第7話 アンチャンティー

 店に戻り、おミヨが錦竜水きんりょうすいを入れたペットボトルを自転車から下ろすと、ちょうど二度目のセラピーを終えた高校生が二階から降りてくるところだった。おミヨは客に軽く会釈をすると、ペットボトルの錦竜水を台所に運んだ。


 海四みよんは店の待合コーナーに高校生を座らせた。今度も過去世にたどりつけなかったのだろう。口元に微笑みを浮かべていたが、目は笑っていなかった。


「これ何?」


 海四は高校生のカバンにぶらさがっている小さなマスコットを指さした。

 プラバンでこしらえた、蜂須賀商業野球部のユニのミニチュアだ。小さな鈴がついていて、プラバンの本体と軽く触れあうたびにちりちりと可愛い音を立てた。


「野球部のお守りです。大会前に、私たちいつもお守りを作ってみんなに渡すんです」


「今度の夏の予選前にも、お守り作るん?」


「そうです」


 海四はにっこり笑うと、待合コーナーの奥の古びたタンスから白い小箱を取り出した。


「ほなら、これ使うてみたらどうで?」


 海四は慎重にテーブルに箱の中身を出して広げた。


 テーブルには、小さなパワーストーンが何十個も並んだ。黄、黒、白、茶、青、緑、赤、ピンク……どれも少しずつ色合いや形が違っている。よく見ると、アクセサリーにしやすいよう小さな穴が開けられていた。


「ええんですか?」


 高校生は、ぱあっと明るい表情になった。


「一応、成功とか魔よけとか、効能みたいなもんはあるにはあるんやけど、一番ええのは石としっかり向かい合って、ひとつひとつじっくり選んでいくことや」


 おミヨは、こんなにたくさんの石を一度に見たことはなかった。

 きらきらとしたエネルギーがこぼれ落ちんばかりに光を放っている。


「蜂商野球部いうたら、部員ようけおるやろ。ひとり一つずついきわたるよう、なんぼでももっていき」


「……すみません。私、あまりお金が……」


 高校生が心配そうな声で言うと、海四はかんまんかんまん、これはもともとみなもらいもんじゃけん、と胸を叩いた。


 赤い石、青い石、黒い石……部員ひとりひとりを思い浮かべながら、高校生は石をひとつずつ、ためつすがめつしながら選んでいった。おミヨは高校生の選んだ石を、新しいチャック付きの袋にまとめた。


「これ、おまけや」


 と横から海四がテーブルに残っていたピンク色の石を加えた。


 ――ああ、これ、恋愛の石やな。


 おミヨはピンクの石を別の小さな袋に収めると、ふたつの袋の口をきっちり止めて、高校生の手のひらに握らせた。


   ***


「梅沢くんの話聞いとると、こないだ来た時みたいに、ただただぐるぐる悩んどるだけではいつまでも前に行かれへんって、あの子なりに考えて腹をくくり始めとるようや」


 店の奥の居間で、ちゃぶ台に並べた遅めの夕飯を囲んで、海四は先ほどの来客――蜂商野球部マネージャーとのセッションを振り返った。


「海四さん、お守り、あの石使うたらきっとええことが……」


「いやな、石そのものより、お守り作りで自分の手ぇ動かすこと、それが今のあの子にはいちばん効くのや」


 海四は錦竜水を沸かした白湯をひと口すすった。


「……あ、みっちゃん、今晩、するで?」


 海四は、茶碗に少し残った飯に白湯を入れてかき込むと、おミヨにたずねた。

 

「……はい。せなならんと思います」


 おミヨは海四をまっすぐに見つめた。


   ***


 二階のセラピー室の窓を開ける。上を見ると夕闇迫る空が、下を見ると瓦屋根に囲まれた中庭が見える。ハーブの香りをかすかに含んだ風が入ってくる。


 おミヨは自分の入る行李を押し入れから出し、底にタオルケットを敷いた。


「みっちゃん、受け取ってくれるで」


 海四が階段の途中から声をかけた。

 おミヨは海四からお盆を受けとる。お盆の上には耐熱ガラスのカップが二つと、くし切りのスダチが二切れ乗った小皿。海四は台所に戻ると、今度は井戸水を沸かして入れた魔法瓶と青い花びらの入ったガラスポットを持って上ってきた。


「今日のお茶は何です?」


「アンチャン――バタフライピーともいうな。まあ、楽しみにしとって」


 海四がガラスポットに湯を注ぐと、透明な湯がたちまち鮮やかな青に変化した。おミヨは目を見張った。


「ちょっと早いんやけどな、庭のが少し咲き始めとって」


「うわあ、きれいなもんですね」


 花びらがポットの中でひらひらと舞うと、青の色は鮮やかさを増した。


「去年、タイから来たいうお客さんから種もろて育ててみたんやけど、こんなにきれいに出るなんて思わんかったわ」


 カップに移して、一口飲む。ピンとこない味だ。


「みっちゃん、これ入れてみ」


 海四がスダチを指す。

 親指と人差し指でくし切りのスダチをはさみ、ぐっと絞る。たちまち青い色の中にピンクが広がり、紫色に変化した。


「すごい…」


 スダチの酸味を帯びた紫の茶を飲みおえると、おミヨは術を解き狸の姿に戻り、行李に入りタオルケットにくるまった。


「眠うないで?」


「いえ」


「ほな、始めるか」


「……目をつぶって、目の奥の方をよう見てね……いち、に、さん!」


 海四は指をパチンと弾いた。同時に、過去世をつなぐビジョンを行李の真上に展開する。


「みっちゃん、前に進めるで?」


「……暗いです……ゆっくりなら、行けます……」


「……今、どこにおる?」


「……道……山道……」


「少し前に進んでみ」


「……はい」


 海四は行李の上のビジョンを見つめて、静かに声をかける。おミヨがうなずく。


「……林みたいなところに来ました……狸の巣穴が、あります……」


「穴に何かおるで?」


 おミヨは四つ足でそろそろ近づくと、その穴に顔を突っ込む。


 左前足に包帯を巻いた梅吉が横たわっていた。


「みっちゃん、少し上の方に行ける?」


「はい」


 おミヨは手近の木によじ登った。


 風呂敷包みをくわえた狸が穴に入っていくのが見えた。

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