第21話 菜月の引越し

「菜月ちゃん、今日朝から来るって言ってた?」

「僕には詳しい時間は言ってなかったぞ。由美も聞いてないのか?」


 時刻は7時を過ぎた頃。今日は矢野が引越しをしてくる日という事で、休日にも関わらず早起きをして朝食を摂っていた。


 美咲さんの家で、対話という名の強制力が働いたあの日から3週間が経っている。

 退職願は問題なく受理してもらえたが、引き継ぎが必要で引越しまで時間を要したのだった。


 昨日までで出勤を終えた矢野は、今日からは残っていた有休の消化期間に入るらしい。


「時間については聞いてないよ。でも菜月ちゃん家具を買いに行くって気合い入ってたから、おそらく早く来ると思うんだよね」

「家具を買うのに気合いが必要って話は聞いた事がないが、何かあるのか?」

「どうせすぐに分かるから、パパは気にしなくて大丈夫だって」


ピンポーン


「噂をすれば何とやら……だね!!迎えに行くよパパ!!」


 そう言って足早に玄関へ向かう彼女の後を、僕も急いで追いかけた。


 矢野は数日分の荷物を入れたボストンバッグが1つと身軽な格好をしていた。

 荷物は、家具の搬入後に本格的に入れる予定と本人から聞いている。


「菜月ちゃん、いらっしゃい!!」

「おはよう由美、先輩。今日から宜しくお願いします!!」

「ようこそ、こちらこそ今日から宜しく頼む。ちょうど朝食を摂っていたんだ。もし良かったら矢野も食べるか?」

「いいんですか?それじゃお言葉に甘えてお願いします!!」

「分かった、すぐ用意するから椅子にでも座って待っていてくれ」


 トースト、ハムエッグ、サラダとコンスープ。

 由美が気に入っている事もあり我が家の定番の朝食メニューだ。

 それらを急いで準備してテーブルに戻ると、由美と矢野は楽しそうに今日の予定を話していた。


 2人の視線の先を辿ると、何故かリビングの隣の僕の部屋だった。 


 もともと和室だったのだが、洋室にリフォームした。

 予算の都合で入口は4枚襖のままなので、開放感がある。いや、あり過ぎると言ってもいいだろう……。

 リビングに人がいるとどうしても監視されている様に感じてしまう。


 襖を開けていると中が丸見え、閉めていたとしても音が漏れやすいという欠点がある。


 元々は僕も2階に部屋を構えていたのだが、由美の部屋がある事、そして矢野が引越してくる事を考慮し、数日前から1階のこの部屋に移動してきたのだった。


 流石にもう少し部屋に独立性が欲しい。 


 そこまで性欲が強い方ではないとは言え、僕だって枯れている訳ではない。男には色々とやるべき事があるのだから……。


 僕の精神衛生の為にも、折を見て知り合いの大工さんに壁とドアの新設工事を依頼する必要があると思った。

 

 僕が戻った事で、改めて3人で本日の買い物についての話を始める。


「どこの店に行くかもう決めてるのか?」

「決めてますよ!食事が終わったら部屋の寸法を測りますね。終わり次第すぐに出かけましょう」


 実家住まいだった彼女は、今回の引越しのタイミングで家具を一式買い揃えるつもりらしい。

 食事を終えると、彼女は部屋の寸法を測りに行った。


 ついでと言って僕の部屋の寸法も測っていた事には違和感を覚えた。

 僕の部屋には既に家具があるし、彼女が測っていたのも何故か部屋の真ん中の空いたスペースだったからだ。


「先輩、由美。さぁ行くわよ!!」


 先陣を切って颯爽と歩いていく矢野とその横に付き従う由美。後ろから眺めていると仲の良い姉妹みたいだ。


 2人の仲睦まじい姿を暫く眺めていると、ふと思い出してしまった。

 目的地がどこかは知らないけど、今日は車を出す予定だった事を……。

 僕は急いで2人を呼び止めに向かうのだった。


 指定された家具店に向かうと、矢野は由美を連れてどこかへ行ってしまった。

 

