第3話 おミヨの過去世

 分厚い更紗のカーテンをぱっと開け、引き戸をカラリと開く。

 おミヨはぱたぱたと外に出ると、表に看板代わりの白い小さな札を掛けた。


   Hypnotherapy Salon

     ISEKI

      Open

 

 朝の太陽が店いっぱいに差し込み、玄関口のたたきをほうきで掃き清める作務衣姿のおミヨを照らし出した。


「おはようございます」


 右隣の寿司屋の女将さんが店先に打ち水をはじめ、左隣のレンタカー屋では大奥さんがシャッターを押し上げる。


「すみません。遅くなりました」


 予約客が姿を見せる。


「いらっしゃい。佐藤様ですね」


 海四みよんはクライアントを二階のセラピー室に案内し、おミヨは教わった通りに中庭のハーブを摘み、魔法瓶に熱い湯を満たした。


「……ここに横になってください」

 ハーブティーを飲み終えると、海四は水晶玉を手元に引き寄せ、クライアントに声をかけた。初めて見るヒプノセラピーのセッションに、おミヨは思わず身を乗り出した。


「……目をつぶって、目の奥の方をのぞき込むような感じで、ゆっくり呼吸をしてください……いち、に、さん!」


 海四は指をパチンと弾いた。同時に、過去世を確認するビジョンを開いた。小さなテレビ画面のようなものが、クライアントの頭のすぐ上に浮き上がるようにあらわれた。きゃっきゃっとはしゃぐ幼子の声と、子をあやす異国の言葉が画面から流れ出てきた。


「……では、次は二十歳の頃へ移動します。――いち、に、さん!」


 見事だ。ただの人間ができる技ではない。化学ばけがくの時間に先生が、人間の中にも、数は少ないが狸に勝るとも劣らぬ能力を備えた者がいる、と話していたことをおミヨはありありと思い出していた。


   ***


 すっきりした表情で店を出るクライアントを見送ると、海四とおミヨはハーブの香りの残る二階のセラピー室に戻った。


「みっちゃん、どやった?」


「先生……海四さん、ウチ、前世療法って初めて見ました」


 おミヨは目をぱちくりさせて言った。


「どやった?」


「何て言うたらええか……こう、胸がきゅっとなる、いうか……」


「いずれはあんたにも、セッションをしてもらうことになるけんな」


「ウチが、前世療法を?」


 海四は苦笑いをした。


「たしかに、世間では前世療法いう言葉の方がポピュラーなんやけど、ヒプノセラピー、過去世退行催眠はあくまでも病気を治すわけではないんよ。みっちゃん、療法いう言葉、うちは使わんようにしとるんよ」


 海四の言う通り、「療法」と言ってしまうと、クライアントの誤解を招きかねない。


「お客さんは病人とはちがいますよね」


「その通りや。うちらセラピストの役割は、クライアントの話に耳を傾けて、過去世への扉を開いて、過去世を知る手伝いをするだけなんや。ほなけん、過去世の記憶を支えにしながら、壁を突き破って乗り越えていくのはクライアント自身なんや。うちはそない考えてるんじょ」


