恋する乙女、野球を始める


「あんたどうしたの?」


 夕食の途中、母も兄も私を宇宙人でも見るかのように見てきた。父は口の中いっぱいに頬張ってもぐもぐさせながら遅れて顔を上げた。


「何が?」

「それ、椎茸よ?」

「ああ、うん」


 なるほど、そういえば小さい頃は椎茸嫌いだったな。身体に良いからと結局無理矢理食べさせられて、もう涙ながら飲み込むほど嫌いだった。いつから食べられるようになったんだっけ。大人になると味の好みが変わるって本当だよなぁ。


「旨味成分があって美味しいのにね、椎茸」


 私がそう言った途端、黙々と食べ続けていた父まで咀嚼を止めて私をまじまじと見てきた。なんなの皆、椎茸くらいでそんなに面白いリアクションしても、座布団はあげないよ。

 母が徐ろに私の額に手のひらを当ててきた。


「熱は無いわね」

「ちょっ、やめてよ。椎茸嫌いじゃなくなっただけじゃん。私だって大人になったんだよ」

「そうねぇ、そういえばあんた最近お菓子食べないわよね。お兄ちゃんだってまだ食べてるのに」


 お兄ちゃん、中学生にもなってまだお菓子食ってるのか。……いや、まあ修学旅行にお菓子持って行ったりするしお菓子なんて社会人になっても食べたりするから普通か。


「そうだよ。私はお兄ちゃんより大人なんだから。敬語使ってよね」


 なんたって記憶的にはお兄ちゃんの二倍は生きてるからね。


「ふーんお前大人なんだ? じゃあ、この問題解けるか?」


 兄がそう言って一旦席を立ち持ってきた宿題は、勿論中学生の問題だ。因数分解の応用問題。こんなの小学生に解けるわけがない。そう思って呆れ顔で兄を見上げると、ほらな、と顔に描いてある。こいつ……、と憎たらしく思う。そのしたり顔に一杯食わせてやりたいという衝動がこみ上げてきて、気付けばシャーペンを取っていた。兄が持ってきたものだ。この男、憎たらしいが気だけは回るのだ。私はペン先を白い紙に押し当て、X自乗を書いた。続いて展開しようとしたところで手を止める。分からないからではない。中身が大人の私にはもちろん御茶の子さいさいで解けるレベルの問題だ。────そう、解けてしまうのだ。しかし、解けてしまって良いものだろうか、とふと考えてみる。将来大学院で博士号まで取得する成績優秀な兄を差し置いて、三つも年下の私が間違って天才だなどと騒がれてしまっては人生台無しになってしまいかねない。嘘も方便という言葉もある。ここは色々な意味で心苦しいが、解けないことにしておくのがやはり無難だろう。そう結論付け、私はシャーペンを置いた。


「分かるわけないじゃん」


 しばしの逡巡を、といを考え込む時間に見せかけてそう文句を言った。これが最適解のはずだと自分に言い聞かせながら。


「まあ、そうだよな」


 兄はなにやら思案顔でそう言って引き下がった。じゃあこんなの持ち出してくるなよ。まあ実際私には解けたのだけども。

 兄はその後も五秒くらい私の書いたX自乗に目を落としていた。


「ところでお兄さま、人参が泣いていますわよ」


 私は話題を変えて兄の意識をから離させようと、皿に残された鮮やかなオレンジ色のいくつかを指差して茶化してみた。私が椎茸を克服したんだから、お前も私より年上なら人参を克服してみせろという嫌味だ。


「なにお前、キモっ」

「……」


 中坊には大人の高尚な嫌味は少々難しかったらしい。







「えーー、今日からチームメイトになる橘だ」


 スポーツ少年団の神崎かんざきコーチに紹介されながらも整列している少年達を見回してみた。何故か私の同級生だけ圧倒的に多いが、他学年の生徒らしき見たことない顔も一定数いる。あと、やはり女子は私だけらしい。大丈夫、覚悟の上だ。


「橘八千代です。野球漫画がきっかけで野球に興味を持ちました。よろしくお願いします!」


 しばしの沈黙の後、コーチに促されて「よろしく」と言う声が疎らに聴こえた。男ばかりのこの環境に馴染めるだろうか。

 私は理系で、男子に囲まれることには慣れているが、同年代の男性と忌憚なく話せるようになったのは社会へ出てからだ。その上、保育士や教師の資格を持っているわけでもないので、思春期前の男の子との接し方なんて未だに正解が分からない。


 ウォーミングアップを見様見真似でやって、もう一人のコーチがノックを始めると神崎コーチが私を呼び寄せた。


「橘は野球漫画読むんならある程度は知ってるだろう? どこかやりたいポジションはあるか?」


 やりたいポジションか。とりあえず投手ピッチャーは嫌だ。普通ならこういうシチュエーションでピッチャーを希望する少年は多いのだろうけれど、私は絶対に嫌だ。数々の野球漫画を読んだ上で、そう強く言いきれる。ピッチャーライナー怖いし、疲れるし、マウンドの精神的孤独も嫌だし、性格的に向いてないし、技術的にも相応しくないはずだ。


「ピッチャー以外ならどこでもいいです」


 一通り考えた末にそう言うと、神崎コーチは豪快に笑いだした。


「はっはっは! ピッチャーは嫌か! なるほど、まあ、女の子にはちとキツイかもしれんなぁ、ピッチャーは」


 野球の指導者って厳しくて昭和チックで体罰とか当然の顔でするイメージあったけど、案外気さくそうな人で少しほっとした。


「じゃあ橘はひとまずセカンド兼ライトでどうだ?」

「ありがとうございます」


 初日ということでまず外野の練習に混ざった。

 この場に私という女子がいることに、男子達の方が慣れていないようで皆始終そわそわしていた。それを感じ取って、ますます馴染めるのか不安になってしまう。

 成人した男の人となら会話しやすいんだけど、年頃の男の子ってどうも苦手っていうか、会話に難ありっていうか。小学生はすぐ揶揄ってくるし、中学生は一番多感な時期だし、高校生男子はまあ比較的話しやすいけどすぐ下ネタが飛び出てくるし。取説ほしいな。〈小学生男子との会話のコツ〉なんていうハウツー本が本屋の店頭に並んでたら今なら即買いしちゃう。



 だが、私の不安を霧散させたのは当の彼らだった。練習が終わった後何人かに話しかけられ、さながら美少女転校生にでもなったかのような錯覚に陥ってしまった。意外とフレンドリーな雰囲気で、何気に気負っていた私は拍子抜けだ。


「巨人の光って読んだことある?」


 〈巨人の光〉は名前だけなら誰もが知っているが、私はさすがに世代が違うのでアニメも漫画も見たことがない。


「ううん、ない」


 しかし私に質問したやしろは自分から訊いておきながらこう言った。


「俺もない」

「ふはっ、なにそれ!」


 思わぬ返球にフッと緊張の糸が切れた。その場に居るみんなで笑い合い、和気あいあいとした雰囲気に包まれる。なんだ、男子ともけっこう普通に話せてるじゃん。そっか、忘れてただけで、人によってはちゃんと男子と話せてたかもしれないや。


「メジャーリーガー読んでる?」


 逸平いっぺいが私に訊いた。〈メジャーリーガー〉とは、この頃絶賛アニメ放映されていた野球漫画で、全国的に認知率の高い作品である。そして私の時間感覚では数年前に完結した。つまりこの時間軸ではネタバレに気を付けなければならない、ということに思い至る。そうしなければ、作家さんに多大な迷惑をかけてしまいかねないだろう。


「読んだよ」


 ただし、最終巻までな。


「他には?」


 今度は西にしがそう訊いてきた。この頃のとなると、答えられる作品は限られてくるな。


「ちいさく振りかぶって、とか」

「あー! あれなー」


 通じた。なんにしても共通の話題があって本当に良かったよ。やっぱり野球は世界を一つにするよね。


「じゃあ好きな野球選手は?」


 思わず「大谷周平」なんて答えそうになったがよくぞ滑らなかったな、私の口よ。この頃、大谷周平はまだ就学前の幼児だ。あの二刀流の超人が幼児だってさ。びっくりだ。


「えぇと、松井選手」


 ベタに一郎と答えても良かったが、この頃活躍してそうな別の選手を口にしてみた。


「へー」


 へー、ってなんだ。その抑揚のニュアンスは、お前意外と分かってんじゃねーか、と受け取ってもいいのか? というか誰も「どっちの松井?」と訊いてこないのは何故だ? まあいいか。


