第21話 MINO 1930s 過ぎゆく夏

 蜂須賀商業が甲子園出場を決めたその日の夜。最後の客を見送って店を閉めると、海四みよんとおミヨはハーブの香りの残る二階のセラピー室に上った。


 おミヨはぽん! と狸の姿に戻ると行李の中に入り、海四は愛用の水晶玉を傍に置いた。


「……ほな、みっちゃん、行こか」


「はい」


 いち、に、さん、……パチン。


 ――みっちゃん、今どこにおるん?


 ――なんや知らん、えらいざわざわしよる…


 ――扉、開けてみ。


 ――何やろ、ものっそ人が集まっとる……


 ――みっちゃん、あんたどこにおるの?


 ――公民館? ……違う、学校や……ようけ人が集まっとる……


 ――みっちゃん、学校で何かあったん?


 海四は大急ぎで行李の上に、過去世を映すビジョンを展開した。


 美馬農林学校の講堂。重清村しげきよそんはもとより、周囲の村や町からもわんさと人が押し寄せている。山の狸たちも村人に化けては人の間に混じっている。


「決勝の相手は、皆さますでにご存知の、大会三連覇を狙う大阪の強豪淀川商業! 一回戦で大会初のノーヒットノーランを達成した鉄腕能勢のせ正浩に、わが美馬農林の機動力野球がどこまで食らいついていくか! 甲子園球場は立錐の余地ない超満員……」


 講堂の舞台の上には学生会長が演台に立ち、活動写真の弁士よろしく派手な身振りを交えながら、淀川商業との決勝戦の報告を行っている。


 後ろには美馬農林ナインが準優勝盾を真ん中に、甲子園でおなじみの「MINO」の真っ白なユニを着てズラリと並んでいる。


 舞台端には甲子園で美馬ナインを鼓舞激励した岡田校長直筆の横断幕「MINO YOU CAN DO IT!」が、そして舞台上には「祝 第×回全國中等學校優勝野球大會準優勝 美馬農林學校野球部」と麗々と記された看板が吊るされている。


 舞台の上手には村長、在郷軍人会長、元郡長らお偉いさんが、下手には校長、教頭、そして後藤稀直まれなお監督が並んで座っている。


 カノ――加納佳之は懸命にお偉いさんの挨拶や学生会長の報告を聞いていたが、誰の言葉もことごとく頭の上を通りすぎていくだけだった。


 村長の

「主将の藤川くんはじめ……郷土の名誉を背負って、阿波の狸がこうして人と伍しつつ立派な成績を上げたということは……」

 のくだりには、思わず「うへぇ」と言いそうになった。

 名指しされた梅吉は微苦笑し、七兵衛はさりげなく尻に手を当て、平助は困ったような表情を浮かべていた。


 元郡長も追いかけるように

「山の狸が甲子園で、これだけの偉業を達成したのでありますから、我々人間たるもの、これに負けず刻苦勉励すべし」

 式の挨拶を繰り返した。


 在郷軍人会長は

「我輩が最も感銘を受けたのは、惜しくも一敗地にまみれたとは言え、加納佳之くんの一身を犠牲にした奮闘であります! 我輩は、あの肉弾三勇士の軍人精神の精華を、加納くんの闘いぶりにみる思いで一杯であります!」

 と叫ぶように言うと、まだ包帯の取れないカノの右手をぐいと掴んで差し上げた。


 万雷の拍手、「加納! 加納!」の大歓声、在郷軍人会長の紅潮した顔……。


 海四は冷たいタンポポコーヒーを一口すすった。

 今度は、選手ひとりひとりが観衆に挨拶する場面がビジョンに映し出された。


「先程紹介に与りました藤川梅吉です。皆様お聞きの通り、わい……私らは狸です。私らは、人と同じように化けて、人と同じようにやってきただけです。美馬農林に入って、校長先生や後藤監督に、このことの大切さを事あるごとに教わってまいりました……」


「能勢くんと投げ合えたことは、忘れることのできない経験です……」


「蜂須賀商業に勝つことばかりを考えてやってきたら、こんなところにまで来てしまいました……」


 司会の学生会副会長が演台に上る。


「次は、俊足強肩、決勝戦では不屈の闘志で最後まで闘い抜いた、加納佳之くんです」


 マイクの載った演台に、カノは押し出されるように向かった。群衆の、そして、村人に化けた山の狸たちの熱い視線が一斉に集まる。


「あ……あ……」


 言葉が出ない。何と言っていいのかわからない。

 学生会長が言葉に詰まるカノに気づき、質問を投げ掛けた。


「加納くん、初めての甲子園はどうだったかい?」


「……大きかった。人もようけいた。……海も初めて見た。青うて大きゅうて、ええ匂いで、ほんまきれいかった……」


「右手の怪我はもうだいぶ良いのかい?」


「……はい。もう痛うないです……」


「決勝で君が怪我した時は、僕らも本当にどうなるかとハラハラしたよ。それなのに君ときたら、あんなに落ち着いたプレーで……」


「淀商はほんまに憎らしい」


「イヤイヤ君こそ素晴らしかったよ」


「次は勝ちたい」と言いかけて、カノはふと気づいた。


 「次」っていつのことや?


 美馬農林のレギュラーは、捕手の板東を除いてみな最上級生だ。三連覇を果たした淀川商業ナインもまた、主戦投手の能勢はじめ、大半が最上級生だ。


 ああ、ウチ、次のことなんか何にも考えてへんかった。入学してからずっと、ウチは勉強もちょこっとしながら、野球のことだけ考えてボールを追いかけとった。


「次……ウチ、どないなるんやろ……ウチ、これからもみんなと野球したい……」


「カノ、落第せえ」


 平助が茶々を入れた。


 後藤監督が目で平助を叱りつける。


「監督……ウチ、泣かへん……これからも……野球したいけん……泣かん……」


 そう言いながら、カノは何度も顔を拭った。後藤監督は立ち上がると、カノの肩を抱くように下手の舞台袖に入っていった。


 甲子園初出場準優勝の快挙を成し遂げた美馬農林には、県内外から続々と練習試合の申し込みが殺到した。甲子園常連校からのものもいくつかあったが、校長と監督はその全てを断った。


 新聞の取材も地元の一紙のみ、それも校長と監督だけで応対し、人狸合同チームの平穏を必死で守った。


 誰にも等しく夏は訪れ、そして等しく季節はめぐっていく。


 夏休みの明ける前に、新チームの編成が行われた。カノたち最上級生は、卒業後の進路に向けて準備の傍ら、後輩の練習の手伝いに余念がなかった。


 向こう意気の強さを買われた太助は、本格的に投手の練習を始めることになった。


 初秋のある日、美馬農林グラウンドで紅白試合が行われた。練習着に赤い鉢巻の最上級生チームと、甲子園でおなじみの白い「MINO」のユニに身を包んだ、正捕手板東を含む新チームとの対戦に、全校生徒はもとより、村の人々に山の狸が観戦に詰めかけた。


 ――主審をつとめる後藤監督の右手が上がり、試合が始まる。


 カノは癒えかけた右手の肉球の傷を藍色の刺繍のハンカチできゅっと縛って定位置のセンターを守り、梅吉はマスクをかぶって甲子園準優勝投手の荒岡をリードした。太助はぶかぶかのユニを着て控え投手としてベンチ入りし、平助はすっかり足に馴染んだスパイクで軽いフットワークを見せていた。


 人も狸も等しくグラウンドを駆け巡り、惜しみなく声援を送った。


 ――そして激しい時代の波もまた、等しくこの山村に迫ってきた。

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