死の前に何を望む

「……言い過ぎたかな」


 ユーフェミアは溢した。そこは、ただの真白い空間だった。天も地も区別なく、果てしなく白が続く世界。

 その中に一つだけ、扉があった。白い石でできた、豪奢な扉。彫刻された戸板は、今は左右に開け放されている。

 ユーフェミアは、その扉の入口に立っていた。


「良いんじゃない?」


 そんな彼女に掛けられる声が一つ。高い声に尊大さを含ませているのは、一人の少女だった。太陽のように色の濃い金の長い髪を持ち、白の法衣を纏った娘。彼女は開かれた扉の向こう側に胡座を掻いて座り込み、意志の強い赤の瞳でユーフェミアを見上げている。


「あなたのこと見ない人だもの。もうちょっとくらいガツンと言ってやりなさいよ」

「貴女がそれを言う?」


 ユーフェミアは数歩前に出て、しゃがみ込んだ。不遜な赤い瞳と視線の高さが合う。


「私の身体を乗っ取ろうとした、聖魔女さまが」

「あなたはわたしのものなんだもの。すなわち、あなたに対する侮辱は、わたしに対する侮辱」

「何度でも言うけれど、貴女のものになった覚えはないわ」


 そう跳ね除けておきながら、ユーフェミアは小さく吹き出した。端からすると不毛なやり取りに見えるこれは、ちょっとしたじゃれあいだった。

 聖魔女セラフィーナ。死後の浄化を受けぬままにユーフェミアの身体に宿った魂。だが、今となっては、ユーフェミアと身体を共有し、精神世界でお喋りに興じるだけの、不遜な少女に過ぎなかった。

 そんな彼女とは、現実世界での出来事を共有している。セラフィーナは、ユーフェミアがヘクターから受けたに腹を立てているらしい。


「仕打ちっていうほど酷い目に遭ってないのだけれど」

「個人に他人を重ねている時点で、それは尊厳破壊よ」

「だから、貴女が言う?」


 それこそ過去にセラフィーナにされたを思い出して、ユーフェミアが呆れ果てると、


「わたしだから言うのよ」


 セラフィーナの唇が弧を描いた。ただし、その目は笑っていない。

 まあ、どうであれ、自分のことを心配してくれている。それが有難いことは確かだった。


「それより、お探しのものだけど」

「魔法書のこと?」


 先程も言ったように、セラフィーナはユーフェミアの身に起きたことを知っている。だから、ユーフェミアが探し求めているものについても知っていた。


「死を迫られている人間がすることってなんだと思う?」


 ユーフェミアは目を瞬かせ、それから頭を捻った。シェキナ監獄に囚われていた魔女のことを思い、自らが同じ境遇に居たときのことを思い出す。

 生きることに未練があった。自分を必要として欲しかった。自分がこの世界に居ることを、誰かに知って欲しかった。証明したかった。

 答えたユーフェミアは、セラフィーナより言を受ける。

 ユーフェミアは目を瞠った。



 ◇ ◆ ◇



 現実に意識を戻したユーフェミアは、出たばかりの部屋に取って返した。そこにはまだ、部屋の真ん中で虚ろな表情をしたヘクターが佇んでいた。彼はユーフェミアを視界に入れると気まずそうに顔を歪めたが、ユーフェミアはそれに構わず、部屋の入口に立ち、肩から下げた鞄から本と同じくらいの大きさの黒板を取り出した。

 ランプを床に置き、自身も這いつくばって、黒板にチョークで魔法文字を書き入れる。

 ヘクターが怪訝そうに、こちらの様子を窺った。

 文字を書き終えたユーフェミアは、黒板を突き出すように持ち、魔力を流した。辺を光らせた立方体が黒板の上に現れる。立方体は中心から膨張するように拡大すると、光の線を部屋の中に行き渡らせた。

