第13話 綺麗事
「そうよ。アンタみたいな役立たず、産まなきゃ良かったと何度も思った。成人になるまでは仕方なく面倒見てあげてる私の優しさに感謝して欲しいぐらいよ」
パーンと乾いた音が部屋に響いた。突然の事に一瞬呆気に取られていた百合だったが、叩かれた事を遅れて理解すると怒りの感情を露わにした。
「何するのよアンタっ!?女の顔を叩くなんて……傷害罪で訴えてやるわ」
「もう黙れ、そんな痛みぐらいで騒ぐな……」
「…………っ!?」
自分でもゾッとする様な低い声が出た。百合に対して侮蔑の視線を向けている自覚もある。いつぶりだろうか、これ程までの怒りを感じたのは……。
「お前の身に起きた事については気の毒だと思う。だからと言って、由美ちゃんにしてきた事は到底許される事ではない」
「知った風な口をきくな!!アンタにアタシの……アタシの何が分かるのよ!?」
「分からないし、知りたくもない」
食って掛かってくる百合に、吐き捨てる様にそう告げた。
「話にならない……警察を呼ぶわ」
「好きにすればいい。その代わりこっちも虐待の事は伝える。困るのはこっちだけじゃない」
「………っ!?」
脅されて困るのはお互い様だ。虐待の事実が発覚すれば、由美ちゃんは児童養護施設に行く事になるだろう。それでもこんな親の近くに居るよりはマシなはずだ。
だが、それを決断するにはまだ早い。
「どうする、警察を呼ぶか?」
「…………呼ばなくていい」
百合を屈服させた事で、思考が少し冷静さを取り戻した。
こんな風に怒るつもりなんてなかったのだが、僕もまだまだ未熟の様だ。
次に僕は彼女の真意を知る為の行動に移る。
自己否定や発達障害、自分が親から大切にされなかったトラウマ、心の病気。
親が子供を虐待する理由……愛せない理由はこの様に多岐に渡る。
そして自身が虐待を受けた親が、自分の子供を虐待してしまう『世代間連鎖』というものもあるのだ。
僕が知りたかったのは……百合が先程の言葉通り由美ちゃんを疎ましい存在としか思っていないかどうかだった。
このまま虐待の事実を明るみにして、由美ちゃんを施設に行かせる事は選択肢としては間違っていないと思う。
だが、それでは根本的な解決にならない。由美ちゃんが親になった時、先程の世代間連鎖が起きてしまう可能性があるからだ。
「ついでに僕の要望を言わせてもらう。由美ちゃんを僕に預けてくれないか?」
「どういう事?それがアンタに何のメリットがあるの?」
「メリットとかではなく、放っておけないからと言ってもどうせ信じないだろ?あくまで由美ちゃんの承諾があればの話だが……」
本人の意思を確かめる為に由美ちゃんの方に顔を向ける。その瞳は不安気に揺れていた。
困惑させてしまって申し訳ない気持ちになるが言葉はかけずに百合との話に戻る。
「君に子供を育てるのはハッキリ言って無理だ。由美ちゃんは心に傷を負っている。このまま施設に行かせても根本的な解決にはならない」
「………」
「だからと言って僕が彼女の心を癒す事が出来るなんていう気はない。結局は家族の問題だからな。君達に今必要なのは、物理的な意味での距離だと思う」
「それは遠回しにここを出ていけと言う事かしら?別にいいわよ、家賃払わないと行けないならこんな所に住んでいたくないし」
「誰もそんな事は言っていない」
「は?」
言いたい事が理解できなかったらしく、彼女は訝しげな視線を僕に向ける。
「むしろこのままこの部屋に居て欲しいと思ってる。何なら家賃だって払わなくていい」
「さっきは断っておきながらもう気が変わったの?何よ、結局アンタも他の男達と同じじゃない。偉そうな事を言っておいて、どうせ私とヤリたいだけなんでしょ?」
「それはない。それについてはさっき拒否しただろ?」
「ああ……そういう事ね……」
何を勘違いしたのか、百合はニタリとしたいやらしい笑みを浮かべた。
どうせ碌な事は考えていないだろうな。
「親権者の所在が不明になって困るのは由美ちゃんだ。この部屋に住んでいてくれた方が、もしもの時に対応しやすいからな」
「それじゃ私はこの人と一緒にこれからも住めばいいのね?」
「いや、それはダメだ。時枝さんとは別々に住んでもらう」
搾取する側とされる側の2人をこれからも一緒に住まわせるのは良くない。
「それじゃ、この人の保証人にアンタがなってあげるつもり?そこまで来れば偽善も大したものね、虫唾が走るわ」
「保証人にはならない。何故ならこの部屋の上に住んでもらうつもりだからな」
「この人にここの家賃が払えると思ってるの?馬鹿じゃないのアンタ」
国民年金しか貰っていない時枝さんが、このアパートの家賃を払うのは不可能だ。言われなくてもそんな事は分かりきっている。
「時枝さんからも家賃をもらうつもりはない。浮いたお金は手術代に回してもらう。当面の生活費も手術代も僕が立て替えるつもりだ」
「とんだお人好しね。それともそこまでして由美を手に入れたいのかしら?好きにしたらいいわ」
さっき浮かべていたいやらしい笑みの意味を理解した。予想通り碌でもなかったな。
何故すぐに下半身に直結する様な考えになるのだろうか?
いや、この思考こそが百合の通ってきた道の結果なんだろう。そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
「そういう事なんだけど由美ちゃんはどうしたい?性別的に母親にはなれないけど……父親の代わりぐらいにはなれると思う」
「ア、アタシは……」
由美ちゃんとしても即答は難しかった様で言葉に詰まった。少しでも場が和めばと思い言ってみた冗談もスルーされてしまい、空気を読めてなかったと後悔するも時すでに遅し。
母親に助けを求める様に視線を向けた先には、由美ちゃんを見ようともしない百合の姿があった。
落胆した彼女は、小さな声で呟いた。
『大家さんと一緒に居ます……』と。
失意のどん底に陥った様子からして、彼女には見えていなかったのだろう。
唇を噛み締める百合の姿が……。
親に『産まなければ良かった』と言われ、耐え続けた心が折れてしまったのは分かる。想像を絶する程のショックだとは思うが、僕にその痛みを知る術はない。
ただ、一つだけ思う事がある。幼少期からずっと虐待を受け続けた少女が、ご機嫌取りではなく、あんなに真っ直ぐな好意を示す事が出来るのだろうか?
愛したいのに愛せない……もしかしたら百合の中にそんな葛藤があったのかもしれない。
それを信じていたからこそ、由美ちゃんは今まで耐える事が出来たというのは考え過ぎだろうか。
虐待した親との和解については、賛否両論あると思う。由美ちゃんが大人になった時、何を思うかは分からない。
和解して欲しいとかではなく、その可能性を選択肢として残してあげたかったのだ。
百合が唇を噛み締めたその姿、時枝さんが由美ちゃんに向ける優し気な視線。
綺麗事と笑われるかもしれないが、それを信じたいと思った……。
あとがき
※由美に関するシリアス展開はこれで一旦終わりの予定です。今後の布石の為にも、どうしても書いておきたかった内容です。賃借人の娘、しかも高校生と同居って……普通に無理がありますよね。
これでも動機としては不十分だと思いますが、優大は馬鹿なお人好しで納得いただけるとありがたいです。
ここまで、ブラバせずに耐えてくださった皆様に感謝致します!!フォロー、応援、評価、感想、考察ありがとうございました。
次の話では、必殺技の『時飛ばし』を使うので雰囲気ガラッと変える予定です。
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