いざ探索へ
今宵は、満月だった。
市壁に阻まれなかなか顔を見せなかった月にようやくまみえた頃、ヘクターとユーフェミアは、ラスカ市の職員の案内でシェキナ監獄の前に来た。堀に架けられた跳ね橋を渡る。その向こうには、鉄格子の扉で塞がれた城門。その門の前で年若い案内係は足を止め、ヘクターたちのほうを振り返った。
「夜明けまでにお願いしますよ」
ひんやりとした空気の中駆り出されて、職員は若干うんざりした様子を滲ませていた。若さ故に予期せぬ残業を押しつけられたのだろう。ヘクターたちへの恨みのようなものが、言葉の端々から感じられた。
「それから、あまり荒らさないでください。特に、順路に沿ったところは。明日も観光客を迎えるつもりなので」
営業に支障が出ては困る、と職員は強調した。ユーフェミアが真摯に受け止めると、職員は鍵を押し付けて、踵を返した。鍵は明日庁舎に返してくれれば良いのだそうだ。
てっきり監視が付くだろうと思っていたヘクターは、驚愕した。
「よくこんな許可が下りましたね」
「本当にね」
懇願したはずのユーフェミアは、鍵を弄びながら頷いた。
「なんでも幽霊の噂があるみたいで。職員でも夜にはあまり近づきたがる人はいないみたいだけど」
いつの間にかそのような情報を、フェイから引き出していたらしい。
「幽霊?」
「そう。監獄に囚われていた魔女の亡霊だとか」
〝監獄〟には処刑場も備えられている。人死にが多かった場所なのだ。そういうところは自然と幽霊の噂が立ちはじめる。
「へえ、信じてるんだ。可愛いな」
ヘクターは笑みを含んだ言葉を溢した。余所者を置いて帰るということは、そういうことだろう。迷信深い土地柄なのかもしれない。何と言ったって、魔女狩りを率先して行っていたところでもあるのだし。
「ギランくんは気にしないんだ」
「死後の魂は冥界に行き、そこで浄化を受けるんでしょう?」
そして、魂がまっさらになった後、新しい肉体を得て生まれ変わる。それがこの世界の理だった。幽霊になる余地などない、とヘクターは思っている。
「だったら――」
そんなヘクターをユーフェミアは物言いたげに見つめ、やがて頭を振った。何か言葉を呑み込んだようだった。
少し不審に思いながらも、ヘクターは続ける。
「それに、本当にいるんなら、本の由来も聞き出せるかもしれませんよ?」
「そうかもしれないけれど……」
ユーフェミアは浮かない顔だ。
「……先輩は怖いんですか?」
まさか、と思いつつ尋ねる。幽霊が怖いだなんて、本当に言い出さないか危惧した。
ユーフェミアは唇を引き結んで考え込む様子を見せると、徐ろに口を開いた。
「この地に縛られるほどの未練が残ってしまう死は、怖いと思う」
ヘクターは眉を顰めた。期待した答えとも、懸念していた答えとも違った。何かを悟ったような口振り。
これは、と遅れて感嘆の波が襲う。まさか英雄の言葉だろうか。
「それってどういう――」
期待をもって追及しようとしたが、ユーフェミアは沈んだ様子のまま、ヘクターを振り切るように先に行ってしまった。門の鍵を開ける。金属が軋む音を立てて、監獄への入口が開かれた。
城門を抜けた先、周壁の中は
目を引くものは、闇が凝ったような暗い色の
重い木の扉を開く。その先は、真っ暗闇だった。
「明かりが要りますね」
ユーフェミアはヘクターの言葉に頷くと、しゃがみ込み、ずっと携えていたランプを地面に置いた。ホヤガラスを持ち上げて、マッチを擦る。
ヘクターは呆然とした。
「……魔法は使わないんですか?」
英雄の生まれ変わり云々を横に置いても、ユーフェミアは魔道士だ。火を点けることなど、造作もないはず。
「うん。……調整するの、苦手だから」
オイルランプの暖色の明かりが、ユーフェミアの苦々しい表情を照らした。
嘘だろ。ヘクターは喉の奥で呟く。魔道士の頂点である宮廷魔道士になれるだけの素養を持っていながら、ランプの火を灯すという魔法使いになら誰にでもできるようなことが〝苦手〟だと?
