第34話 光陰矢の如し

 菜月が教えてくれた人気店に到着すると、既に行列が出来ていた。


 先程ようやく購入出来たものの1時間近くもかかるとは思いもしなかった為、満身創痍である。


「先輩、ここの焼き菓子は凄く有名なんですよ。由美、明日学校に持って行くと思います。最近、友達が出来たって嬉しそうにしてましたからね」

「そうか、それは良かった……」


 疲れからつい素っ気ない返事になってしまった。由美本人からも友達が出来たという話は聞いている。休日に遊びに誘われているらしいのだが、何故だか断っていると聞いた。

 

「菜月からも由美に言ってくれないか?折角の休日なんだし友達と遊びに言ったらどうだと」

「…………嫌ですよ。由美に嫌われたくないですし」

「菜月も経験してきたから分かると思うが高校生活なんて意外と短い。悠長な事を言っていたらあっという間に終わってしまうんだ……」


 僕は高校時代に学生らしい思い出を作る事が出来なかった部類だ。

 楽しかった事より辛かった事の方が真っ先に思い浮かぶ。


「そう言えば先輩の高校生活ってどうだ……」


 途中まで言いかけて、彼女はばつが悪そうに視線を逸らした。

 僕の表情から、おそらく灰色の青春を過ごしたとでも考えているのだろう。

 確かに事実ではあるが、僕の高校時代はそんな単純な話ではない。


 いつもならこのまま気持ちが沈んでいくのだが、こちらをチラチラ見てくる菜月の態度が面白くて自然と笑みを浮かべていた。


「今失礼な事を考えただろう?まあ、察しの通り青春らしい青春もなかったぞ。そっちはどうだったんだ?」

「わ、私ですか!?そりゃこの見た目ですからそれなりにだ、男子からモテましたし、いっぱい遊びにも行きましたよ!?と、とにかく私は先輩とは違って青春してました、絶対に間違いありませんから!!」


 妙に意気込んでいるのだが、美咲さんからは元々引っ込み思案で勉強ばかりしていたと聞いている。

 若干目も泳いでるから、おそらく嘘なのだろう。彼女の名誉の為にもこれ以上の詮索は止めておく事にした。


「よし、お土産も買ったし帰るか」

「そうですね、資料の作成も急いでやらないとですもんね」


 今から帰れば由美より先に家に着くだろう。お土産を後部座席に置き、車に乗り込んだ。


「資料の作成とネット掲載の作業は僕がやるから、菜月は業者さんに謄本や測量図を送ってくれ」

「分かりました」


 指示を出したタイミングで、この辺で土地を探しているという人の話をふと思い出した。あの話はまだ有効だろうか?


「そういえば、菜月は津上さんとは面識あったか?」

「先輩……それ本気で言ってます?」


 菜月がジト目を向けてきたのだが、何かおかしな事を言っただろうか?僕が黙ったままで居ると、彼女は小さく溜息を吐いた。


「津上さんの会社の忘年会に呼ばれて、一人で行くのは嫌だって私に泣きついてきたのはどこの誰でしたかね?」

「あ……」


 思い出した。そう言えば物件を紹介したお礼として津上様の会社の忘年会に招待してもらう機会があった。社長のゲストとなれば、従業員の方から無碍にされる事はない。それぐらいの事は分かっていたが、どうしても一人で行く気にはなれなかった。


 窮地に立たされた僕は山本に助けを求め、一緒に行ってもらう約束を取り付けたのに、彼は当日に行かないと言い出した。いわゆるドタキャンというやつだ。


『矢野さん、今日は予定がないらしいです。お願いしたらきっと一緒に行ってくれますよ。いいですか優大先輩?誘う時は絶対に僕の代わりとか言ったらダメですよ』


 それで山本のアドバイスに従って菜月を誘ったんだった。背に腹はかえられないって言えるぐらいには、あの時は切羽詰まっていた。その事を忘れていた自分にも少しばかり非はあるが、今この状況になった直接の原因はドタキャンした山本にある。


