第19話 ユキコ

 西日がカンカン照りつける中、真っ黒に日焼けしたおミヨが戻ってきた。

 海四みよんが毎回のように、人に、それも娘姿に化けとるんじゃけん日焼け止めぐらいこじゃんと塗りない、と言っても「ウチ狸じゃけん大丈夫じゃ」とおざなりにちょこちょこ塗るだけで、おミヨは野球の応援から戻るたび、盛大に日焼けして帰ってきた。


 今日は母校タチノーこと太刀野山たちのやま農林高校が、おタエら後輩の活躍で準々決勝進出を決め、おミヨはこの勢いで甲子園初出場じゃあ! と怪気炎を上げている。


 美馬高校に大勝した鳴門南と蜂須賀商業の試合は明日、同じ鳴門の球場で行われる。海四は再びサロンのチラシをおミヨに託した。


 翌日。おミヨは例によって試合開始前にチラシ配りを行い、頃合いを見計らって球場に入った。

 あのマネージャーの子……あれからどないしてるやろか?

 スコアボードに目をやると、スターティングメンバーに、あの梅沢喜一は入っていない。

 梅沢の名や姿を見るたびに、おミヨは無性にいたたまれなくなった。何やらはるか昔に似たようなことがあったかもしれん。薄らぼんやりと、そんな気がする。


 店の冷蔵庫で凍らせたミントティーを取り出し、溶けはじめた分をごくんと飲む。

 

 おミヨは女子生徒の群れの近くに座った。生徒たちは占いの話で盛り上がっている。よほどチラシを出そうかと思ったが、海四の「おまわりなんか呼ばれた日には……」という言葉を思い出して、球場の中で配るのは自重した。


「ラッキーカラーとか、当たるんやろか?」


「知らんわー」


「気休めみたいなもんやろ?」


「なんやしらん、昨日ユキコが気にしよったやん」


「ユキコそんな趣味あった?」


「あの子なんか最近ちょっとスピってる、いうか、前に何やしらん、大会前のお守りや言うてパワーストーン使うて何かこっしゃえとったやん……」


「あんた知らんの? あの子、野球部やめたんやて」


 話が違う方向に舵を切った。


「ほんま?」


「なんか、梅沢先輩に振られたらしいじょ」


「え?」


「なんしに?」


「なんか、ミーティングで言うたみたい」


「何言うたん?」


「梅沢先輩をレギュラーにしてくれ言うたらしい」


「えー!」


「それで、公私混同するようなやつは野球部においておけん、みたいな話になったらしいじょ」


「そんなこと言うたのあの子?」


「それ、やめたんやなくて、やめさせられたんちゃうの?」


「……しっ!」


「どしたん?」


「……ユキコ、来とる」


「ほんま?」


「ほんまや……」


 女子生徒の視線の先に、あのマネージャーの姿があった。白いTシャツに、つばの広いサンバイザーをかぶっている。サンバイザーもポニーテールをくくるシュシュも白だ。右手首には、海四が渡したピンクの石を編み込んだミサンガを巻いている。


 あの子、名前、ユキコいうんだ。



 ――試合が始まった。

 梅沢は伝令をつとめていた。

 チームで一番先頭に立ち、一番頼りにされている部員が担う役割。

 試合は序盤に満塁の危機があったが、伝令梅沢のアドバイスで冷静さを取り戻した守備陣が得点を許さず、その後も危なげない試合運びで、蜂商は準々決勝に駒を進めた。

 


 試合が終わるや、おミヨは空になったミントティーの容器をしまい。球場の外に出てチラシを配り始めた。


 ユキコの話で盛り上がっていた女子生徒の群れに、ダメもとでチラシを差し出すと、リーダー格の子が「なにこれ?」と受け取った。それにつられるように、周りの子たちも手を伸ばしてきた。


「徳島本町のヒプノサロンいせきです」


「ヒプノセラピーやて」


「何? 過去世?」


「へー、うちらの過去世って何なんやろ」


「ほなけんどセラピー料ごっつするやん」


「相談料は取らんて書いてあるじょ」


「ほこがヤバいんちゃう?」


「そやそや」


 などとピーチクパーチク賑やかだ。



 おミヨは適当なところでチラシまきを切り上げると、せっかく鳴門まで来たんじゃけん、今日は駅まで行って、駅前でチラシまいてみようかと思い付いた。遠回りになるが、夏の日はまだまだ高い。


 バスに乗ると、後ろの席に隠れるようにして座っている白い服の少女が目に入った。


 ――あの子や!


