第33話 貸し一つ
写真を撮り終え家の中へ戻ると、リビングの方から笑い声が聞こえてきた。
「何だかすごい盛り上がっていますね」
「その様ですね。ウチの矢野が無遠慮で申し訳ございません」
「それはお互い様です。こちらこそ家の者が騒がしくして申し訳ございません」
謝罪合戦となってしまった事に、互いに苦笑いを浮かべた。
入りづらい雰囲気にどうしたものかと相談した結果、タイミングを見てリビングに向かうという意見に纏まった。
それまでの間、尊さんと雑談をして待つ事に。
「それにしても高槻さん。てっきり写真は一眼レフカメラとかで撮ると思っていたのですが、スマホなんですね」
「最近のスマホは高性能で、下手な一眼レフやミラーレスを使うぐらいならこっちの方が良い写真が撮れるんです。ご覧になられますか?」
そう言って先程撮ったばかりの写真を画面に表示し差し出した。
「本当ですね……これは確かに写りが良いです」
「お褒めくださり、ありがとうございます。これは余談なのですが、仕事で使う機会が多い事もありスマホの写真は1万枚を優に超えているんです」
「そんなにあるんですか!?」
「プライベートの写真もありますが、過去に取引した物件の外観や室内写真が大部分を占めています。尊さん、どうやらリビングの方が少し静かになった様です。行ってみますか?」
「本当だ、行ってみましょう」
リビングの扉をそっと開けて中を伺う。笑い声は収まっていたが、会話自体は続いている様だ。
「あっ、先輩!?写真はバッチリですか!?」
僕達が戻ってきた事に気づいた菜月が声を掛けてきた。
彼女には言いたい事が色々あるのだが、お客様の手前何も言えないのがもどかしい。
呑気な顔でバッチリですか?……じゃないだろう。
どこに社長に写真を撮らせてお客様と談笑する従業員が居るんだよ。
菜月にジト目を向けると、彼女はサッと目を逸らした。
「高槻さん、彼女は母の我儘に付き合わされただけですから。叱らないであげてくださいね」
「もちろんです。尊さん、矢野へのお気遣いありがとうございます」
菜月とのやり取りを見ていた尊さんに心配をかけてしまった事を申し訳なく思った。
説教するのは帰りの車内でも遅くはない。とりあえず、今は我慢しなければ……。
「とりあえず私達も座りましょうか。母さん達も話はもういいかな?ひと段落したなら今日はこの辺にしておこう。高槻さん、最後に私達に言っておきたい事はありますか?」
「ありがとうございます。それでは最後に、これからについてのお話をもう一度させていただきます。遅くとも明後日までにはポータルサイトへ掲載させていただきます。お客様からお問い合わせがありましたら、ご住所のみお伝えし、敷地内の立ち入りは野口様がお引越しされた後にしようと思っております。こちらの内容で宜しいでしょうか?」
「高槻君、ちょっといいだろうか?」
「はい、もちろんです」
「この土地の販売は誰がするのかね?」
「出来れば私と矢野の2人で行わせていただきたいと思っております。もし、矢野が不安な様でしたら、私1人で担当させていただきますが……」
「義娘の純香が、矢野君の事を気に入った様でな。彼女と2人でやってくれるのであればこちらとしても嬉しい限りだ」
野口様の申し出に奥様と純香さんが無言で頷いている。どうしたらこんな短時間で気に入られるんだ?やっぱり世の中……顔なのか?
菜月に買主側を任せたいと思っていたので、この申し出はこちらとしても正直ありがたい。
仮に片手取引になったとしても、菜月に歩合をつけてあげる事が出来る。
ただ自分の案件のはずが、いつの間にか菜月にウェイトが置かれている気がして、少しだけ複雑な気持ちになった。
こうして野口様の家を後にした僕達は、来た道を戻り駐車場へと向かった。
「先輩、素敵なご家族でしたね」
「ああ、そうだな……」
「先輩が写真を撮りに行ってる間に、実は純香さんと番号の交換をしたんです。また来週こちらに来られるそうなんですよ。次はゆっくり話をしたいと言ってもらえたので……つい成り行きで一緒にお昼に行く約束をしちゃいました。事後報告ですが、私行ってもいいですか?」
「あ、ああ……」
道すがら菜月は上機嫌でそんな事を言ってきた。
お客様と仲良くなる事をダメとは言うつもりはないが、こうして友達の様なノリで約束するのはどうなのだろう……。
その辺も含めて帰りの車内では、説教しなければいけないな。
「野口様の会社を引き継がれたというお兄さんがマンションを探しているそうなんです。新築で検討していたらしいのですが、良い物件がなかったそうで。お子さんの小学校の問題もあるので、出来たら来年の3月までには引っ越しをしたいらしく中古でも探し始めたそうです。どこか良い物件はないかと相談されました。条件は聞いてるので先輩も探すのを手伝ってくださいね?次に純香さんとお会いする時に、資料を持っていきたいので」
「ああ……」
まぁ、何だ。説教は別に今日じゃなくてもいいだろう。
経費扱いで構わないから、食事ぐらい好きに行ってくれていい。
「先輩、その時は車を出してもらっても?」
「菜月1人で行けばいいだろ?この車を使っていいぞ」
「き・て・く・れ・ま・す・よ・ね」
「分かった……」
どうやらタクシー代わりとして僕も行かないとダメな様だ。まぁ、それぐらいは仕方ないか。
「しかしながら、こんな短時間でよく純香さんとそんなに仲良くなれたな。何か理由があるのか?」
僕は気になっていた事を質問してみたが、菜月の回答はよくわからないものだった。
「まぁ、私と純香さんの価値観が似ていたという事ですよ」
「ん?どういう事だ?よく分からないがせっかく仲良くなったんだ。早期売却して期待に応えないとな」
「もちろんです!!ちなみに先輩の方で見込み客いたりします?」
「見込みとまでは言わないが、とりあえず懇意にしてもらっていた建売業者に話を振ろうと思っている。菜月はどうなんだ?」
「私も先ずは建売業者さんに話を振ろうと思ってました」
「そうか。それじゃ建売業者への情報提供は菜月に任せてもいいか?」
「分かりました!!」
駐車場に留めていた車に乗り込み、このまま家に帰ろうとした僕に菜月から待ったがかかる。
「先輩、由美にお土産を買って帰らないんですか?夜の事を考えるとご機嫌取りはしておいた方がいいと思いますよ」
「この辺に何かオススメの店はあるか?」
「由美の喜びそうなスウィーツのお店が確かこの近くにあったと思うので教えましょうか?あ、先輩。これ貸し一つですからね」
これぐらいで由美に機嫌を直してもらえるなら一つと言わず二つでも構わないぐらいだ。
この時の考えが浅はかだったと……貸し一つが高くつく事を僕が知る機会は、意外とすぐに訪れるのだった。
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