 とにもかくにも、少年野球活動は好調の滑り出し────かに思えたが。




 月曜の朝、教室では妙な空気になっていた。私が教室に入っていくとクラスメイト達が一斉にこちらを向いた。


「え? 何? 何?」


 友達がわらわらと近寄ってくる。


「千代、野球始めたって本当ほんと?」

「ああ、うん」


 耳が早いな。チームの誰か────まあ、おおかた峰重みねしげ姉弟きょうだいが情報のかなめだろう。


「なんで?」


 “なんで”かあ。答えにくい質問だなぁ。好きな人に近付く為、なんて言った日には誤解を招いて憶測が飛び交う状況がありありと思い浮かぶ。それは避けたい未来だ。それなら二つ目の理由を使おう。


「野球やってみたかったから」


 どうだ。嘘は無いし、文句のつけようがない完璧な動機であろう。


「男子にちやほやされたかったんじゃないのー?」


 さーここと渡辺わたなべ紗夜香さやかが言った。これは字面ほど悪意ある発言ではなく、冗談みたいなものだ。私が否定することを見越し、私から言質を取る為の質問。ならば彼女の望み通りの言葉を言ってやろう。


「違うよ」


 その場はその言葉で納得の空気が漂い終わった。



 その日の放課後、家が近所の友達数人と遊ぶ約束をした。一旦家に帰ってランドセルを置いて、着替えてから団地の公園に集まる。


 彼女達はスポ少のことを興味津々といった様子であれこれと訊いてきた。


 それらに一通り答え終わると、由姫ゆきがぽつりと言った。


「でも千代、西山にしやまのこと好きだから入ったんだよね?」

「え……ああ、えー、あー……」


 そういえばそうだった。前回の人生で、この頃私には好きな人がいた。西山にしやま公太郎こうたろう──私は西にしと呼んでいる──という男子だ。そこそこ話すし、仲は悪くはないと思う。ひょっとしたら初恋、だったのかもしれない。


 “ひょっとしたら”“かもしれない”というのは、初恋がどれなのか自分でも分からないからだ。小学低学年のうちは「強いて言えばあの人」とか「好きまでいかないけど気になる男子」とか、異性へのそういう稚拙な意識。自分でもこれは恋ではないと、未満の感情だと認識出来ていた。そのうち人を好きになる度にその想いは密度を増していって、やがて中学で先輩をしっかり目で追うようになった。その頃にはもうこれは恋だと自覚できて。でも高校生になったらそれすら鼻で笑い飛ばせるほどの恋に溺れていって。恋多き女だもんだからその後もたくさんの恋をした。その度に分からなくなる。もうどこからが恋でどれが初恋なのか。新しい恋をする度に「こんなに強い気持ち初めて」、そう実感するから。

 過去の恋もどきを遡っていけば、その始まりは物心がつくかつかないかの頃にさよならを交わした名前も覚えていない男の子がいる。家にその頃の写真とその男の子に貰ったらしいぬいぐるみだけが残っている。母親曰く、仲が良かったらしい。しかし覚えていないのに初恋といえるのだろうか。なんだかそれは納得がいかない。

 かといってじゃあどれなんだと問われると、さあ? どれだろう? となる。けれどおそらく、一番それらしく、初恋のレッテルを貼って自分自身最も納得出来るのがこの頃の西山公太郎への想いだ。それくらいには執着していたような気がする。


 だけどそれも過去の色褪せた古い恋であり、今となってはどうでもいいものだ。私は同じ時を、別の男の子への恋心で塗り替えようとしているのだから。人生丸ごとやり直すのだから。


「あいつはもう、どうでもいいかな」


 私がさらりと言い切れば、皆して目を丸くした。幼いからか文字通り目がまん丸になって、ちょっと面白かった。

 女子の間で恋バナはもはや定例会議。しかもそこで得た情報を他の恋バナでも「あの子の好きな人はね────」と曝露ばくろし合うので、同級生の女子全員が私の好きな人を知っていてもおかしくなかった。


