第11話 藍色の刺繍
翌日はまぶしいばかりに梅雨の晴れ間が広がった。おミヨはたまった洗濯物を洗い上げて背負いかごに入れると、勝手口を出て裏の物干し台の梯子を登った。
「あ、いせきはんとこの子やんか、大丈夫か?」
物干し台の向こうから、裏の家に住む青年が声をかけてきた。
「大丈夫ですよ、ありがとうございます」
そう答えるとおミヨは左足を軽く引きながら仕事用の作務衣やセラピーで使ったタオルなどを次々と干していった。
青空をバックに初夏の風に揺れる真っ白なタオルの列を見ながら、おミヨはタチノー野球部時代、練習試合の後に学校に戻ると、部員総出で近くの谷川に行ってはアライグマに化け、ユニフォームをごしごし洗って干した光景を思い出していた。
おミヨと
――準決勝が終わり美馬農林ナインが旅館に戻るや、きりりと襷をかけた仲居見習いの少女たちが「お帰りなさい、ご苦労様」と出迎えた。そして荷物をひったくるようにして受け取ると、洗濯かごに次々と汚れたユニフォームを入れ、大急ぎで洗濯に回した。
「ここんところずっとええ天気やさかい、明日の朝にはきれいに乾きますわ。明日の決勝戦は私らも見に行きますから、ほんま、せいだい気張って下さい」
女将さんは真っ白く洗い上げられたMINOのユニフォームの列を見上げながら、後藤監督とナインに言った。
カノは埃と汗で汚れたグラブとぼろぎれを持って、縁側に出た。腰を下ろしてどっかと座り込むと、中庭の青楓を眺めながらグラブの手入れをした。グラブの中の埃をあらかた落とし、今度は外側を磨こうとしたところで、ふいに若い女のけんのある声が庭の向こうから聞こえてきた。
「あんた、これ、また落としたん?」
カノはグラブを手にしたまま、声のする方向に目をやった。
仲居の一人が、まだ幼い顔つきの見習いの娘を叱りつけている。
「あんた、仕事する気ないんやったら、いやほんま、もう田舎に帰ってもうたらどうで?」
何があったんやろ?
カノはグラブを置いて膝立ちになると、ふたりの様子をうかがった。
見習いの娘は両手を顔に当ててすすり泣いている。
「ああ、嫌やわ! いやほんま、けったくそ悪い娘や! あんたさ、もうええから、これ今すぐ全部片づけてくれんで」
娘は涙をぬぐいながら割れた鉢植えを拾い上げ、裏の方に消えていった。
仲居はいらだたしげに何ごとかつぶやくと、首を左右に振った。
「ああ、よう言わんわ。田舎の子ってなんでこないにどんくさいんやろ。いやほんま、狸に化かされとるとでも思わなやってられんわ」
カノははっと顔を上げ、思わず右手を後ろに回して尻をなでた。
仲居の視線とカノの瞳が中庭越しにふっと交差した。
「あら、美馬農林の加納さん、ふふふ……。いやほんま、精が出ますね。明日の決勝戦、みなで応援に行きますさかい、気張ってくださいね。いやほんま、うちらも光栄やわぁ」
別人のような声色に、カノは「はい」と返事をするのがやっとだった。
***
そういえばこの夏、重清を離れて徳島県予選に赴いてからずっと、ウチらは頭のてっぺんから足の先まできっちり人間に化けとった。ほなけん、まさか美馬農林に狸の選手がおるやなんて、誰にも気づかれんづくで、とうとうこんなところまで来てしもうた。
ウチ、人間たちが何気なく口にする「狸」の一言だけで、なんしにこないにドキドキせんならんのやろか。いやほんま、隠しとるつもりはないのに。
梅吉やったらきっと「甲子園のグラウンドで人間たちに、狸の
***
翌日――決勝戦の日の朝。
仲居見習いたちが、ひとり分ずつきれいに畳んだユニフォームを部屋に運んできた。
「しっかりやってきて下さい」
そう言いながら部屋を出ていく見習いたちの中に、ぐずぐずと残っている娘がいた。昨日叱られていた、あの新入りの娘だ。
「あの……」
呼び止められたのはカノだった。
「これ……私、岩倉から来たんです……」
重清と同じ美馬郡の岩倉から来た娘は、不器用な刺繍の入った白いハンカチを差し出した。
藍色の糸で縫い取られたボールの形と「MINO」の文字が目に入った。
「ありがと……」
カノはそっとハンカチを受け取った。
「勝って下さい」
娘は今にも泣き出しそうな顔だった。
「勝ってください」
カノはこくりとうなずくと、「勝ってくる」と答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます