第27話 リースバック

「先輩、嘘じゃなかったんですね……」


 助手席から僕を見る菜月の視線から、その言葉とは裏腹にまだ疑念を抱いているのだろうと思った。


 開業手続きも無事終わり、ようやく昨日から営業を開始した。


 まず最初の業務として行ったのは、こちらの都合でお待たせしてしまった野口様への連絡だ。

 査定はいつでも構わないとの事で、翌日の訪問で調整させて頂いた。


 そして今、その野口様のご自宅へ菜月と一緒に車で向かっている。

 

「おいおい、流石にそんな直ぐにバレる嘘はつかないぞ」

「私を安心させる為の嘘だと本気で思ってました。朝起きたら、査定はキャンセルになったとか言うのかなって……」

「どんだけ信用されてないんだ。昨日も言っただろう?約100坪の土地だって」

「先輩がそんな事を言うから余計信じられなかったんですよ。先輩こそお客様の土地の坪単価を分かって言ってるんですよね!?」


 全く失礼な話である。僕がこの業界で何年仕事をしていたと思ってるんだ?


「当たり前だろう。そんな事を言う菜月の方こそ分かってるのか?」

「分かってるから言ってるんですよ!!私が何年この業界にいると思ってるんですか!?まあいいです。それで話を戻しますが、先輩は査定額はいくらで言うつもりなんですか?」


 偉そうに言っているが、菜月は僕の業界歴の半分以下の年数しかいないだろうという野暮なツッコミはしなかった。


「土地売り希望だからな……。坪単価150万、査定額としては1億5000万〜1億6000万を目安にしようと思ってる。スタートの販売価格については野口様のご意向を聞いてから決めていく感じだな」


 流石は都内の物件という価格である。僕の事務所を構えた地域の相場だとこの価格帯はなかなかお目にかからないだろうな……。

 実績も何もないウチに任せていただけるのは本当にありがたい話だった。


「分かってるじゃないですか!!1億5000万円ですよ!?この実績も何もない……中小を名乗る事すら烏滸がましいこんな会社にわざわざ依頼してくださるんですよ!?先輩が魔法使いなのは知ってましたが、この魔法は凄すぎます!!」


 自分で言うのと他人ひとから言われるのでは受け取り方も多少異なるが、確かにウチに任せてもらう部分に関しては僕も彼女と同じ意見なので文句はない。


 だがな?さり気なく使でディスってきたのは許せない。

 不快感を隠す事もなく、菜月にジト目を向ける。

 言い過ぎたと気づいたのであろう……彼女はそそくさと目を逸らすのだった。


「まぁ冗談はさておき、先輩が凄いのは私が1番知ってます。野口様との過去の取引で何があったのか聞いても大丈夫ですか?」

「ああ、もちろんだ。とは言っても別に大した事はしていないんだよ。若気の至りで少し恥ずかしい気もするが、到着まで時間もあるし……」


 菜月と出会う前の話をするのは今回が初めてではないが、あまり自分からこういう話はしない。今後の彼女の糧になればと思い、その当時の記憶を呼び起こした……。


 僕が叔父の会社に入って2年が経過した頃、野口様から売却の相談を受けた。

 野口様は経営者で、取引先の倒産により債権が回収出来なくなる事態に直面していた。


 このままでは自分の会社も倒産してしまう。

 自宅を売って事業資金を確保するのが最善だと分かっていたが、彼は思い入れのある家を手放したくはなかったのだ。


 それに事業に失敗したと周りに知られれば、その事を理由に子供が虐められるかもしれないとも考えていた。何かしらの手段で家だけ残せたとしてもそれでは意味がない。


 その為、家も会社もどちらも守りたかったのだ。


 僕が最初に思いついたのが、不動産担保ローンだった。

 所有する不動産を担保にしてお金を借りるというものなのだが、事業用資金として使うには色々と制限があり、野口様にはこのローンは使い勝手が悪かった。


 次に僕が提案したのは、今では当たり前の選択肢となっているだった。

 リースバックとは所有する不動産を一旦売却はするが、その後も賃貸契約を結び住み続ける事が可能だ。あらかじめ決めた期間内であれば売却した不動産を買い戻す事もできる。


 叔父に相談して、会社で野口様とのリースバック契約をしてもらった。

 買い戻しの可能な期間は自由に設定できるので、10年間という破格の条件を叔父に飲んでもらう事に成功したのだ。


 そうして野口様は不動産を無事買い戻し、会社も利益を生み出せた。この件をきっかけに、叔父の会社はリースバックを率先して行う様になり、今に至る。


 これは後から聞いた話だが、叔父の会社を最後の相談先とし、難しい様なら家は売る決意だったらしい。

 そこまで追い込まれた状況にも関わらず、野口様は当時20歳そこらの僕に全てを委ねてくれたのだ。

 そんな野口様の信頼を裏切らずに済んだ経験が、今の僕の糧になっているのは言うまでもないだろう。

 

「先輩……何が大した事はしてないですか。10年は流石にやり過ぎですって。よく社長を説得する事が出来ましたね?」

「流石に今同じ条件を飲んでもらえるなんて思ってないよ。あの時はまだリースバックが普及する前の話だったから出来たんだよ」

「でも、これで野口様が先輩に仕事を依頼した理由は理解出来ました。でも不思議ですね?そんな大切に思っていた家を売るなんて……。もしかしたら何か困り事があるのかもしれませんね」


 実はその可能性を真っ先に疑った。

 会って話を聞く事も考えたが、既に電話で今回の経緯は確認済みだったりする。


 菜月が思ってる様な悪い話ではないが、僕にとっては少しばかり気まずい話と言えなくもない。


 そろそろ向こうでは関係者が勢揃いしている頃だろうか?


「先輩の話を聞いたら安心してきました。お会いするのは午後からですし、どこかでお昼食べますよね!?久しぶりにあっちに行くからお昼は美味しいところに連れて行ってください!!」


 満面の笑みでメシを強請ねだる菜月に苦笑してしまう。


「連れて行ってやるから、由美には絶対に言うなよ?めんどくさくなるから。約束出来るか?」

「はい!!由美にはので安心してくださいね」


 野口様の家の方向だと……そうだ、女性に人気のあの店にでも行くか。


 何が嬉しいのか、満面の笑みを浮かべる菜月。

 痛い出費ではあるが、今回はこの笑顔を見れただけ良しとしておこう……。

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