「えっ、まじで?」

「まじで」


 中学生になって彼女達が田森くんを認識し、その時まだこの明晰夢みたいな現象が終わってなければ、伝えても良いかもしれない。私の好きな人を。




 それから数日後の水曜日。その日は雨が降っていたが、予報では午後に止むらしい。二限目が終わって中休み開始のチャイムが鳴り響く。いつもなら男子も女子も中庭かグラウンドへ遊びに飛び出て行くが、今日は雨なのでみんな教室で思い思いに過ごしている。


「橘、お前グローブ買った?」

「え? あ、忘れてた」


 隣の席の古城──彼もスポ少メンバーだ──が話し掛けてきて、重要なことを思い出させてくれた。私は昔から忘れっぽいのだ。小中学生は携帯を持たないので予定をメモしておくにもアナログ式になる。そしてメモしたこと自体を忘れたり、紛失したりするというオチである。今回の用品購入も、数日前にメモした記憶があるのに、はて、あのメモはどこへやっただろうか。今日こそ母親に話を通しておこう。


「お前選び方分かんの?」

「えらびかた?」


 しっくりきた奴じゃ駄目なのだろうか。それにそういうのってお店の人が教えてくれたりしないかな? しないのかも。でも、そうか、やっぱ道具選びにも下準備が必要なんだな。感心したように一人得心して何度かほうほうと頷いていると、古城は「今日俺のグローブ見せてやろうか?」と持ち掛けてきた。タダで見せてくれるというのなら見せてもらって損はないだろう。私が「うん」と返事をしようとしたその時────。


「ヒュー、アッツアツ~! たちばなまさるがデキてんぞー! たちばなお前│まさるが好きで野球始めたんじゃねーのー? カップル誕生ー! ヒューヒュー」


 煩わしいことこの上ない声の主は、大前おおまえだった。奴も平川に並ぶクソガキである。というより、所謂いわゆるガキ大将である。比較的大きい体格の大前の後ろには平川や村瀬むらせがとりまきのように控えていた。

 聞いているこっちが恥ずかしくなってくるその揶揄からかい台詞に、見ているこっちが恥ずかしくなってしまうような全身で揶揄やゆを表現しようとする動き。大人としてなんとも、こう、相対していることだけでも耐え難い所業なので、頼むから一日でも早く大人になってくれと心の底から願ってしまう。

 それはそれとして、私は我慢出来ても一緒に揶揄われた古城はそうではないだろう。なんたってまだ小学生なのだから。アラサーの私でも頭にくるのだから、小学生なら何かしらのショックはあるに違いない。私は古城に代わって矢面に立った。ガタッと音を立てて文字通り席を立つ。途端にちょっと大人しくなる彼ら。うん、なんかもう小物感凄まじいぞ君達。


「私が野球を始めたのは、が好きだからだけど?」

嘘吐け」

「嘘なんかいてないもん! 野球が好き! 野球がしたい! あんたらは違うの!?」


 私のド直球ストレートと大人ならではの剣幕は効果があったようで、大前はたじろいでいる様子に見えた。


「大前、まあそのへんにしとけって。気持ちは分かるぞ」


 そこへ、ひょっこりと横から西と逸平が仲裁に入ってきた。この場に五年一組のスポ少メンバーが集結した。二人に宥められて、いかった肩が見る見る静まっていく大前。獣か何かかな?


