第16話 無職の甲斐性

 引越し業者には家具や家電を搬入してもらい、速やかにお引き取りを願った。


 帰り際に、心付けを業者さんに渡す様子を見ていた由美が理由を尋ねてきた。


「パパ、何でお金渡したの?引越し費用は先に払ったって言ってたでしょ?」

「まあね、あれは作業をしてくれた方達に対する心付け……いわゆるお礼の気持ちを伝える為のお金だね。最近はしない人も多いけど、昔からこうやって渡す習慣があるんだよ。会社によっては決まりで受け取りを拒否する場合もあるからそこは臨機応変にって感じだ」

「へ〜そうなんだ。貰った時ちょっと嬉しそうにしてたもんね。でも、絶対じゃないなら渡さなくていい気もするけどな……」


 そう言って由美は複雑そうな顔をした。大した金額を入れている訳でないので問題ないと思うのだが。


「ああ、考え方によってはそうかもしれない。でも、心付けに関しては感謝以外にも、別の思惑でする人も居るんだ」

「どういう事?」


 高校生の由美には思いつかなかった様だ。

 僕が続きを話そうとすると、矢野が割って入ってきた。


「簡単よ。さっき先輩が言ってた通り、心付けは渡さないご家庭もあるのよ。その状況で先に渡す人の心理に少なからず下心が含まれているの」


 まぁ、彼女も不動産屋で働いているのだからどこかで聞いた事があったのだろう。

 私は知ってますよといった心情がモロに顔に出ている。いわゆるドヤ顔だ。


「考えてみて。物やお金に関わらず形のある労いって、受け取ったら普通に嬉しいでしょ?それをもらった業者さんが普段よりも丁寧に運ぼうって思っても不思議じゃない。そういうのを期待して先に渡す人も居るのよ。先に渡す人全員がそう思ってるとは言わないけどね」

「ふーん、そうなんだ」


 説明を終えた矢野に対して、由美は素っ気ない素振りを見せる。

 この反応は矢野も予想してなかったらしく何か言いたそうにしていたのだが、『パパに聞きたかったのに……』という由美の呟きを聞いてしまい口を噤んでしまった。


 うーん、何でこんなに相手の印象を悪くする様な行動を取るのだろうか?

 2人には、仲良くして欲しいんだがな……。


 僕がそれぞれと接している時はそういう感じじゃないし、個人的にはこの2人は結構仲良くなれそうだと思っている。


 そうさせない理由が何かあるかもしれないが、僕には分からなかった。


 「とりあえず、一旦落ち着こう。矢野に話をする前に確認したい事があるんだ。申し訳ないけどちょっと由美と2人にしてくれないか?」


 ただならぬ雰囲気を感じたであろう矢野は、僕の言葉に素直に従い席を外してくれた。


「由美、先に確認しておく。どこまで話していいんだ?」

「別に全部話してくれて構わないけど?パパとしてもその方が説明がしやすいでしょ?」

「ああ、確かにその方がやりやすい。それじゃ甘えさせてもらうよ。おーい矢野!!こっちに戻ってきてくれ!!」


 最終確認を済ませ、矢野を呼び寄せる。


 和室に置かれたローテーブルの周りに全員が座ったのを確認し、僕はこの1か月の出来事を矢野に話し始めた。

 話が終わるまでの間、由美は一言も発する事なく黙って聞いていた。


「そんな事があったんですね。先輩には色々言いたい事もありますが……今回は事前に相談してくれなかった事についてお説教するぐらいにしておきます。でも、私の好きな先輩らしさが変わってなくて安心しました」

