第32話 恋バナ
野口様は来週には大阪に向かうとの事だったので、募集はすぐにでも開始させてもらう段取りとなった。
僕はその準備をする為の外観写真や道路の写真を撮りに2人で外へ出る。
「写真を撮るだけですので、尊さんは中でお待ち頂ければ……」
「母の目が邪魔だと訴えかけていたので気になさらないで下さい」
僕の後に続くのは、菜月でなく尊さんだった。菜月に声をかけたのだが、彼女は何故か奥様に呼び止められた。
お客様のご意向となれば、僕が無理矢理連れて行く訳にもいかない。おそらく彼はそんな僕に気を遣って付いてきてくれたのだろう。
本当はその優しさに感謝すべきなのだろうが、何を話していいか分からず微妙に気まずい。
とりあえず写真を撮ろうとスマホを取り出したタイミングで声がかけられた。
「高槻さん、しつこいと思われるでしょうが改めてお礼を言わせてください。私の人生を変えてくれて本当にありがとうございました」
そう言って彼は深々と頭を下げた。
「尊さん!?あ、頭を上げてください!!」
「嫌です、本当はこの場で土下座したいぐらいなんですから」
「そんな事を言わずに、お願いですから顔を上げてください」
なかなか頭を上げてくれないので、必死の説得を試みた。
「………分かりました」
数分後、渋々ではあるものの顔を上げてもらう事に成功した。
「尊さん、純香さんの事が本当にお好きなんですね」
「はい、実は私の初恋の相手が純香だったんです」
「そうでしたか……」
困った事になった……。どうやら『恋バナ』が始まろうとしている。
僕の人生において、シラフの状態でこういう話をした事は一度もない。
しかもその初めての相手が、友人ではなく今日顔を合わせたばかりの赤の他人……一体僕はどんな顔をして話を聞いたらいいのだ?
「中学時代の純香は頭が良くて……私は同じ高校に通いたくて必死に勉強したんです」
「…………なるほど」
「純香、美人だと思いませんでしたか?」
「確かに……」
それっぽい相槌を打ってみるが、しっくりこない。
「あの容姿ですから入学してすぐに先輩や同級生から告白されていました。私にはそれを指を咥えて見ている事しかできなかった」
「…………」
「ですが彼女は誰とも付き合う事はなかった。後から聞いた話ですが、『学業に専念したい』と言って断っていたそうです」
「…………」
相槌を打つのを止めてみたのだが、一向に彼の話は止まる気配がない。
なるほど、対応としてはこっちの方が楽だな。それっぽく聞いた振りをしておけば良いのだと正解に辿り着いた。
「告白に対する断り文句と彼女が医者を目指しているという噂がいつの間にか広まりました。その噂を裏付ける様に、彼女は学業に専念してました。ですが彼女が医者になるには越えられない壁があったんです」
「…………」
「何だと思いますか?」
「…………っ!?な、何でしょう。ちょっと思いつきませんね」
まさか質問されるとは思わず、つい慌てた素振りを見せてしまった。
話を聞いてないと思われなかっただろうか?
怪しまれない様に、適度に相槌は打っておく事にしよう。僕は方針転換をする事にした。
「血を見るのがダメだったんです。偶然その事を知った僕は彼女に条件をつけて交際を申し込んだんです」
「そうだったんですね……」
「その条件というのがですね?在学中は彼女の成績を下回らない事、そして医者になる事。これをやり遂げるから付き合って欲しいと言いました」
「そうでしたか……」
「正直そんな事で告白を受けてもらえるとは思ってなかったので彼女がOKした時は驚きました。そして宣言通り高校時代はずっと私が1位、彼女は2位。私は医者になりました」
「なるほど……」
1つだけ腑に落ちない点があった。自分が医者になれなかったとしても、学力だけで恋人を選ぶものだろうか?
「尊さん、気分を害してしまう質問をしても宜しいですか?」
「ええ、大丈夫です。何か気になる事がありましたか?」
「純香さんが無理して付き合ってくれているとは思わなかったのですか?」
失礼を承知で聞いてみた。彼は笑いながら僕の質問に答える。
「高槻さん、私も最初はそうじゃないかと思ってたんです。ですが、それは杞憂だとすぐに思う様になりました」
「何故ですか?」
「ある日、彼女が私のスマホを勝手に見ていたのを目撃しました。浮気を疑っての事だと本人の口からも聞きましたが、私はその行動が嬉しかったんですよ」
「…………」
「人によっては勝手にスマホを見られた事や疑われていた事に腹を立てるかもしれません」
確かに勝手に見られるのは嫌だという意見は多いだろうな。
「でも考えてみて下さい。それって好意の表れですよね?浮気を疑われるって事はそれだけ私を魅力的だと思ってくれているのだと。あんな素敵な女性にそう思われている自分が誇らしくなり怒る気なんて起きませんでしたよ。むしろ怖いのは自分に執着してくれなくなった時ですよ」
「…………」
尊さんの言葉を聞いて胸が締め付けられた。凪沙は僕に対してそんな風に思ってくれていただろうか?
思えばデートをするのは、凪沙の気分が乗った時。僕から誘って断られる事は何度もあった。逆に僕が断ると癇癪を起こすので、その選択肢はいつの間にか無くなっていた。
我儘を言っても僕が離れるとは思わなかったのだろうか?
いや、多分軽んじていたのだろうな。今なら分かる、僕には既に比較対象となる存在が居るのだから……。
別れを切り出されたあの日から今日まで彼女からの連絡が一切なかったという事実。
彼女は僕に執着なんてしていない、きっと付き合っている頃からそうだったのだろう。
だけどその一方で、僕の彼女に対する未練は未だ燻っている。
『束縛に愛を感じる』なんて、本来であれば異常な感覚なのかもしれない。
だけど、その感情が僕の中でも芽吹いている、僕はその事に気づき始めていたのだ……。
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