第11話 違和感は疑惑に…そして確信に変わる
由美ちゃんと雑談を交わしながら、母親の帰宅を待つ。その間、僕はずっと由美ちゃんを観察していた。
時刻を確認すると、あと少しで21時を回ろうとしている。法律的な意味合いで、そろそろお暇しないとまずい時間が迫っていた。
「由美ちゃん、お母さんはまだ帰らないのか?時間も時間なので言わせてもらうが、僕がここに来たのは家賃を取り立てる為だ。おそらくだけど、君も薄々気づいてたよね?」
「…………」
彼女は何も答える気はないとばかりに俯く……さっきまでの明るい様子が一転した。そして、答えない事が答えみたいなものだ。
僕がそう思った理由は、お金が絡む話になると不自然に話題を変えようとしていたからだった。
正直な所、取り立てについては日を改めれば良いだけだ。僕が本当に聞きたかった事は別にある。
「ずっと寝ていた三条さんが、朝から何も口にしていない。君が居ない時に、冷蔵庫の中を見たが病人が食べれそうなものはなかった。いつも食事はどうしているんだい?」
「マ、ママが……買ってきてくれてる……」
嘘だと思った、何故なら質問に答える彼女の目は泳いでいる。あえて僕と視線を合わせない様にしているのが一目瞭然だった。
「なら、質問を変えようか。どうして君達はそんなに痩せ細っているんだい?きちんと食事をしていないのではないか?」
「…………っ!?」
由美ちゃんが帰ってくるまでは、違和感がある程度だった。
だが彼女と話す事で、違和感は疑惑に……そして確信に変わっていった。
最初に由美ちゃんと三条さんを見た時の印象は2人とも痩せているなと思った。
それでも僕がどちらか1人としか会っていなかったなら、差し当たって気にする事もなかっただろう。
三条さんの顔色が悪くても病気と聞かされれば、そういうものだと認識する。
由美ちゃんにしても、女性にありがちな食事制限でもしているのだと納得していただろう。
何らおかしい事ではないはずだった。だが、それだけではこの状況は色々と説明がつかないのだ。
何故、冷蔵庫にほとんど何も入っていなかったのか?
何故、目の前の少女は小さく鳴るお腹の音を必死に誤魔化しているのか?
そして……
何故、この部屋はこんなにも綺麗なのだろうか?
「君とおばあさんは……虐待を受けているのではないのか?」
「そんな事ない、アタシはママに愛されてる!!」
僕の中では、既に2人が日常的に食事を与えられていないものと結論づけられている。
彼女が激昂し反論して来ようと、それは覆る事はない。
絶対とは言えないが、お金に困っている家庭によく見られる特徴が1つある。
とにかく荷物が多いのだ。こうなる理由は、貧困で心に余裕がなくなり片付けをしなくなる、買い物でストレスを発散する為に物が増えていく等の諸説がある。
仕事上で競売物件や任意売却物件を取り扱う事があり、お金に困って家を売る人と接する機会も多かった。
多くの案件がこの例に漏れることはなく室内は物で溢れかえっていた。
この部屋はそれに当てはまらない、対照的なまでに綺麗に整理整頓されていたのだ。
荷物がたまたま少なかっただけと言ってしまえばそれまで。
置かれている家具も洗練されたセンスの良い品々。家具の良し悪しはよく分からない僕でも、良い品であると思えた。
一見したらお金に困る前に買ったとも思えるこれらの品々の中で、この有名デザイナーが手掛けた新作のローテーブルだけは異質だった。
なぜ半年も家賃を滞納する家庭が、先月出たばかりの60万円もする家具を買う事が出来るのだろうか?
