第5話 蜂商野球部女子マネ

 ――はい、サロンいせきです。……お二人様ですか? ……申し訳ございません。こちらは時間枠あたりお一人様の施術となっております。お友達同士ですか……申し訳ございません……


 店の黒電話に入った予約の電話を、娘姿に変化したおミヨはぼんやりと聞いていた。先ほどのセラピー、あれほど鮮明だったはずの過去世なのに、セラピーが終わってはたと気がつくと、なぜか具体的なことはほとんど思い出せない。

 ただ、切れ切れの記憶の欠片がおミヨの胸を締めつけてきて、無性に涙がこぼれそうになる。


 小一時間して、再び店の電話が鳴った。さっきのクライアントだ。

 友達には内緒で、一人で受けたいという話だった。海四みよんは次の日の夕方の時間帯に予約を受けた。


 やって来たのは髪をポニーテールにした制服姿の高校生だった。全身からピリピリ不安気なオーラを放っている。海四は気持ちを落ち着けるハーブを選んで摘み、おミヨは井戸水を汲んで沸かした。


 二階のセラピー室でハーブティーをすすりながら、海四は「どこの学校なん?」と話しかけた。高校生は口をつぐんだまま答えなかった。制服で県立蜂須賀商業高校の生徒だということはわかったが、海四は深入りはせず、寝台に横になるよう言うと、そのまま施術に入った。


 ――そうっと目をつぶって下さい。私が数を数えると、あなたは過去に続く扉の前に出ます…それでは ……いち、に、さん!


 パチン。


 ――何か見えますか?


 ――いいえ……


 ――もう少し、前に進めますか?


 ――は、はい……


 ビジョンを開く。何も見えない。


 ――心配しないで下さい。あなたは今、とても安全なところにいます。これから、私と一緒に過去世の扉を開いていきましょう。……数えます……いち、に、さん!


 パチン。


 ――そう、手を伸ばして、ゆっくり……


 ――あの、扉って、どこにあるんですか? あれのことですか?


 高校生はセラピー室の隣の、三畳間に続く襖を指差した。ビジョンは真っ暗なままだ。


 ――ごめんなさい。お客さん、一緒に過去世に行けなくて……


 ――私、もともと第六感とかって全然縁がなくて……友達がやってみたいって言ってて、どんなんだろって思ったから……


 高校生の言葉の端々に、悔しさがにじみ出す。

 海四は高校生に寝台から身を起こすよう声をかけると、傍らのテーブルの水晶玉に手を伸ばした。


「でも、こうやってここに来てくれたのは、何か、誰にも相談できんようなことがあったからちがいますか?」


 おミヨは落ち着かない様子でどんぐり眼をきょろきょろさせた。


「……セラピー受けたら、なんか、自分が生まれ変われるような、今のことがきっといい方にいくかもって思って……そういうこと、あまり期待したらあかんのかもですけど……」


 高校生は涙ぐみながらぽつりぽつり語る。


「ごめんなさいね……」


「いえ……私、すごく鈍い方だから……」


 ――海四は水晶玉をのぞき込んだ。


「ねえ、あなた、ひょっとして、誰か好きな人おるの?」


「あの……私、蜂須賀商業の二年生で……」


 高校生は濃紺の紐タイに手をやった。


「蜂須賀商業かあ。春の甲子園で、けっこういいとこまで、いってたじゃない」


 おミヨはけげんな表情で、交互にふたりに目をやった。


「……私、野球部のマネージャーなんです……」


 お客さん、あなたの目の前で、昨夏まで二年半、タチノー野球部で高校球児稼業やってきた化狸がうろちょろしよります!


「心配せんでもええんよ。客商売しよる以上、お客さんの秘密を勝手に漏らすのは厳禁やから」


「……セラピー受けても、私みたいに、過去世全然見えん人もおるんですか?」


「ええ。ただ、その人の人生の中で、見るタイミングが今ではない、いうこともありますからね」


「……あの……私……」


 海四はもう一度水晶玉を覗く。


「……先輩のことが……」


「ひょっとして、それでマネージャーになったんですか?」


 おミヨが口を挟むと、海四はさりげなく人差し指を唇に当てる。


「すごく……なんか……毎日……」


「話とかするの?」


 高校生はかぶりを振った。


 海四は水晶玉の中に浮かんだビジョンをじっと注視した。おミヨも横から覗き込む。焦点がゆっくりと定まっていく映像を見て、おミヨは息を飲んだ


 ――あ……あ!