ユーフェミアが逃げるようにランプを拾い上げて建物の中へと入っていくのを見て、ヘクターは愕然とした。事実なのだ。
幻想抱いていた英雄の姿が、崩れ落ちる音がした。
絶望のあまり足元がふらつくが、どうにか歩いて居館の中に入る。
入ってすぐは、城塞時代に大広間だった場所。今は正面にカウンターがあり、後付けされた壁によって仕切られている。人が三人ほど並べる幅の廊下、その左手側は事務所。右手側は面会室が三つある、とヘクターがパンフレットには書いてあった。
「さて、どうします?」
半ば投げやりになって尋ねた。期待を裏切られた相手だ。付き合うのは馬鹿らしいが、一応仕事なのだから投げ出せない。
ユーフェミアが掲げるランプの下で、ヘクターは三つ折りの紙を広げた。横からパンフレットを覗き込むユーフェミア。真剣そうな顔が、忌々しく思えた。
「そこの事務所とか、入ってみます?」
適当に近くの扉を指差す。
しかし、ユーフェミアは首を横に振った。
「本を書いたのは、魔女でしょう? 監獄に行くのが良いと思うの」
「じゃあ、地下牢ですね」
余計なところを捜索することはなさそうだ。そこは安堵するが、さっさと終われ、とヘクターは祈った。
城塞を監獄として利用したとはいえ、建物全てを牢屋にしたわけではなかったらしい。囚人は地下に収監され、主要階は刑務官の事務所として使われていた、とパンフレットには書いてある。ユーフェミアの言う通り、魔女の手掛かりを探すなら、地下牢が良いだろう。
二人はカウンターの左手脇にある鉄格子の扉を目指した。ユーフェミアがそっと扉を押すと、小さく軋んで順路が開かれた。潜り抜ければ、左右に伸びる狭い通路になっている。左側はすぐの場所が格子扉で閉塞されていたため、右側を行く。壁が迫る通路に、二人の靴音が反響する。
やがて通路は左に折れ、そこもまた格子扉で塞がれていた。
「厳重だ。さすが監獄」
観光用の順路であるため、格子扉は鍵が掛かっていなかった。開けた先は、螺旋階段だ。こちらも狭く、ひと一人分の幅しかない。
階段の下は、深い闇を湛えていた。先を行くユーフェミアの足が止まる。
「……先輩?」
まさか怖気づいたのか、と呆れた。ここへ来てもユーフェミアは変わらず凡庸で、ヘクターは苛立つ。期待に応えてやるか、とでも言わんばかりだった。もはやその平凡さは、当て付けにしか思えなかった。
「怖いんなら、先、行きましょうか?」
皮肉交じりに促せば、ユーフェミアは首を横に振った。唾を飲み込んだあと、螺旋階段へと足を踏み出す。
監獄へ続く石階段は、ランプの明かりの下であっても、足元を凝視しなければいけないほどの危うさだった。凹凸が激しく、すり減って傾斜している箇所もある。ユーフェミアもヘクターも壁に片手を付きながら身体を支えて下っていく。
ようやく辿り着いた地下は、炎のゆらめきを呑み込まんばかりに暗かった。一番手前の鉄格子だけが、ランプの明かりに照らされていた。よくよく目を凝らすと、地上から斜めに開口された換気口から月の光が忍び寄っているのだが、それでも闇の支配率のほうが圧倒的。
「こんなところで――」
囚人たちは過ごしていたのだ。これでは昼間の明るさもたかが知れている。闇に放り込まれた魔女たちは、発狂したに違いない。
……それとも、案外魔法でどうにかしていたのだろうか。
ユーフェミアが足元を踏みしめるように前に出る。二歩、三歩、と足音を忍ばせて、手近な鉄格子の前に立った。
「……やっぱり。魔力を拡散させる仕掛けが施されている」
現代では当たり前に牢獄で使われている技術。それが、当時も使われていたということか。魔女狩りを行うほど魔術を知り得なかった時代にそんなものがあることに、少々驚く。
「どうなっていたんですかね、魔女狩りの時代って」
学校で習う程度の歴史では、あまりその辺は触れられていないのだ。
「さあ、分からないけれど――」
ユーフェミアは牢の中を凝視したまま立ち尽くした。そこは闇が沈降するばかりだった。噂の幽霊が本当にいるのかどうかも、確認できない。
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