第31話 素敵

 売却理由も確認できたので、早速査定の話を切り出した。


「売却される経緯は分かりました。今回は土地として売却されるとの事でお聞きしておりますが宜しかったでしょうか?」

「それで構わないよ、この家はもう寿命だ。それにたくさんの思い出が詰まっているこの家は私達で終わりにしたいと思ってる」


 そう言って野口様はリビングを見渡した。この家で過ごしてきた日々に思いを馳せているのだろう。

 邪魔をしない様に、静かにそれを見守った。

 

「すまない、話の腰を折ってしまったね。すぐに感傷に浸るのは歳をとった証拠なのだろう……。待っていてくれてありがとう、それでは話を続けてくれ」

「畏まりました。それでは予定通り土地として販売させていただきます。販売方法についての確認ですが、家を取り壊さずに売る『古家付き』と建物を解体して引渡す『解体更地渡し』とあるのですが、いかが致しましょうか?2つの大きな違いとしましては、解体費用の持ち出しがあるかないかとなります。又、どちらで販売するにしても土地の測量だけはお願いしたいと考えております」

「解体更地渡しで頼む。土地を売るなら測量も必要だろう。それも問題ない」

「ご理解いただきありがとうございます。続きまして販売価格についてですが……」

「高槻君、率直に聞くが君はいくらぐらいで売れると思う?」


 僕は査定書を鞄から取り出し野口様に渡した。査定額は1億5000万円だ。


「そちらに書かれている査定額が、適正と判断した額となります。ですが、この土地は立地条件も良いので相場より高く買って下さるお客様が居てもおかしくありません。売却を急がれるのであれば査定額、お時間いただける様でしたら1億6000万円での売り出しをご提案させていただきます」