 おい、山本。今度会ったら絶対に文句言うから覚悟しとけよ!!心の中でこれは八つ当たりではないと自分を正当化しつつ、菜月に許しを乞う。


 結局、貸しがもう一つ増える形でどうにか機嫌を直してもらった。貸しってこんな簡単に増えるものなのか疑問ではあるが……。


「それで話の続きだが、少し前に津上様の知人があの辺で土地を探していると聞いた気がする。僕はその方と面識がないのだが一応聞いてみるか?」

「え、そうなんですか!?津上さんでしたら、私から直接聞くので大丈夫です」

「番号知っているのか!?」

「忘年会の時に名刺交換しましたから。それに後日お礼の電話をした時も『気軽に電話しておいで』って言われました。素敵ですよね津上さん。私もあんな風になりたいです」


 津上様はその仕事柄、美に関する意識が高い。そんな彼女の実年齢はその見た目からは想像出来ない。従業員もほとんどが女性……ああ、そうだ。


 どうして忘年会に菜月を誘った事を忘れていたのかはっきりと思い出した。


 あの日、僕は会場でだったのだ。


 付き添いで連れてきたはずの菜月は、津上様に紹介した後、従業員の人達の輪の中に入ったきり最後まで戻ってくることはなかった。


 僕は端っこにある椅子に座り、ただひたすら時が過ぎるのを待つという苦行とも呼べる時間を過ごした。

 菜月の同伴を記憶から抹消していたのは認める、だけどそうしてしまうだけの理由はあった。一つだけ確かなのは、菜月にだけは文句を言われる筋合いはないという事だけだ。


「思い出したぞ。あの時、僕を放置して自分だけは楽しんでいたよな」

「あ、津上さんに電話するので邪魔しないでもらえますか?」

「…………」


 僕の嫌味を聞き流し、彼女は電話を掛け様としている。仕方ない、この話は後にしよう……戦略的撤退を余儀なくされた。


『もしもし』

「津上さん、ご無沙汰しております。矢野ですが今お電話大丈夫でしょうか?」

『大丈夫よ。久しぶりね、元気だった?』

「はい、最近職場を変えたのですが元気にやってます。津上さんはお変わりありませんか?」

『ええ、私も元気にやっているわ。それで今日はどうしたの?』


 普通に会話しているが、津上様は僕のお客様だったよな?


「津上さんの知人の方が土地を探しているとお聞きしまして。どの辺りでお探しなのか気になりまして」

『ああ、高槻さんから聞いたのね。確か……』


 真面目に仕事をしている菜月の邪魔をしない様に、由美のご機嫌伺いのシュミレーションを脳内で繰り広げながら車を走らせる。


 暫くすると電話を切った菜月が小さく息を吐いた。話しかけようと横目で彼女を見ると、またしてもスマホの操作を始める。

 もしかしたら土地の情報をメールしているのかもしれない。

 空気を読んで、彼女から話しかけられるまで大人しくしておこう。


 それからあまり時間を置かず菜月のスマホが鳴った。どうやらメールの返信が来たようで、それを見た彼女が笑みを浮かべた。


「先輩、ネット広告は明日の夜まで待っていただけませんか?」

「ん?それぐらいなら構わないがどうかしたか?」

「先輩、明日って暇ですか?暇ですよね」

「いや、暇と言うわけでは……」


 本当は予定なんかないが、さっき聞き流された仕返しのつもりでそう答えた。


「予定あるんですか!?」


 菜月が掴みかからんばかりの形相で睨んできた。


「すまん、嘘だ。予定はない……」

「つまらない冗談を言わないでください。こっちは真面目に話しているんですから。先輩、明日商談に行きますよ。可能であれば野口様に敷地に入る許可……やっぱいいです、自分で電話します」


 どんどん話が進んでいくな。一応これ僕の案件だよな?


「もしもし、純香さん?今お電話大丈夫ですか?」


 こうして2日連続で野口様宅へお伺いする事が確定した。

 今日帰る予定だった純香さんは尊さんだけ先に帰して自分は残るらしい。


 お昼を食べる約束は来週と聞いていたが、明日も行くとか聞こえてきた気がする。

 幻聴が聞こえるぐらいに疲れている様なので、第3回会議は僕抜きでしてもらうのは……流石に無理か。

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