第17話 狸のバッテリー 

 梅雨が明け、ついに高校野球徳島県予選が開幕した。おミヨは有給休暇を取って、タチノー野球部後輩の応援に駆けつけた。


「どやった?」


「勝った! ……それから、藤黒ふじぐろ監督にめっちゃ怒られた」


「あはは」


「ごめんなさい、もうせえへんけん」


「あはは、思い出したらホンマめっちゃおもろい」


 海四みよんは腹を抱えてケタケタ笑い、おミヨはばつの悪い表情で頭をかいた。


「海四さん、明日、鳴門南と美馬高の試合あるみたいですね」


 おミヨは新聞の間に挟まった夏の甲子園大会の予選トーナメント表を手に取った。


「どれどれ、……ほんまや、これ、勝った方が蜂須賀商業と当たるんやろ?」


「うへえ、くじ運悪すぎやん。去年、二回戦でウチらに勝った阿南の学校も、準々決勝で蜂商に当たって、こてこてに打ち込まれて負けてしもうたし」


「……みっちゃん、あんた今、自分の過去世どのぐらい覚えとるで?」


「セラピー受けよる間はもう、そのまま過去世の中におるみたいやのに、一眠りして朝が来たらもう何がなんだかようわからんようなって……」


「そうやな……」


「覚えとるこというたら、ウチ、過去世でも狸で、おんなじことしよったこと……ぐらいやろか」


「一番センター谷一たにいちくん!」


「いややそれ言わんといて恥ずかしい……」


 おミヨは両手で耳まで赤くなった顔をおおった。


「みっちゃん、みっちゃんの過去世、いつの時代だったか覚えとる?」


 海四は確かめるように尋ねた。


「……あれ、どう考えても戦前や。ウチらのユニ、ぶかぶかで袖が肘より長かったし」


「学校の名前覚えとるで?」


「……み……の……みま……美馬農林……重清しげきよの……」


「明日の試合、その美馬の学校が出るやんか」


 海四は新聞販売店でもらった高校野球徳島県大会特集号の組み合わせ表を指さした。


「明日、鳴門の球場で試合あるやろ。みっちゃん、そこに出張してくれへん?」


「?」


「試合の前と後に、球場の外でこのチラシ配ってほしいんよ」


 海四はチラシの束を取り出した。

 店とセラピー内容の紹介がコンパクトに盛り込まれた、A5版のつるつるしたチラシ。


「警備に何か言われたら、すぐに配るのやめや。おまわりなんか呼ばれた日にはほんまやくたいやけんな」


 おミヨは深くうなずいた。警察に連れていかれるのは二度とごめんだ。


「それから、うちは女性限定やから、渡すのは女の人だけ……頼むな」


 海四は店のパソコンをちゃちゃっと叩くと、交通費の精算は翌日にすることと、店で着ている作務衣で行くことを説明した。


   ***


 次の日、おミヨはバスに乗って鳴門の球場に向かった。試合開始時間まで、球場の入り口近くで行き交う人にチラシを配った。ターゲットの若い女性はというと、チラシを手にしたおミヨの姿を見るや露骨に避け、ほとんど受け取ってもらえない。


 ――店の宣伝ではのうて、美馬高校の様子を見てくることがほんまの目的やけん。


 ひょっとしたら、ウチの過去世と何かつながりがあるか知れん。海四さんは店を出しなに、そない言うてた。


 重清村しげきよそんは戦後、郡里こおざと町と合併して美馬町になっている。美馬高校は町でただ一つの高校だ。

 プレイボールが迫ると、おミヨはチラシ配りを切り上げて美馬高校側のスタンドに潜り込んだ。


 鳴門南スタンドは選手の家族友人に、三十人は下らない補欠選手たちで構成されたにわか応援団、OBらしきおじさんたち、それに地元鳴門の高校野球ファンで席がほとんど埋まっている。さすが甲子園出場実績があるだけのことはある。


 美馬高校も同じような感じだが、人の数が圧倒的に少ない。OBらしいチンドン屋グループが、鉦や太鼓を鳴らしては好き勝手に歌っている。


 ――ほーいほいほい、どちらいか

  ほーれほれほれ、えっとぶり

  去年も来よったチンドン美馬が

  くたばりもせず、また来たじょ

  一かけ二かけ三かけて

  試合のたびにコールドで

   五かけ六かけ七かけて

   やっぱり美馬高負けばかり

   ほーいほいほい、化けて出た

  ほーれほれほれ、お出ましや

   ヤマの狸のピッチャーが

  強豪古豪をなで切りや

   一かけ二かけ三かけて

   仕掛けた勝負はやめられん

   五かけ六かけ七かけて

   ヤマの狸がかっ飛ばす


 ヤマの狸?