家具の知識に乏しい僕がこの事を知っていたのはたまたまだ。先日、知り合いのインテリアコーディネーターの家へ遊びに行った時、同じものをウンザリするほど自慢されたから覚えていたのだ。
それだけの余裕があるにも関わらず、ペットボトルの備蓄も、ましてや家庭用ウォーターサーバーも置かれていない。
病人に水道水を飲ませる事を
まだ会っていないにも関わらず、僕の中での彼女の評価は地に落ちていた。
これらが2人の虐待されている可能性を疑った根拠である。
「愛されていると思い込みたいだけじゃないのか?」
僕は由美ちゃんに改めて問う。
虐待されている子供は、親を好意的に思う特徴があるというのをどこかで見た記憶がある。
そして、彼女はきっと自分が親に愛されていると信じたいのだろう。
「違う違う……そんな事はないっ!!ママはご飯もたまに買ってきてくれるし、学校に行くのだって許してくれた」
「それは大抵の家庭の親がやっている事であり、何も特別ではない。君はバイトもしている、お小遣いには余裕があるはずだ。何故きちんと食事を摂らない?」
「そんなのおじさんには関係ないじゃんっ!!」
険悪な雰囲気に拍車が掛かろうとしたその時、僕のすぐ後ろから声がした。
「由美、落ち着いてちょうだい。大家さん……ここからは私が説明します」
振り返ると、三条さんが立っていた。
「起きて来て大丈夫なのですか?」
「はい。ずっと寝ておりましたので、おかげさまでだいぶ良くなりました」
「そうですか、ではこちらへ座ってください」
僕も熱くなり過ぎて、由美ちゃんを責め立てる様になっていた事は自覚していた。
だから、このタイミングでの三条さんの介入はとてもありがたかった。
座椅子は二つしかなかったので、座っていた場所を譲り隣に少しズレた。三条さんはありがとうございますと言って腰を下ろす。
「申し遅れました、三条時枝と申します。隣で話を聞いておりましたが、大家さんの推測通り、娘の百合は育児放棄……私の事も居ないものと思っているでしょうね……」
膝を抱えて
「孫がそんな目に遭っているのに、あなたは何もしないのですか?」
「そう言われるのはごもっともです。ですが、私はこの子に何もしてあげられません……。住む場所を追われ明日の暮らしに希望を見出せない。もはや人生を終わらせたいとしか思っておりません」
「…………」
時枝さんは自身に起きたこれまでの経緯を話し始めた。
少し前に年金暮らしが限界となり住んでいる場所の立ち退きを求められた事、そして不幸が重なり病気が発覚した事。
先は長くないと言っていたので、踏み込むべきか少し悩んだが病気について尋ねる事にした。
ステージⅡの大腸癌……大病ではあるものの、手術すればまだ生きられる可能性がある病気だった。
なぜ手術をしないのかを尋ねると、病院代が支払えない事、そして生きる希望を見失った事が理由だった。
手術するにしても高額医療に該当する為、負担金自体はそれほど高いものではない。娘の家に身を寄せたのだから、金銭的な余裕もできたはずだ。
生きる気力を失い生を諦める……この決意をした彼女の苦悩はどれ程のものだっただろうか?
僕の口からは『手術を受けるべきだ』という言葉が出る事はなかった。
「それならば、あなたの年金で由美さんにしっかりとした食事を摂らせてあげる事は考えなかったのですか?」
「それは不可能です。年金は全て娘に渡しております。それがここに置いてもらう条件でしたので……」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。どこまで搾取すれば気が済むのだろうか?
時枝さんは立ち退きを求められ、一度は住み替え先を探していたのだ。この家を最初からアテにしていた訳でない。
保証人を身内で立てる事が出来ない老人が部屋を探す難しさを問われ、僕は正直に『かなり難しい』と答えた。
テレビやネットでもこの手の話はよく話題になっている。
その答えを聞いた彼女は寂しそうに笑った。
娘に保証人になってもらえなかったのかを尋ねるのは野暮だろう。時枝さんがここに居ると言うのはそういう事なのだ。
「由美がバイトしてるのは、高校の費用を賄う為です。学校側からは特例で土日だけの条件で許可をもらっています」
「そうだったんですね……」
「いいって言ってるのに、私の病院代も貯めるって言ってくれる優しい子なんですよ」
そう言って慈愛の眼差しを由美ちゃんに向ける時枝さんの姿を見て、このまま家を追い出すだけだ良いのかという疑問が浮かんだ。
もう間に合わないのだろうか?自分の生を諦めたくないと思い直させる事は出来ないのだろうか?
諦めたフリをして自分に言い聞かせているだけ……その可能性も捨て切れない。
そんな事を考えていると、ガチャリと扉の開く音がした。
僕の待ち人であるこの部屋の主、この状況を作り出したであろう人物がようやく帰ってきたのだった……。
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