 蜂商の関係者を避けるために遠回りしていることはすぐにわかった。話しかけようかと思ったが、やめておいた。

 汽車の時間を見ながら鳴門駅前でチラシ配りをして、おミヨが徳島駅に着いたころには日はだいぶ西の方に移動していた。


 あたりやで大判焼きでも買うていこうかと、そごうの方向に足を向けた。

 駅前の観光案内所の裏側で、数人の女子高生が集まっているのが目に入った。 何だか不穏な雰囲気だ。


「あんた、何考えとんの?」


「なんで試合見に来たん?」


「知らんとでも思うとったん?」


 女子高生の輪の中心に、白いTシャツのユキコがいた。


「梅沢先輩にまだ未練があるん?」


 ベリーショートの生徒が詰め寄る。


「ある」


 ユキコがきっぱりと答える。


「あるけど、あんたらが思うてるようなんと違うわ」


「じゃあ何なん?」


「今のチームには、梅沢先輩がチームの真ん中におることが必要やって、うちは今でも思うとる」


「先輩キャプテンやんか!」


 ベリーショートの子が即座に言い返す。


「なんでキャプテンがスターティングメンバーに入っとらんの? それおかしいやん!」


「そんなん、あんたがぐちゃぐちゃ考えることちゃうやろ?」


「なんしに? うちかて野球部員やで……今は違うけど」


 ユキコはきゅっと唇をかんだ。


「とにかく、ユキコ、あんた部の周りをうろちょろするのやめてくれへん? 皆ごっつ気ぃ悪いんじゃ」


「うちな、先輩に、あんたらが思てるような種類の未練やかしないけんな。うちは、ホームベースのとこに先輩がおらんの、それ違うって、今もそう思てる、それだけや」


「これ」


 ベリーショートの子がコンビニのビニール袋をユキコに押し付けた。


「前あんたと一緒にこっしゃえたもんやけど、皆もう持っていとうない言うとるけん、返すわ」


 ユキコは勢いに押されるように袋を受け取った。


 おミヨは立ち聞きを気取られぬよう、そっとその場を離れた。


 ユキコを残して、生徒たちはバス停や駅の方に散っていった。

 ユキコはその背中を見送ると、顔をこわばらせたまま人混みの中に消えていった。


   ***


 大判焼きを頬張りながら、おミヨは夢中で蜂商野球部女子マネの話をした。


「ようわからんけど、聞いとったら、そのユキコって子が独り相撲してるような、そんな感じやな……。ほなけんど、マネージャーかて野球部員なんやけんチームのこと考えるんや、っておかしい話ちがうわな、みっちゃん」


「タチノーは女子マネおらんかったけんなぁ……」


「そらそうや、あんたんくは雌狸も雄狸もみな大会仕様に合わせて化けて試合出よるんじゃけん」


「あの子、なんか可哀想やった」


「そら、確かに野球はグラウンドに出とる九人だけでしよるわけちゃうけど」


「伝令やコーチャーのおかげで勝てたいうんは、ウチらもよう経験してきたし、ホンマにそうなんやけど、……」


「みっちゃんらも、そやったん?」


「そらそうや。ウチすぐに頭に血がのぼってまうけん、何度サードコーチャーに進塁止められて命拾いしたことか」


「うわ、なんや目に浮かぶなぁそれ」


「えへへ……そうなんやけど、うーん、やっぱり試合に出るために練習してきとるけんなぁ皆」


「定員は九人。それ以上はお引き取り下さい、やろ」


「そこがしんどいとこじゃ。梅沢くんもそやけど、どんなに頑張ってきても、どんなに切のうても、最上級生で今年が最後やいうても、どもならんのや。そういうのをマスコミが、裏方の支えが勝利を呼んだとか、スタンドで声を限りに応援したとか、ベンチ入りが叶わなくても最後まで諦めずに練習に打ち込んだとか、さもさもええ話みたいにわかった顔して美しいに書き立てるの、ホンマ腹立つで」


 口から大判焼きのあんこをまきちらす勢いておミヨがしゃべる。


「海四さん、いくら伝令やコーチャーが大事や、チームの戦力や言われてもな、やっぱりそれは違うんよ」


「ほんまにしんどい話やな。試合に出れても出れいでも」


 ユキコは、自分のために言うたんや言いよった。タチノーではチームがうまいこと回っとって、ポジションもベンチ入りもずっと順当やった。

 狸も人間も変わらへん。試合に出られる人数がルールで決まっとる以上、誰かが先発を、ベンチ入りを外れんならん。このこと自体が、ものっそ悲しい。


 ――ほなけんど、なんしにこないにぎゅうっと胸が痛いんやろ、ウチ。

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