第18話 株式会社エステートツキ
食事を楽しんだ後は寄り道する事なく急いで帰路についたのだが、家に到着した頃には日も沈みかけていた。
すぐに買ってきた荷物を片付け始める2人。
その姿を眺めながら、もしも矢野の帰る時間が遅くなってしまった時は車で送っていこう……と結論づけた。
彼女の家と僕の家ではそれなりに距離がある。ショッピングモールで食事をした後、僕は矢野に帰る様に伝えた。
最寄りの駅まで送ると言ったのだが、彼女は『片付け作業を手伝います』の一点張り。
最終的に由美を味方につけた彼女が意見を押し通し、僕が折れる事になったのだ。
「先輩、少し休憩したら片付け始めてくださいね。それとお風呂の準備もお願いします」
「…………」
風呂の準備をする事自体は構わないのだが、家主を差し置いて仕切るのはどうなんだろうか?
釈然としない気持ちのまま引越し荷物の片付けに勤しんだ。
2時間後、とりあえず生活する為の最低限の片付けが終わり休憩を取る事となった。
「先輩、事務所の方って進んでるんですか?」
「まあな、内装もある程度は終わっているぞ。免許も申請しているからそれ待ちって感じだな」
「事務所見せてもらえたりします?」
「ああ、構わないぞ。由美も行くか?」
「前に見せてもらってるから大丈夫。菜月ちゃんと見てきたら?」
「だそうだ、矢野行こうか」
由美が来ないなら、このタイミングで買ってきたボールペンを渡す方がいいか。
「少し時間がかかるかもだから、先にお風呂入っててくれ」
「ゆっくりしてるから大丈夫。私の事は気にしなくていいよ。2人とも行ってらっしゃい」
それだけ言うと、由美はテーブルに伏せた。あれだけ着替えさせられたら、疲れもするか……。
その様子に、矢野と顔を見合わせ小さく笑い外へ出た。
「事務所の入り口は独立させたんですね」
「ああ。事務所に使う部屋の位置的に廊下を通るだけで出入り出来たんだが、由美がいるからさ。お客様と鉢合わせしたらお互い気まずいと思ってな」
「生活空間と完全に切り離しているこの方がいいと思いますよ。え……!?」
矢野が急に驚いたような声を上げた。何かと思い彼女を見れば、その視線は看板に向いている。
そう言えば彼女には、まだ会社名を言ってなかったか……。
看板には『株式会社エステートツキ』と書かれてある。
高槻の槻から取ったのだが、
息の長い会社になって欲しいという願いを込めてこの名前をつけたのだ。
「いい名前だろ?この会社の意味はな?」
「…………っ!?先輩ちょっと待ってください。今はちょっと心の準備が。私の事は気にせず、今はちょっとそっとしておいてください」
何故か矢野は狼狽えだした。『ちょっと』を何度も繰り返す様子からもかなり焦っているのだろう。
会社の名前の由来を聞くのにどの様な心の準備が必要なのかは分からないが、そっとしておこうと思った。
ここに立っていても仕方ないので、とりあえず室内へと入ってもらう。
言われた通りそのまま放置していると、いつの間にか回復した矢野が事務所の感想を呟いた。
「素敵ですね……ちょっと先輩のイメージと違いますが、凄くいいと思います」
「モノトーンでまとめたから、シンプルな感じに仕上がったなと自分でも思ってる。黒もかなり使っているから室内が若干暗いかなとも思ったが」
「そんな事ないですよ。あの照明とかもすごく素敵です」
「ああ、遠山さんの作品だな。開業の祝いに頂いたんだ」
「遠山さんの作品でしたか。素敵だった理由も納得です」
インテリアデザイナーの遠山さんとは仕事を通じて知り合った。
会社名の由来を勘違いした彼が欅ではなく月をモチーフにした照明をお祝いとして贈ってくれたのには笑ってしまった。
事務所の雰囲気にも合っていたし、せっかくなのでありがたく使わせてもらっている。
一通り事務所を確認し終えた矢野に、今日のお礼と言って紙袋を差し出した。
「開けてもいいですか?」
「もちろん。気に入ってもらえるかは分からないけど」