 やがて、光が消える。床――絨毯の下の一点に、球のような光を残して。

 ユーフェミアは、その光の球の側に行った。絨毯の縁のほうだった。ユーフェミアは絨毯を剥がし、床を露わにした。それから、灰色の石を刳り抜こうと、隙間に指を立てる。

 想像よりも軽い手応えを伴って、四角い石の一つが抜けた。ランプを掲げ、できた穴を覗き見る。そこにあるのを確認して、手を突っ込み引っ張り出したのは、一冊の本。


「……なんですか、それ」


 思い悩みながらもユーフェミアのしていることが気になったヘクターが、穴の向かい側に立ち、ページを開いたユーフェミアの手元を覗き込む。


「日記。おそらくこの部屋に閉じ込められた魔女の」


 精神世界でセラフィーナに示唆されたもの。それは記録。ユーフェミアも、それははじめから思い至っていた。だから、本棚や机の抽斗ひきだしを率先して探した。


『でも普通、世間が怯える魔女の日記を、凡人たちがご丁寧に取っておいてくれると思う?』

『……現に、魔法書は残っているけれど』

『それについては驚いているわよ。まさか焚書ふんしょを免れているなんて。まあ、つまりわたしが言いたいのは――』


 日記は隠されているのではないか、という可能性。

 そこに至ったから、ユーフェミアはこの部屋に戻ってきた。そして、探索魔法を使用して、この日記を見つけ出したのだ。


 床に座り込んだユーフェミアは、ランプの明かりを頼りに古びたページをめくった。書かれた文字は流麗で、気品の高さが窺えた。記録されているのは、彼女の想い。貴族として民に尽くしてきた日常が、突如流行りだした魔女狩りによって覆された、その無念。そして、監獄での日々。魔法書を綴りはじめたこととその動機。

 一通り目を通したユーフェミアは、日記を閉じ立ち上がった。


「……先輩?」

「上に行こう」

「上?」


 眉を顰めるヘクターの前を、ユーフェミアは通り過ぎた。


「あの魔法書の使い道が分かった」


 城壁の居館の居住階の上は、武器庫となっている。その上はテラスとなっており、つまり外に通じている。城壁として活躍していた頃は、下から武器を調達しつつ、敵を迎え撃っていたのだろう。監獄時代は、逃亡者を逃さぬ監視塔だろうか。今は、立入禁止の場所だ。

 ロープを潜り抜け、外へ出る。中央の円錐の屋根をぐるりと囲むように、凹凸の胸壁があった。屋根と胸壁の合間は、歩哨となっている。

 冷涼な空気にその身をさらしたユーフェミアは、まず一周胸壁に沿って回ってみた。天頂に近づきつつある満月が、灰色の建物を照らし出す。歩哨の大半は月明かりの下だったが、一部屋根で陰になる場所もあった。この屋根がなければ良かったのに、とユーフェミアは思う。本当は建物の中央が良かったのだ。だが、鋭角の屋根は登れない。

 結局、月に面したところを選んだ。ランプを胸壁に起き、鞄から件の魔法書を出す。紐で綴じられたその本の表紙は、月明かりと同じ色をしていた。


「『はく』。地上に留まっている魂の意。そして、月の光や月の影の意味も持つ」


 ユーフェミアは本の表紙をそっと撫でた。表紙に書かれた一つの魔法文字。この本の目的を知った今では、なるほど適切な文字を選んだものだな、と思う。


「この監獄、幽霊の噂があったでしょう?」


 ユーフェミアは、魂が抜けた表情のままついてきたヘクターに語りかけた。やはり先程は少し言い過ぎたか、と思いつつも、ヘクターの瞳に疑問の色が映るのを見て、安堵した。いつまでも気に病まれても困る。ユーフェミアは、別にヘクターにはいないのだ。


「たぶん、本当にここには幽霊がいるの」


 監獄に収監された魔女たちの魂は、死してなおこの地に縛られた。怨念か、それとも悲哀か。いずれにしろ彼女たちには未練が残った。

 そうして、魂は浄化の旅路へと至れなかった。


「この魔法書の著者は――あの部屋の日記の魔女は、そんな彼女たちを哀れんだのね。だから、この魔法書で魂を導こうとした」


 これは、そのための儀式の本だ。

 だが、結局魔法書は使われなかった。その魔女自身が処刑されてしまったから。日記の末尾には、処刑が決まったことと、魔法書を完成させることのできなかった未練が綴られていた。

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