第4話 重清カノ
――ウチら……みな……狸です……
――それで?
――ウチら、野球部に……美馬農林学校におって……ええんですか?
みっちゃん、今どこ?
部室。
誰かおるの?
監督……
何の話?
ウチらが……狸や……いうこと……誰かが帰りしなに、ウチらの制服の裾に、こっそり赤い糸を通した針を刺しよったんです……ウチらは、毎日山の巣に戻っとりましたけん、赤い糸を辿られて……一発でバレました。
そんなことする人おるんや……
……学校の先生の中には、狸になぞ教えることやかし何もない、言う人もおりました……クラスメートの中にも、狸の同級生なんか願い下げや、と面と向かって言うてくるのがおったり、生徒の親も、狸に噛まれでもしたら、変な病気でも伝染されたら言うて校長に直談判に来る人もおりました。
それで、どないなったん? みっちゃん。
あの当時の校長先生――岡田一雄先生はほんまに立派でした。ウチらは学校では他の学友と寸分変わらぬ人に化けております。狸も人も同じ試験を突破して入学した以上、同じ学窓で学ぶことのどこがあかんのか、狸が噛む言いますが、人間の方こそ殴り合いの喧嘩するやないですか、何か起こったらわしが全部責任とるきに、とおっしゃってくれたんです。
後藤監督も、狸も人も同じように練習して、力のある者を試合に出すだけじゃ、それが嫌やったら蜂須賀商業にでもどこにでも行ってはいりょ、とまで言うて下さいました。
……海四が開いたビジョンが、次第に別の場面に移ってゆく。
――みっちゃん。
おミヨの顔が引きつっている。
ビジョンに目をやると、どんぐり眼の新入部員が上級生たちに取り囲まれている。
――どないしたん? みっちゃん。
ビジョンからどすの効いた声が聞こえてきた。
「一年のくせに、えらい生意気なやっちゃな。このど狸」
「ど狸いうな!」
画面を見ると、小柄な一年生が怒って上級生にむしゃぶりつく様子が現れた。
あっという間に突き飛ばされる。
一年生は低い唸り声を上げながら跳ね起きると、再び上級生に飛びかかる。
「狸公、早よ尻尾出さんかい」
「狸公いうな! いうなあっ!」
上級生にからかわれてカンカンに怒った一年生は、のどを振り絞るように叫び声を上げると、今度はその足にしがみついてきた。
「何だこいつ」
上級生たちが集まり、わらわらと一年生を蹴飛ばし始める。
「こら離せ」
「しつこいやっちゃな」
「さっさと尻尾出さんかい、このクソ狸め」
――みっちゃん……、みっちゃん!
海四がおミヨに声をかける。
――ウチ、大丈夫や……かまわんといて……
おミヨは現世と過去世のはざまを行き来しながら答える。
「お前たち、何しよんじゃ!」
ビジョンの端から怒鳴り声が響いた。
――後藤監督や……
「森、藤井、吉田、田中、それから
重清カノと呼ばれた一年生は、上級生の足から手を離して立ち上がった。
「喧嘩するなら、なんしに一対一でせんのじゃ!」
上級生たちは下を向いて固まった。
「わしが見ていてやるから、正々堂々やらんか。喧嘩を始めたのは誰と誰じゃ」
重清カノが一歩前に出ると、森を指さして
「あんたやろ! 最初にウチのこと、狸公だのど狸だの言いよってからに!」
そう言うと自分よりはるかに背の高い森にむしゃぶりついていった。
森はあわててカノを振り払った。回転レシーブの要領でぱっと跳ね起きるカノ。
……何度も突き飛ばされ、転がされるうちにカノは息が切れ、少しずつ動きが鈍くなっていった。カノはさっきの要領で森の足にしがみついたが、腕に力が入らず、あっさりと振り切られてしまった。
四つん這いになったカノの尻に、ふさふさの尻尾が現われた。
どっと笑う上級生たち。
――化けるのがうまくない子って、時々やってしまうんですよね……
そう言いながら、おミヨは悔しそうな表情を隠さない。
「ばかもん!」
監督が怒鳴った。びっくりした顔でその顔を見つめる上級生たち。
「尻尾があったから言うて、野球やるのに、何のさわりがある言うんじゃ! こんなふうに毎日毎日しょうもないことばっかり気にしよるけん、お前らはいっつも出ると負けなんじゃ!」
カノは四つん這いになったまま涙ぐんでいる。
監督はカノの方に向き直ると
「重清カノ、さっさと立ちらんか」
と声をかけた。
涙をぼろぼろ流しながら立ち上がったカノを、後藤監督は
「泣くな。泣くんなら野球なんかやめろ」
と叱りつけた。
「嫌じゃ! ウチ泣いてへん!」
カノはあわてて顔を何度もぬぐった。
「野球やるんじゃ! ウチは泣かん! 泣かん!」
カノは尻尾を出したまま地団駄踏んで叫んだ。
……行李の中で、おミヨが後ろ足をばたつかせている。
再び揺らぐビジョン。
みっちゃん……どこ……?
校舎の前……ウチと狸の朋輩の七兵衛、それから主戦投手の武市先輩が監督の前に並べられて、怒られとる……
何したん?
赤点取った……こんなとこで油売っとる場合か! すぐに教室戻って追試の勉強せい! 野球の練習したかったら合格せい! とめちゃめちゃ怒鳴られました…
キツいなぁ……
後藤監督は人間にも狸にも、ええことはええ、あかんことはあかん、と筋が通っておりました。
――ビジョンが校舎の方向からゆっくりと回転し、グラウンドの隅の水場を映し出した。目の周りに黒い狸隈を浮かべた部員が、水道の水をざんざん出して腕まくりした左手を肘のところから洗って――いや、冷やしている。
海四の表情から、微笑みが消えた。
……梅吉。どないしたん?
……何でもない。
「おーい梅吉、今日もいけるで?」
「いけるいける、今行くけん」
みっちゃん、何かあったん?
梅吉の……左手が真っ赤になっとった……
梅吉?
キャッチャーや。ウチら狸の朋輩で、あの子自分の練習にもなるけん言うて、二人おるピッチャーの練習相手、全体練のあと毎日残ってからにずっとしよったんじゃ。
大丈夫やのそれ?
大丈夫なわけないでないで。武市さんの球は速い上に重うて重うて。それからもう一人ときた日には投げたら最後どこに行くかわからん荒れ球でな、梅吉はおんぼろのミットでそれを毎日何百球も捕っとったんじゃ。あん時、梅吉は狸の姿になっても左の前足ようつかんようなって、三本足で歩っきょった。ウチはもう居ても立ってもおれんかったわ。
みっちゃん、辛いで?少し休むで?
……梅吉、今日は止めとき……
……梅吉……
「みっちゃん……今日は……もう、やめとこ、な……」
海四はビジョンを閉じると、おミヨを過去世からゆっくり引き戻した。そして、狸の姿でかすかに震えているおミヨをそっと抱き上げた。
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