第26話 叔父からの電話
「ちょっと
「うん」
リビングでテレビを見ていた由美にそう断りを入れ、トイレへ向かう。
テレビに集中していることもあり素っ気ない返事だった。
トイレ新設工事の完了から1週間しか経っていないのだが、人間の慣れとは恐ろしいものだ。
彼女達に報告をする事への羞恥心は既に薄れ始めている。
僕としては、むしろ報告を受けている方が苦痛な気がしてならない。
いいおっさんに『う○こ行ってくる』って毎回言われるとか、僕だったら絶対に嫌だ。
でも、待てよ?菜月や由美にそんな事を言われたら、それはそれで……って止めておこう。
新しい性癖の扉が開きそうだったので、そんな妄想は急いで頭から追い出した。
この家で1番落ち着くのがトイレである事には若干不満はあるものの、ここ最近は比較的穏やかに3人での生活を送っている。
宅建業の免許も先日ようやく行政庁の審査が終わり、あとは保証協会の審査と保証金の供託が終われば開業となる。
いよいよか……と感慨深く思っていると、昨日の小さなトラブルがふと頭を
頼んでいた名刺が届き、早速2人に見せると好評だった。
お願いしていた会社のロゴのデザインもよく出来ており、僕としても満足のいく物に仕上がっている。
しかしながら、由美が自分の名刺だけがない事を理由に不機嫌になってしまい収拾がつかなくなる事態に発展してしまった。
そもそも彼女は学生であり会社で働く予定もない。常識的に考えると彼女の名刺があるはずもないのだ。
だが、そんな理屈は通用せず彼女は喚き散らしていた。
結果『第2回お家会議』が、前回の会議から間を置かずして開催となった。
議題も由美の名刺が無い事の是非についてだけなのだから、もはや呆れて物も言えない。
予想通り作成賛成が多数意見となり、名刺の追加注文をさせられた。
職権濫用が酷すぎると思った所でどうせ僕に勝ち目なんてないのだ。
もう好きにしたらいいさ……会議については既に諦めの境地に達していた。
おっといけない。過去を振り返る時間があれば、今後の事を考えるべきだ。
最近は油断するとつい愚痴りたくなってしまう。これは直さないといけないな……。
僕は気持ちを切り替える為、口に出して現状の整理を行なう事にした。
「開業までもう時間がない。結局これと言った名案も浮かばないし、査定サイトやポスティングで物件を仕入れる方法を取るのは……かかる費用からして現実的ではない。現状だと仕事はないが時間だけはある。この街を知る意味でも自分でチラシをポスティングするのもありだよな……」
そんな事を考えていると、突然トイレの扉がノックされる。ノックの主はどうやら菜月だった。
「どうした?」
「先輩、高槻社長からお電話です。とりあえずスマホを持ってきました」
「高槻社長から?とは言ってもすぐには出られないから机の上にでも置いといてくれ」
僕が退職してから、叔父と連絡を取ったのは一度きり。
菜月の退職の件で、会社に迷惑がかかると思い謝罪の連絡を入れた時のみである。
叔父からは、ヘッドハンティングしたのかと冗談めかして言われたが、特に揉めた覚えもない。一体どんな用件なのだろうか?
トイレに来たのも用を足すと言うよりも1人になるのが目的だった事もあり、すぐにトイレを出て叔父に電話を掛け直した。
『もしもし』
「ご無沙汰しております、優大です。先程お電話頂いた様ですが、何かありましたか?」
『ああ、さっき懐かしいお客様からこっちに連絡があってな。お前、野口様を覚えてるか?』
「野口様……ああ、もちろん覚えています」
『ご自宅を売却するそうだ。それでウチに……と言うよりお前に売却を頼みたいと連絡があったんだ』
野口様は、僕がこの業界に入って間もない頃に担当させていただいたお客様だった。
「そうでしたか。せっかくのお話ですが、開業まであと2週間ほどかかるので……ウチだと野口様にご迷惑をかけてしまいます」
『その辺は説明してるから問題ないぞ。急ぎじゃないから待ってくれるってさ』
「本当ですか?それとすいません、大切な事を聞き忘れてました。その案件は本当に私が受けさせていただいても宜しいのですか?」
野口様が僕だけではなく叔父の会社にも同じ様に感謝をしているのを知っている。
そんな経緯もあり、この仕事は叔父の会社でやった方が良いのではないだろうか?と思ってしまった。
『お客様の希望なんだからウチの事は気にしなくていい。どうせお前の事だ、義理とか道理とか余計な事考えてるんだろ?』
「…………」
『何も言わないって事は図星か。お前そんな甘い事言ってると会社潰れるぞ。野口様の連絡先分かるか?』
「番号が変わっていなければ分かりますが、念の為お聞きしてもいいですか?」
スピーカーにして、電話帳の画面に切り替える。教えてもらった番号はスマホに入っているものと同じだった。
『仕事なくて大変だろうが頑張れよ。じゃあな』
最後に叔父にお礼を言って通話を終えた。そして直ぐに野口様に連絡を入れる。
叔父から聞いていた通り、ご自宅の売却をしたいとのご要望だった。
開業後に、ご自宅にお伺いさせて頂く約束を取り付け電話を切った。
リビングに戻ると、菜月が心配そうにこちらを見ていた。
「先輩、社長の用件が何だったのか聞いても大丈夫ですか?」
「ああ、もちろんだ。前に僕が担当させて頂いたお客様から『自宅の売却を依頼したい』って連絡があったんだ。会社と言うより僕にお願いしたいという感じだったから社長がこっちに話を振ってくれたんだ」
「本当ですか!?先輩やりましたね!!」
「おいおい、気が早いぞ。まだ仕事を受けさせてもらった訳でも、売れた訳でもないからな?」
「まぁ、そうなんですけど……いいじゃないですか。ここは素直に喜んでおきましょう!!」
電話の口振りからも仕事を受けさせてもらえる可能性は高いし、上手くいけば菜月の給料分の売上になるかもしれないな……。
「ったく……。査定の時は菜月も連れて行くからそのつもりでいてくれ」
「はい!!」
油断すればニヤけてしまいそうになる気持ちを悟られない様に、僕は素っ気なく彼女に言うのだった……。
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