「橘ぁ! お前、チーム内にそういう浮ついたのとか絶対持ち込むなよな!」


 大前は凪いだ態度でそう言ったが、純粋な気持ちで野球をやるならチームメイトとして認めると、そういう意味なのだろう。

 中学に上がってからのことを考えるとちょっとばかし耳が痛いが、このチームでということならば、自信を持って答えられる。


「ぉ、おぅ!」



「古城、平気? なんかごめんね」

「なんで橘が謝るんだよ? 気にしてないし」


 大前達が離れて行った後、古城のフォローをしたつもりが、逆にフォローされてしまった。小学生のくせになんというイケメンっぷりなんだ。将来は約束されてるな、この男。


「それより大前の許可も取ったし、今日練習の日じゃん? その後グローブ見せてやるよ」

「え、いいの? ありがとう」


 古城とは仲良くやっていけそうだ。古城が野球やっててくれて私はとても心強いよ。



「ちょっと千代こっちこっち!」

「なっちょっ、えっ」


 古城との会話が一段落すると、見計らったように──ようにではなく十中八九見計らっていたのだろう──女の子達に拉致された。


 連れて来られたのは渡り廊下。屋根があるので濡れはしないが、一体こんなところで何をしようっていうんだ。いじめか? リンチか? 上等だ、大人の私が小学生のいじめに屈するわけにはいかない。とはいえ、私はいじめられた経験なんてないし、割と友達多い方だしみんなに愛されてた記憶なんだけどな。いじめだったらそれなりに傷ついちゃうぞ。

 緊張の面持ちで彼女達の出方を窺っていると、一人ずつ順々に口を開いた。最初に口火を切ったのはさっちゃんこと松本まつもと佐知さち


「千代さぁ、なんか最近別人みたいじゃない?」


 ギクッとした。


「分かるー! なんかやけに落ち着いてて面白みがなくなったよね」


 呼応するようにそう言ったのはしげりんこと峰重みねしげ詩織しおり。面白みだと? 私は真面目が取り柄でさして面白い人間ではなかったと思うのだけれど。


「そもそも野球とか今まで興味なかったじゃん」


 続いて口を開いたのはさーこ──渡辺わたなべ紗夜香さやかだ。私の横に来て寄り添うように。


「あと何? さっきの『おぅ』って? ウケる」


 そう言ったのは姫野ひめの由姫ゆき

 うーん、確かにこの頃の私はあんな返事絶対しないし、小学生女子にはあのノリは分かんないよなぁ。女子で野球やるってこういうことなのか。友人関係がなんだかちぐはぐで噛み合わない。

 念の為言っておくが、これはいじめられているわけではない。彼女達の誰にも悪意はなく、正真正銘ただの詰問であり、それ以上でも以下でもない。悪意ある発言に聞こえてしまったとしても、それは小学生ならではのノリの範疇だ。


「どうしちゃったの、千代?」


 最後に雨宮あめみや優子ゆうこが私の返事を急かす。


「ゔっ!? そっそれはっ」


 不味い。何か上手い誤魔化し方ないかな? 元来私って正直なんだよ。嘘吐くのに向いてないのよ。そんなすぐに頭回んないって。待って、そんなに美貌を近付けないでっ。由姫と優子は特に顔面つよつよだからぁ! 可愛過ぎて直視出来ないレベルだから!


「ほわ、や、ま……もうっ、勘弁してよぉ!」


 ついに私が精一杯の大声でを上げると、雨音を切り裂く私の甲高い声を聞いた彼女達は互いに顔を見合わせて笑い合った。


「ああ、やっぱ千代だ」


 え、なにそれどういう意味?

 さっちゃんがそう言ったのを皮切りに、五人ともどこかほっとしたという雰囲気を滲ませた。私は逆に自分のアイデンティティーを見失いそうですが。皆は一体私のどこに私らしさを見出したの? ねえ?


「で、古城と付き合ってるの?」


 終わったかに思えた話題を蒸し返して改めて根掘り葉掘り聞いてこようとするさーこはなかなかの恋愛脳だな。今の私に匹敵するかもしれない。ここはきっぱり言ってやらなければなるまい。


「だから本当に誰も好きじゃないって」

「えー!? つまんない!」

「ほらぁ、だから言ったじゃん」


 私の返答にさーこが不満の声を上げると由姫がほら私の言った通りでしょ、とドヤ顔をする。というかもう口を滑らせたのか。別に口止めしてなかったけどさ、やっぱり口が軽いな、この年頃は。


 その後チャイムが鳴って、慌てて私達六人は教室に戻ったのだった。

 まさか私が野球を始めただけでこれほど、揉め事が起こるとは思わなかった。

 そう思ったのだが、この後にもまだ大きな揉め事が待ち構えていることをこの時の私は知る由もなかった。





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乙女逆行 ~夢の中で芽生えた恋と十三年越しの六年間~ 勝間Masaki @eroile

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