 おミヨはグラウンドの方に目をやった。後攻の美馬高校ナインが守備位置につくと、選手紹介のアナウンスが流れた。


「一回の表、守ります美馬高校の、ピッチャーは別所万作くん、キャッチャー別所市松くん、ファースト三木くん……」


 周りの話を聞いていると、美馬高校はここ数年、運動部同士で選手の助っ人を出し合うているようで、今年などは正規の野球部員はバッテリーと内野手だけ、外野の三人と補欠の一人はサッカー部と陸上部からのようだった。


 ――たしかに、急造選手ばかりやと出るたびボロ負けやし、しんどいのはホンマにしんどいなあ。


 相手の鳴門南は甲子園出場の実績をもつ実力校。コールドゲームを免れたらめっけもんやな、と思いながら日に焼けた座席に座った。


 場内アナウンスをBGMにボールを回す美馬ナイン。外野陣のグダグダぶりはご愛嬌、内野もいまひとつ安定感に欠ける。目を引いたのは捕手の強肩。投手の球もかなりの速球だ。

 おんなじ名字いうことは、兄弟か何かやろか? と思っておミヨは美馬バッテリーに目を移した。


 ――?


 おミヨは最前列に出ると、グラウンドの方に鼻を突き出した。


 狸!


 間違いない。けだものの――狸のにおいだ。同じ名字なのも、これで合点がいく。今も昔も、狸は住んでいる村の名を自分の名の上にかぶせて名乗るのが通例だ。

 ウチの場合、本来は「太刀野山ミヨ」になるんやけど、化けて人間に混じるのになんぼなんでもこれでは具合が悪い。

 タチノーでは新入生にそれらしい人間名をつけるのが、化学ばけがくの最初の授業の恒例だった。


 ――ほなけんど、別所? どこやろ? なんやヤマの狸や言うてたな。……重清村のあざかなんかやろか?


 おミヨは思い切ってチンドン屋の一人に尋ねた。


「すみません、あの……美馬の別所って、重清のどのあたりになりますか?」


「べっしょ?」


「べっそのことちゃう?」


 チンドン屋が演奏を止めて集まってくる。


「この子がな、べっそは重清しげっきょなのか聞いてきよって」


「べっそ言うたら岩倉の方やんか。大楠のあるところや」


「そや岩倉や。……あんた、べっそがどうかしたんか?」


「……いえ……」


「そや、あの子ら、べっそちゃう?」


 一番若い楽士がバッテリーを指さした。


「べっその大楠や言うたら、炎使いの狸の話があったなあ、そういや」


「それで万作のあだ名が火の玉投手か?」


「知らんわー。ほなけんど美馬高、春の大会も負けはしたけど、試合、あいつらのおかげで五回コールドだけは免れたな」


 楽士たちが賑やかに話に花を咲かせている間に、外野手たちはこれでもかとエラー祭りを繰り広げている。ノーヒットで四点も献上してようやくチェンジとなった。

 相手投手も立ち上がり制球が乱れ、走者がたまったところで四番の捕手が長打を放ち、二点を返した。


 まともな試合にするには、打者を三振にとるしかない、苦しい台所事情。

 打球を絶対に外野にもっていかれんよう、どんなに苦心惨憺しても、鳴門南の強力打線、ワンイニングに一度やそこらは外野に飛んでいく。フライは盛大に落とし、ゴロはトンネル、送球は暴投の三拍子だ。


 二回の表はそれでも火の玉投手が二点で押さえた。


 三回の表、鳴門南の先頭打者がいきなり大きなライトフライを打ち上げた。来た! と声を上げる鳴門南ベンチ。うへえという表情の美馬スタンド。


 陸上部のライトは、得意の足を飛ばして球の落下点に入ると、胸に抱え込むようにして辛うじてキャッチした。


 美馬ナインは一斉に両腕を天に突き上げ、応援席は甲子園出場を決めたかのように大歓声を上げ、チンドン屋は割れんばかりに鉦太鼓を叩いた。


 美馬高の陸上部の

 大西くんったらまあ!

 短距離も早いけど

 野球もなかなかイケてるやん

 チンチンドンドン

 チンドンチンドン


 このあと、美馬スタンドは憑き物がついたかのように、外野がエラーするたびに


 落としたら拾うたらええ

 トンネルは追わえたらええ

 暴投は誰ぞに

 何とかしてもうたらええんじゃ

 ドンマイドンマイ美馬高

 チンチンドンドン

 チンドンチンドン


 とチンドン屋の囃子を先頭に奇妙な盛り上がりを見せる。


「あほう、しっかり捕らんかい」

 の合いの手が入ると


「そやそや、次はしっかり捕らんかい」

 とチンドン屋がチンチンドンドンと受ける。


 おミヨはくすくす笑いながらグラウンドの方に目を向けた。

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