「佐藤様の過去世のビジョンは、ウチが見ていてもほんまにあったかい感じがしました」


 おミヨはビジョンに浮かんだ中世ヨーロッパ農民の家族団欒の風景を思い出し、無邪気にほほ笑んだ。


「さっき見たように、ほとんどは今日みたいな感じなんやけど、中にはかなりしんどい過去世を抱えておられるクライアントもおってな……その時はみっちゃん、頼むで」


「はい」


 おミヨは神妙な表情で答えた。


「そや、このお茶の残り、下で一緒に飲まんで?」


 海四はハーブティーのポットとカップを盆にのせて立ち上がった。


   ***


 ある日。


 午前の客を見送ったあとに居間で簡単な昼食をとりながら、海四はだしぬけにこう切り出した。


「そやみっちゃん、今日はもう予約入ってへんし、あんたの過去世ちょっと見せてもろてもええで?」


 おミヨはどんぐり眼をひとつぱちくりさせた。


「ウチのですか? あはは、もと野球部の狸の過去世なんか、おもっしょいことひとっつもないですよ」


 海四は口にもっていきかけた竹輪ちっかをごはんのてっぺんに乗せた。


「あんた野球部やったの? マネージャー?」


「違いますよ。高野連の注文通りきっちり化けて、試合に出とりましたよ」


 おミヨはくりくりした瞳で海四をまっすぐ見つめた。


 あ……この子……間違いない、あの時の子や。


 夏の徳島県予選で、センターからダイレクトでバックホームした強肩の子。


「化け直しましょか?」


「いらんいらん!」


 海四は両手を突き出し、笑いながらかぶりを振った。


「ほな、準備するけん、裏の井戸から水汲んできてくれるで?」


「はい」


 海四は狭い中庭から慎重に何種類かのハーブを取ると、大きな耐熱ガラスのポットに入れた。井戸水を沸かし、魔法瓶に入れる。急な階段を一段ずつ、そろりそろりと運ぶ。

 おミヨはカップを2つ載せた盆を捧げ持ち、そろそろとついていく。


 二階で茶を飲むと、海四はおミヨに


「術解くで?」


 と聞いた。


「ええんですか? 毛が散ります」


「なら、ここに入り、な」


 海四は押し入れから古びた行李を出すと、その中にタオルケットを敷いた。

 おミヨは術を解き狸の姿に戻ると、行李の中に入った。


 徳島本町に来て初めて元の姿になった。

 タオルケットの上に横になると、この間の緊張が一気に解けていった。

 気持ちいい。


「みっちゃん、眠いで? 眠かったらそのまましばらく寝ない」


「はい……」


 狸の姿に戻ったおミヨは、ホッとしたのかすやすや寝息を立てはじめた。海四もその傍に身を横たえた。


 一階の店の時計がボーン、ボーンと2つ打った。海四がゆっくりと身体を起こすと、おミヨも行李から顔を覗かせた。冷めたハーブティーの残りをふたりですすると、海四は「みっちゃん、行くか」と声を掛けた。


「はい」


「……ほな、横になって、目をつぶって、目の奥の方をよう見てね…いち、に、さん!」


 海四は指をパチンと弾いた。同時に、過去世を確認するビジョンをおミヨの入った行李の真上に展開した。


「みっちゃん、今どこにおる?」


「……暗いです…わかりません…」


「ほな、もう一度数えるけんな、……いち、に、さん!」


「……」


「少し前に進んでみ」


「はい」


「扉みたいなもん、あるで?」


 海四は行李の上のビジョンを見つめて、静かに声をかける。おミヨがうなずく。


「そしたらな、その扉をそーっと開けてみ」


 おミヨは目の前の引き戸に手をかけ、すうっと左にすべらせた。


 おミヨは中に入っていった。明るい光があふれ、その中に全身が溶けていくような、何ともいえぬ心地よさ。


 光に目が慣れていくと、おミヨは見慣れたグラウンドに立っていた。


 蔵本球場だろうか?

 でも何だか雰囲気が違う。


 軍服を着た兵隊のような人群れがわちゃわちゃしている。スタンドはどこも満員だ。一塁側・三塁側の観客席では両校の生徒たちが、学生帽を振りながら古くさい歌詞の応援歌を歌っている。内野席から外野席まで、カンカン帽の紳士、着物に前垂れの小僧、日傘の女学生、そして丸刈り頭の子どもたちで溢れている……まるで戦前のモノクロ映画を見ているようだ。


 応援席の横断幕は、画数のやたら多い旧字体で右から左に墨痕淋漓と「必勝蜂須賀商業學校」――


 海四にそれを伝えると、海四はもう少しそこで様子を見るよう言った。


 ……おミヨのところに球が飛んできた。浅めのフライだ。素早く落下点に入って捕るやそのまま捕手に返球、タッチアップしてホームに突進するランナーを間一髪アウトにした。


「加納! 加納!」


 やんやと沸き立つ応援席。


 ウチ、ほんま前世でもやってることちっとも変わらへん、何やしらん、ポジションまで一緒みたいや、と行李の中でおミヨはぼやいてみせた。

 みっちゃんはきれいなべべ着たお姫様の方がよかったんかいな?  と海四が言うと、おミヨはそらそうや、ほなけんどこれもみなウンメイとかインネンとかリンネとかいうやつなんやろね、と顔をぎゅっとしかめて見せた。


 ――試合、どことしよるの?


 ――蜂須賀商業。ごっつ強いとこや。


 ――あんたのチームは?


 ――……み……の……みま……のう……


 ――美馬農林?  


 ――美馬農林です。


 ――そや、美馬農林いうたら、重清村しげきよそんの山ん中の学校やのに、戦前かなり強かったって、子どもの頃お父ちゃんから聞いたことある。甲子園でもええとこまで行ったんちゃうかな? みっちゃん、そんなとこの選手やったの?


 ――なんかそうみたいや……


「みっちゃん、少し前……美馬農林に入った頃あたりに戻ろうか」


「はい」


 ……ビジョンが揺らぐ。

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