「なるほど。それならば高槻君の手数料も増える事を期待して1億6000万円でお願いしよう」

「ありがとうございます。それでは仲介手数料についての話ですが、成約の際はお値引きを考えております」


 不動産売買の仲介手数料は売主、買主双方からもらえる。今回のケースだと他社が買主を見つけてきた場合は片手取引、自社で買主を見つけたら両手取引となる。


 仮に1億6000万円で売却できた場合の仲介手数料を速算式の(売買価格×3%+6万円)×1.1で計算すると、片方からもらえる仲介手数料は税込534万6000円。

 この金額であれば、多少の値引きは許容範囲だ。


 もしも両手取引となれば、この額の2倍だ。

 1件の取引で得られる手数料が大きく変わる事もあり、基本的に宅建業者は両手取引を望む。


 その結果、実際にはお客が居ないのにも関わらず他社をブロックする目的で商談中と嘘をつく悪質な業者もいるのだ。

 これは『囲い込み』と言って、売主に不利益をもたらす行為として業法違反となる。

 昔よりは少なくなったが、それでも未だに一部の業者は行っている。もちろんウチはやるつもりはないのだが……。


「必要ない」

「野口様?」

「高槻君、仲介手数料の値引きはしなくて良い。私達は君にしっかりと利益を出してもらいたいと思ってるのだから」

「……ありがとうございます」

「あの時に受けた恩を考えたら大した事じゃない。君のおかげでこんなにも素敵な義娘が出来たんだからな」


 野口様の言葉に純香さんは照れ臭そうに微笑んだ。


「それにこの家には、恥ずかしくて人様にお見せできない落書きもありますしね」

「か、母さん!?」


 奥様の言葉に反応したのは、尊さんだった。

 人様な見られたくない落書きか、ちょっと見当がつかないな。


「アレも私達の時代では普通でしたが、最近は見なくなったと聞くし……あなたはどこで知ったのでしょうね?」

「そ、それぐらいにしておいてくれ。本人も知らないんだからさ!?」


 彼はそう言ってチラリと純香さんを見た。

 その行動で純香さんには知られたくない話の類いなのは理解出来た。


「尊、私に隠し事ですか?」

「いや、純香……そうじゃないんだ。君に隠し事とかではなくてその……」


 苦虫を噛み締めた様な顔つきが、徐々に諦めの色を帯びていく。


「その純香に言うのは恥ずかしいというか……僕の部屋に行けば分かるから。今は高槻さんもいらっしゃる事だし、後で2人で見に行こう」

「後でなんてダメです。お父様、お母様。高槻さんがいらっしゃってるのに申し訳ないのですが、尊と少し席を外しても宜しいでしょうか?」

「ああ、話もほとんど終わっているから構わないぞ。行っておいで」

「高槻さん、すぐに戻って参りますのでご無礼をお許し下さい。それでは尊、行きますよ」


 2人は颯爽と……いや、純香さんの後に続く尊さんのは足取りは重そうだったが、とりあえずリビングを出て行った。


「尊も随分と尻に敷かれているみたいだな」

「その様ですね」


 野口様の呟きに菜月が相槌を打った。ここに来る前の置物発言はどこにいったのだ?

 それと彼女が反応したせいで、僕が相槌を打つタイミングを失ってしまったではないか。


「尊は小学生の頃からずっと純香の事が好きだった様だ。あんな落書きを部屋に書くほどにな。尊は親の贔屓目もあるかもしれないが小さい頃から賢い子供だったと思う。だけど医者になれる程ではなかった。本格的に勉強を始めたのは高校からでね。彼女の祖父の話を聞き、危機感を覚えたのだろう。他の男に取られるかもしれないとね」

「それで医者の道を志したのですね。好きな女性の為にそこまで努力出来るご子息は素敵な方だと思います」

「お嬢さんみたいな人に褒めてもらえると嬉しいな。まぁ、医者になれなかったとしてもあの2人は結ばれていたと思うよ。純香も尊が絡むと大概だからな。人様に迷惑をかけている訳じゃないから良いとは思うが……」

「何か心配事でもあるのでしょうか?」


 菜月は、野口様の歯切れが悪くなったのを見逃さなかった。

 こういう観察眼は、是非仕事に活かしてもらいたい。


 それにしても相変わらず老若男女問わずお客様と距離を詰めるのが上手いものだな。

 その証拠に隣で聞いている奥様も、野口様の話に耳を傾ける菜月を微笑ましく見ている。


「矢野君、私もこんな歳だ。孫の顔をそろそろ見せてもらってもいいとは思わないか?私達もいつまで元気でいられるか分からないのだ。付き合い始めて12年も経つのに、彼女はもう少し2人でいる時間が欲しいと困った事を言っててね」

「素敵なご夫婦ですね……」


 菜月が息子夫婦の肩を持つ発言をした事で、野口様は嘆息した。

 僕は彼に同情した、意見を求めた相手が悪かったと……。


「まぁ彼女の束縛が強い部分に関しても少し気になっているが、大丈夫だろう。それをされている本人が束縛される事に愛を感じるとか言っておるしな。私には理解出来ない感覚だが、当人同士が納得しているのであれば周りが口を挟む事ではないと思っているよ」

「ますます素敵じゃないですか……」


 束縛と聞いて、菜月が今日イチの反応を示した気がする。


「一応、今私が話した事は2人には内緒にしておいてくれ。バレたら怒られるだろうからな」


 野口様はそう言って豪快に笑った。


「もちろんです!!それでは私から質問してもいいでしょうか!?お二人は何を確認しに部屋へ行ったのですか!?」


 本当に何しに来たんだ?前のめりな菜月に呆れの視線を向ける。

 菜月は僕の視線なんか気にした様子もなく、野口様と会話に夢中だ。


 その様子を眺めていると、『可愛らしいお嬢さんですね。高槻さん、他の人に取られない様に気をつけてくださいね』と奥様が僕だけに聞こえる声で言った。

 それを聞い僕は苦笑いを浮かべた。菜月とはそういう関係ではないのだがな……。


 それにしても束縛に愛を感じる……か。口には出さなかったものの、その感情に関しては僕も否定する気はなかった……。

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