 ショッピングモールに続いての別行動……。


 スタートからの露骨な戦力外通告に悲しい気持ちになったのは言うまでもない。

 

 家具と言えば、由美の母親は元気にしているだろうか?時枝さんとは連絡を取っているのだが、百合の方とはあの日以来ずっと連絡を取っていない。


 家賃が振り込まれていれば生存の確認も出来るのだがそれもない為、情報が入ってこない。

 時枝さんもどう接していいか困惑している様で、百合の事はよく分からないとの事だった。


 いつまでこのままという訳にもいかないが、とりあえず今は『便りがないのは良い便り』と思う事にしておこう。


 その後、店内を1人で回っていると着信があった。家具を見るのは嫌いではないが、1人で見ていてもつまらないのでホッと息を吐いた。


 ようやく帰れると思い、足早に2人の元へ向かう。家具を真剣に選んでいる2人の姿を見つけ声をかけた。


「お待たせ。必要なものは買えた?」

「いいえ、今からよ」


 矢野が何食わぬ顔で言ってくるが、どういう事だ?

 時間を確認すれば、僕と別れてから既に1時間以上が経過している。


 この2人は今まで何をやっていたのだろうか?という疑問はあるが、口にはしなかった。

 どうせ何を言ったところで、2人で協力して僕を言い負かしてくるのだろうから……。


 それから2人と一緒に改めて店内を見て回る。

 全て選び終わった頃には、それなりに時間が経っていた。


 家具の在庫の確認してもらっている間に、時間の短縮をする為という理由で2人には生活雑貨を見に行ってもらう。


 実際のところ、それは建前だった。

 今回の引越しはは由美が矢野と一緒に住みたいからという理由になっている。

 ほぼ間違いなく裏があるとは思っているが、一応そのお礼という事にするつもりだ。


と言うのも……


『ウ、ウン。ワタシナツキチャントイッショニスミタイ』


 これを言葉通りに受け止められる素直さを僕は持ち合わせていなかった。


 幸いにも矢野が選んだ家具は全て在庫があり、最短配送の明日でお願いして支払いを済ませた。

 

 その事を矢野に伝えると彼女は慌てた様子で自分で支払うと言い出した。

 だが、由美の口添えもあり最終的には矢野が折れる事となった。


「雑貨の方は決まったのか?そっちの支払いも僕がするぞ」

「先輩っ!?大丈夫です、これぐらいは自分で買わせて下さい」

「菜月ちゃん、甘えとけばいいんだよ。菜月ちゃんだって出費しているんだし!!」

「ちょっと由美!?」

「あっ……ご、ごめんっ。パパ何でもないから気にしないで!?」


 僕の知らないところで、既に支払いが終わっていたものもあるらしい。

 気にするなと言われると、余計気になってしまう。

 2人のこの様子から、よからぬ事を考えているとしか思えないんだよな。


 一応その分も僕が払うと言ったのだが、頑なに拒絶されてしまった。

 その時の矢野の切羽詰まった表情かおが僕の不安は大きくしたのは言うまでもないだろう。


 こうして買い物を無事に終え、少し遅めの昼食を摂ってその日は帰宅した。


 そして僕は翌日思い知らされる事となる……。


 配達に来たトラックから降ろされた2つのベッドが、運び込まれた先は僕の部屋。流れる様な動きで組み立てが始まる。


 え、何それ。その2つ……連結出来るのか?


 矢野が僕に内緒で買った物の正体は『ワイドキングベッド』またの名を『ファミリーベッド』と呼ばれるベッド。


 推定横幅3.0メートル、長さ2.1メートル程の巨大なベッドが僕の部屋を占有したのだった……。


―あとがき―

優大の部屋は8帖の部屋(縦3.6m、横3.6m)です。

そこに横3.0m、長さ2.1mのベッドなんて置いたら……そういう事です!!

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