彼女は、壊れ物を扱うかの様に丁寧に包装を外していく。そんなに丁寧にしなくても壊れないし何なら落としたとしても多分問題ない。
開ける前に流石に中身を言う訳にもいかず、その様子を黙って見守る事にした。
「えっ……!?先輩これ……このボールペンって先輩が使ってるのと同じのじゃないですか!?」
「ああ、使いやすさとかも考えるとそれが1番いいと思ってな」
「それにしても、せ、先輩。このボールペン1本でも高いじゃないですか。それが3本も……」
「ああ、1本はスペア的な意味合いでだな」
「役割的な事を聞いたんじゃありませんっ!!私が言いたいのはいくら使ってるんですかって事です。ずっと買うか悩んでたからこのボールペンの値段ぐらい知ってます。今日のお礼とかでもらっていい物じゃないでしょ!?」
前に贈った物よりランクを下げたら渡す意味がない。
ブランドのフラグシップモデルという事もあり定価だと全部合わせると23万円を超えるのだが割引もあったので定価の7割程で買えた。
喜んでもらえる思ったが、気が引けてしまうなら無理にとも言えない。
「嫌だったら無理に受け取らなくても大丈夫だぞ。とは言っても僕はもう既に持っているから、流石に6本も要らない。何なら山本にでも……」
「なんで先輩から貰った物を私が山本君にあげないといけないんですか?あげません、あげるわけないじゃないですかっ!!いつも言ってますが先輩のそういう所がダメダメなんですよ!!」
「す、すまん……それじゃ改めて確認するけど受け取ってもらえるか?」
「はい。先輩ありがとうございます、大切にしますね!!」
「お金の心配は解消したから大丈夫だとは思うけど一応由美には内緒にしておいてくれよ」
「会……だって私の……を入れてるし――。こんな高……物までプレ………してくるし――勘……す……って言う方が……ですよ。期……ても……んですよね――」
頬をほんのりと赤く染め瞳を潤ませた矢野は
その様子を見て、大丈夫かな……と一抹の不安が頭を
その嫌な予感は的中し、喜びの余り口を滑らせた矢野が自慢した事で、由美の知る所となってしまったのは言うまでもない。
『私はパパから貰ってない……』と由美が拗ねていたが今日買った服については、僕からのプレゼントとしてカウントされないって事だろうか?
結局その日は、そんな2人を落ち着かせるのに予想以上に時間がかかってしまい、矢野を送り届ける事になった。
由美も一緒に連れて行ったのは、もしも矢野のご両親と遭遇した時の保険としてだ。
こうして由美を引き取った件については、無事収束したかに思われた。
だが、後日山本からかかってきた電話でその考えは甘かったと思い知らされる事となる。
『雄大先輩、矢野さん会社辞めるって今朝社長に辞表出したの知ってます!?この間そっちに遊びに行ってましたよね。何があったんですかっ!?美咲さんはガチ切れしてて、先輩を呼べと言ってます……もう俺じゃ抑えられません。このままだと俺の身が危険なので、今日の夜にウチへ説明しに来てくれませんか!?』
え……矢野会社辞めるの?こないだボールペンを大切にするって言ってたのは、使う事もないから大切に保管するって事?
あの時聞き取れなかった矢野の呟きが……
『会社名だって私の名前を入れてるし――。こんな高価な物までプレゼントしてくるし――勘違いするなって言う方が無理ですよ。期待してもいいんですよね――』
そんな内容だったとは思いもしなかった……。
—あとがき—
宅建業の開設って思ったより時間がかかるんです。不動産の話いつ始まるんだよ!?ってお思いの方もいらっしゃる事と存じております。
多分もう少しのはずなんですが、いつから始まるのか私も知りたいです。このまま触れない可能性も……否定は出来ません。
私はボールペンはモン○ランよりパ○カー派なんです。そこのフラグシップと言えば……という感じで調べていただけましたら、優大プレゼントした物のイメージが湧くかなと思います!!
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