くれたよ」
女の子? カップルじゃなくてか。それに――。
「くれる?」
「うん。クッキーとか焼きケーキとか。とにかくチョコ以外のお菓子だね」
春輝はジャケットの大きなポケットをゴソゴソして、まとめられたゴミを取り出し、見せてくれた。畳まれた紙袋の中にビニールの包装紙が入れられている。
「あいつらバレンタインに懲りずホワイトデーまでお菓子作ってんのか。精が出るな」
「どうだろ。でも大半は料理部の女の子たちだよ。おかげでいい暇つぶしが出来た」
察するに。大方、桜の下で一人待機してる春輝の話が噂になって、お菓子を渡したい女子が集まったってことだろう。流石は有名人。
「ま、これで交代だ。お疲れな」
「僕ももう少し残ろうか?」
「いいや。片道三十分超の自転車通学なんだから帰りたいだろう? 時期に真っ暗になるぞ?」
「そうか。柊兵は直ぐ近所なんだもんね。……それならお言葉に甘えさせて貰おうかな。それじゃあね」
「ああ。また明日な」
別れ際、俺が軽く手を挙げたのを合図に、春輝は左右に振っていた手を止める。
「ああ。……よし、これで交代だ」
――とハイタッチしていった。そんな意図じゃなかったんだけど、まあこれはこれで……。
春輝の背中を見送ってから、俺は桜の下へ移動する。
――さて、どう時間を潰すか。
部活動の終了時刻は十七時に決まっているが、それについては厳守する必要もない。これ以上、生徒が学校へ残ってはいけない――という時刻は別に完全下校時刻と呼ばれ、その時刻は十八時。この時には、居残り練習組や忙しい委員会の生徒が問答無用で帰らされて、校門が閉まってしまう。つまり、俺の仕事はあと一時間もすれば終わりだ。
「たしかに、寒いな」
吐く息が若干白くなっている。寒さのせいで独り言が捗る。喋ってでもいないと暇だし、寒いし、待つ時間も長く感じる。
まだ日が完全に暮れたわけじゃないが、黄色くなった太陽の光には真昼のような暖かさはない。桜の木陰は長く延び、根元のあたりまで来ると地面がじっとりと冷たくなってた。
「厚着してくればよかったな」
俺はその場で小さくジャンプして、一先ず体温を上げる。マフラーだけじゃ全然心許ない。
スカートに生足の女子なんて告白のためとは言え、長居したくないんじゃないか?
もしも俺たちが誰かの告白を阻めているんだとしたら、俺の番が回って来る前に、きっと諦めて帰ってるだろうよ。
――なのに。
「こんなことして意味があるのかね」
作戦を立案したのは俺だけど。ホワイトデーじゃなくたって桜の木の下で告白するくらい、やろうと思えばいつでも出来るじゃないか。
これ以上、恋人を増やさないために告白を阻止する。それって、裏を返せば彼女が欲しいんだから。素直に恋人を作るために動いた方がいい。――いや、動いたけど実らなかったから、次の機会を確実にするためにもってことか?
「……いやあ。どうなんだ、それ。既存のカップルを別れさせるわけじゃないんだから、大した成果はないだろ」
しかも、冷静に考えてみると――。俺たちが仲良くしているまだ脈のありそうな女子に彼氏が出来るのを阻止しなくては本来の意味がないんじゃないか?
はなから付き合う予定のない子の恋を奪ったところで、それがどうして俺たちのためになるんだ。
「帰ろっかな。……あまりに見返りがない気がする」
……でも約束は約束だ。言い出しっぺでもある。
他の連中がきちんと守ってんだから、反故にするのも忍びない。
しばらくて――。
「よお、調子は?」
一樹が顔を出した。部活帰りの足で来たのか、上下バレーボール部のジャージのままで、上にはやはりコートを着ている。
「ぼちぼち」
「誰か来たのか?」
「春輝の時には来たらしいぞ」
こそこそしたりするでもなく、一樹は普段通りの声量で話しながら歩み寄って来た。
「へえ、そうか。――はい、これ」
日没を迎えた電灯のない校舎裏の暗闇で、一樹が何かを投げて寄越した。俺はそれをギリギリで受け取る。何処にあるかも分からない下投げの投擲物を上体全部で何とか受け止めた。
「おい」
「はは。わりいわりい」
熱い。それはあったか〜い何かだった。
「……ってコーンスープかよ。ココアだろ、こう言う時」
「腹も減ってるかなってよ」
「減っちゃいるけど。これ一本じゃ何の足しにもならないだろ」
「そりゃそうだ」
側までやって来た一樹は、俺と同じように太い幹へ身体を預けた。
「柊兵、いつまでやってる感じ?」
「六時までだよ。ここまで来たら、もう乗り掛かった船だし、六時十五分くらいまでは粘ってみるかな」
荷物は全部持って来てるから、校門が閉まったところで裏から帰れるし。
「そうか。俺はどうすっかなぁ」
「帰ってもいいぞ? 一樹電車だろ?」
「まーな。でもその電車もまだだし、あと五分は居ようかな」
それからの約五分間――。一樹は練習の愚痴を溢していた。俺は飲み物を飲みながら、缶に残ったコーンと格闘しながらに、適当に返事をする。
「やっべ。俺行くわ。じゃあな」
――と一樹が慌てて走り出す頃には辺りも完全に真っ暗になっていた。以降さらに約三十分間ほど、俺は奇跡の桜の下で待機した。暇だったからスマホを眺めていたが、暗順応のせいで周りの様子はよく見えない。
それでも時折りに人の気配がして、気不味い気持ちになっていた。
美しい花には棘がある。そして、奇跡の桜には怨霊が出る。 破亜々 憂生 @yu_sei
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