 そう叫びそうになって咄嗟に口に手を当てた。


 ――みっちゃん、ちょっと台所見てきてくれへん?


 これは、クライアントから離れるように、という符丁だ。おミヨは、はいと返事すると階段を降りていった。


「この子?」


「……はい……」


「ほんまに、ええ感じの子やな」


「はい。……いろいろ声かけてくれたり……」


「誰にでも、やろ?」


「そうです……でも、ええんです……」


「ほんまは、ええことないん違う?」


 ビジョンを見ながら、海四はスパッと言った。


「昨日あなたと一緒に電話してきた友達、あなたと同じ野球部のマネージャーやろ?」


「……はい……」


「その子も、この先輩のこと、気にしよるの?」


「……わかりません」


「気にしよったとしたら、どないする?」


 高校生はわっと泣き出した。


 おミヨは階下でしばらくぼんやりしていたが、つと立ち上がり、風呂場の古めかしい五右衛門風呂に井戸の水を入れ始めた。いつもは水道の水を入れるのだが、おミヨはバケツを手にして、左足を軽く引きながら井戸と風呂場の間を往復した。


 水を入れ終えると、おミヨは裏の勝手口を出て、隣の寿司屋に回った。


「今晩は。いせきです」


「ああ、いせきはん、お箸やったらそこにあるけん、持って行き」


 寿司屋の女将が土間に置いた大きなビニール袋を指差す。袋には使用済の割り箸でいっぱいになってる。


「はい」


 おミヨは袋を持って、風呂の焚き口の前に座った。傍らの新聞紙と袋から出した割り箸を焚き口に入れ、火をつける。海四に教わった手順通り火をおこしていく。

 火を見つめながら、おミヨは寿司屋から切れ切れに聞こえてくる、調子っ外れのカラオケの歌詞をたどった。


 ……向かいあわせのデスク

 隣どうしの出勤札 

 九時から五時まで、毎日

 ずっとずっと、あなたのそばにいるのに……

 近くて遠い、届きそうで、届かない あなたの心……


 おミヨはそっと階段の下から二階をうかがった。

 高校生のしゃくり上げる声がもれてきた。


「すごく……苦しくて……つらくて……」


 海四はフェイスタオルを差し出した。


「それでこのセッションを受けたら、何かが変わる、って思うたんよね」


 高校生はタオルで目元を押さえながらうなずいた。


「気持ち、伝えたことあるの?」


「……いいえ……梅沢先輩は、今、大事な時だし……そんなこと……」


 ――梅沢? 蜂商の正捕手で四番打者、春の甲子園では巧みなリードと長打力で蜂商躍進の原動力となった、あの梅沢喜一?


「大事な時?」


「……はい、二年に同じポジションで先輩を上回るくらいに力のある人がおるから……」


 海四はビジョンを確かめる。


「……ひょっとして、先輩、怪我とかしてない?」


「……わかりません……」


「湿布とか、アイシング系のものを、切らさんようにした方がいいかも……」


「はい」


「あと、何かあった時に、先輩を支えられるような、そんな人に、なってね……多分、あなたにしかできんことが必ず出てくるから……」


「何か、って?」


「詳しくはわからない……私に言えるのは、ここまでや。あと、友達の方だけど、これは私がどうこうできるものじゃないから……ごめんね」


「ごめんなさい。うちがわがままなんです」


「あんな、自分のこと、そんな風に考えたらあかんよ。しんどくなったら、またおいで」


「ありがとうございます」


 高校生が帰り、店を閉めると海四とおミヨは交代で風呂を使った。


「みっちゃん、お風呂、井戸水でしてくれたんやね。ありがとう。すっとするわ」


「……さっきの子が言うてたの、この人ですよね」


 おミヨは焚き付けの古新聞を開いて見せた。ダイヤモンドの要の位置から、両手を上げてナインに声かけする蜂須賀商業・梅沢喜一の写真。


「みっちゃん」


「海四さん、うち、この人知らんはずやのに、なんでか知らん、ものすごう苦しいなる。なんでやろ……」


「たぶんな、あんた、それ、ひょっとしたら、あんたが一番よう知っとるかもしれんな」

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