「ん?『でも』の後が聞こえなかったからもう一回言ってくれないか?」

「嫌ですー、何でもないですよーだ」


 矢野はクスクスと笑いながら、結局それについては教えてはくれなかった。

 空気が重くなるかと思ったが、そんな事はなかったので拍子抜けした。


 油断していた僕に彼女が次に振った話題は、ちょっと触れられたくない内容だった。


「でも先輩……ちょっと話は変わりますが2部屋分の家賃が貰えないなら収入面は大丈夫なんですか?」

「由美の前でそういう話をしないでくれ……」


 横目でチラリと確認すると、由美は不安そうにこちらを見ていた。


「由美大丈夫だぞ。だからそんな不安そうな顔をするな。ちゃんと生活の面倒は見るから安心してくれ」


 僕は余計な事を言った矢野を睨みつける。彼女は怯むどころか睨み返してきた。


「先輩、むしろそういうのは隠さない方がいいんです。彼女が心付けの話をした時、何を言ったか覚えてますか?」


 一転して彼女は急に真面目な顔になった。意味が分からず僕が首を傾げると、これ見よがしに溜息を吐いた。


「確認ですが、私が彼女の過去を聞いても態度を変えない事を不思議に思ってますよね?もしかしたら薄情と思っているかもしれませんが、暗くなって分かった素振りをする方がよっぽど失礼です。だから、私はただ聞くだけにしようと思ったんです」

「それとお金の話がどう繋がるんだ?」


 この質問がいけなかったらしい。彼女の逆鱗に触れてしまったのだ。


「もうっ!!先輩が分かってあげないからじゃないですか!?彼女が何で心付けを勿体ないと言ったと思います?彼女のこれまでを考えればそうなるのも仕方ないとは思いますが、それにしてもお金に敏感過ぎると思いませんか?先輩がお金を使う事に対して罪悪感を持っているんです。それが自分に直接関係がなかったとしてもです。だから私がそう思わなくなる様に話を振ったのに、こっちの気持ちも知らずに睨んでくるし。子供に甲斐性を見せて安心させる事も出来ずして何が保護者ですか!!」

「すまん……」


 ぐうの音も出ない正論だった。そして声のトーンで分からされてはいるのだが……話の長さから怒りの度合いも窺い知れた。


 ここ最近を振り返ってみると、確かに思い当たる節はある。

 由美はいくら尋ねても欲しい物も食べたい物も積極的には言わない。

 その理由が、お金の心配をされているとは思わなかったが。

 まぁ、無職だとそう思われても仕方ないか。


「働き出してからの収入については言う必要ないけど、不労所得分ぐらい教えてあげたらいいんですよ」

「すまん、考えが足りなかった……」

「謝るのは私にじゃありません。先輩、この際ですからハッキリ教えてあげてください。毎月の収入はどれぐらいですか?」

「393,000円……これが2部屋除いた金額だ」

「由美ちゃんどうかしら?この人はあなたが心配するほど生活に困ってないのよ」


 矢野の言葉を聞いた由美は僕を見て驚いていた。え、少ないとか……思われてないよな?


「先輩、何考えてるか丸分かりです。そんな心配しなくていいです。高校生から見たら39万は想像が出来ないほどの大金ってだけですから」


 本当はこれに所得税とか色々引かれて、手元に残るお金は減るのだけど矢野はその辺は伏せてくれていた。


「由美ちゃん、安心して色々買ってもらいなさい。あ、でも添い寝とお風呂に一緒に入るのはダメ。そういう方面では絶対に甘えない事」

「でも……」

「はい、ストップ。でも……とかそういうのは無し。会った時から気になったんだけど髪の毛ちゃんと手入れしてるの?シャンプーとリンスはどこを使っているの?」

「パパと同じので、その2つが一緒になってるのかな」

「やっぱり。私の父が使っている緑の容器のソレと同じ匂いだもの」


 それを聞いた矢野がまたもや溜息を吐く。矢野の態度からしてダメって事なんだろうけど念の為尋ねる。


「何か問題あるのか?」

「問題しかないです。それぐらい気にしてあげてください、可哀想じゃないですか。引越し作業は後回しにして、今から買い物に行きますよ。2人ともその格好じゃアレなので、着替えてきてください」


 矢野の中では既に決定事項なのだろう。

 嬉々として買い物を提案する彼女に抗う術を、引越し作業を優先したいと言い出す勇気を僕達は持ち合わせていなかった。


「近くのショッピングモールに行きますよ。先輩お金たくさん持ってきてくださいね!!」


 この提案は、由美の為に何かをしてあげたいという気持ちの表れなのだろう。


「矢野、ありがとな」

「今度、先輩の奢りで飲みに連れて行って下さいね♪」


 矢野の要求に無言で頷き、ジャージ姿の僕は衣類を仕舞っているダンボールを探し始めるのだった……。

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