第10話 パパ活への誘い

 家族の帰宅を待つ間、テレビを見て時間を潰していると、矢野から何度かメッセージが届く。


 内容は朝に話していた僕の住所の催促だ。そんなに気にする事なのだろうかと思ったが、あまりにしつこいので仕方なく送っておいた。


 結局、家族の帰宅よりも三条さんが先に目を覚ました。


「大家さん、まだ居てくださったのですね」

「ええ、鍵が掛けられないまま放っておく訳には行きませんでしたので……」

「お優しいのですね。大変申し訳ないのですが、お水を一杯いただけますか?水道からそのままでいいので……」


 立ち上がりキッチンへ向かう。蛇口には、浄水器は付いていなかった。


「冷蔵庫開けさせてもらいますね」


 ペットボトルの水が入っている事を期待したがそれもなかった。それどころか入っているものと言えば、調味料ぐらいでほとんど空の状態だった。


 聞いていた昨日の残り物が目に止まった。もやし料理……この家庭の生活水準を物語っている様な気がして居た堪れない気持ちで扉を閉めた。


 水切りラックに入っていたコップを手に取り、水道水を入れる。


 部屋に向かっていると、三条さんが自力で起き上がろうとしている姿が見えた。

 コップを一旦置き、起き上がる手助けをする。

 背中側へ手を回し上半身を起こそうとしていた時、玄関の開く音がした。


 家族の人が帰ってきたらしく、こちらに向かってくる足音が聞こえる。

 その音に振り返ると、茶色に染めた髪をサイドテールにした少女が立っていた。

 こちらを見てすぐさま状況を理解したのか、大声でとんでもない事を言い始めた。


「え……誰?ちょっとアンタ何してるの……は?まさかおばあちゃんをヤろうとしているの!?警察、警察呼ばないと!!」

「ちょっと待ってくれ。僕はここの大家だ。警察は呼ばなくていいから話を聞いてくれ」

「大家……?嘘だっ!!大家が若返ったりするもんか」 


 彼女は大家が変わった事を知らないのが、今の一言で理解できた。

 殺そうとしていると思われ事は心外だったが、そんな事を言っている場合ではない。


「新しく大家になったの。おい、スマホを操作しようとするな。いいから話を聞いてくれ」


 いきなり警察を呼ばれそうになり僕は焦る。


「由美、その方が言ってる事は本当よ」


 三条さんから助け舟が入った事で、ようやく少女はスマホから目を離した。

 それを確認して、三条さんに水を飲ませる。


「そっちの君、とりあえず水を飲ませていただけだから心配しないでくれ。三条さん、顔色がまだ悪いですね、もう少し横になりますか?それとも何か口にしますか?」

「もう少ししたら娘が帰ってきます。それまで横になってても良いでしょうか?」


 僕は頷き、抱えていた上半身をそっと布団に下ろした。


「ええと……とりあえずリビングで話そうか」


 僕を訝し気に見てくる少女に苦笑しながらそう伝えた。


 ローテーブルを挟んで座る。とりあえず自己紹介でもするか。


「初めまして、このアパートの新しい大家になった高槻です。君は三条さんのお孫さんでいいのかな?名前を聞いても?」

「三条由美。それで大家がウチに何の用なの?」


 そう言って僕を睨む少女の姿を改めて見る。猫目が特徴的な美少女ではあるものの、着崩した制服、髪の色からしていかにもヤンチャしてそうな印象の子だった。


「それはお母さんが帰ってきてからにしよう。僕は一度部屋に戻るから、帰ってきたら呼びに来てくれないか?」

「もう帰ってくるから、マ……お母さんに用があるならこのまま居たらいいじゃん」


 美少女とは言え友好的ではない女子高生と一緒に居て喜べる程、僕は楽観的ではないつもりだ。

 彼女としてもこの状況は好ましくないだろうし、本音としては呼び止めないで欲しかった。

 だってそんな風に言われたら断れない……。


「それじゃ、お言葉に甘えて。帰りが結構遅かったけど……いつもこうなのか?」

「いつもじゃないよ、今日はたまたま。友達と遊んで来たからさ」


 三条さんが辛そうにしていたのに、孫は遊び歩いていたと……。

 他人の家庭に口を出すつもりはないが、不快感を覚えるのは仕方ないだろう。

 そんな僕の考えは表情かおに出てしまっていた様だ。


「言いたい事は分かるよ、普通はそう思うよね」


 そう言って彼女は、曖昧な笑みを浮かべる。その笑みは何処となく憂を帯びていた。

 その様に、僕が考え違いをしている事を悟る。どうやら何か事情がありそうだ。


「何か事情があるんじゃないか?」

「……っ!?はぁ〜、何でそんな事聞くのさ。別にいいじゃんアタシの事なんて」

「聞いて欲しそうな表情かおしててそれはないだろう」

「え、そんな顔してた!?」

「いや、してないけど?」

「おじさん、アタシに喧嘩売ってる?」

「冗談だ、揶揄って悪かったよ。お母さんが帰るまで無言で待つのもお互い気まずいだろ」


 僕にジト目を向けた後、大袈裟に溜息を吐く素振りを見せる彼女。それでも提案には乗ってくれた。


「おばあちゃんがさ。ちゃんと友達と遊べって言うんだ。自分の体調が悪いのにさ。マ、お母さんは仕事でいつも遅いから、1人にさせると心配なのに……」


 三条さんが孫に迷惑をかけたくない一心で言っているのは一目瞭然だ。

 少女も友達と遊ばない事で、祖母を苦しめると分かっていてるからこそ自分の気持ちを押し殺して従っているのだろう。

 彼女は見た目こそアレだが、思い遣りのある優しい子なんだろう……歯車の噛み合わない2人のお互いへの気遣いに胸が痛んだ。


「三条さんは三条さんの事が大切なんだな……」


 考え過ぎていた様で、日本語が変になってしまった。


「何それ、どっちも三条さんじゃん。ウケるんですけど。私の事は由美でいいよ」

「了解、由美ちゃんね。お母さんはいつも遅いのかい?」

「うん。マ、お母さんいつもこんな感じだね。休みの日はおばあちゃんのお世話をしてるよ。逆にアタシは週末はバイト入れてる」

「へぇ〜、頑張ってるんだね」


 アルバイトまでしているのか……。昔の自分と重なり彼女に対する印象がまた一つ良くなった。

 この場の空気も少しずつ和んで来たと感じた矢先……


「生活に余裕ないからね。あ、そうだ。おじさん、パパ活とか興味ない!?」

「………っ!?君、まさかそんな事してるのか!?」


 この場の空気が凍りついた。


「してる訳ないじゃん!?ただモテなさそうだし……もしかしてそういうの興味あるのかなと思っただけ。ほら、さっきもおばあちゃん性的な意味で襲おうとしてたじゃん?」

「なっ!?襲うわけないだろう。それに最近まで彼女だって居たんだぞ!?」


 彼女が言っていた『ヤる』は、どうやら殺るの方ではなく犯るの方だったらしい。


 そういう風に思われていた事を知り、愕然としつつも……モテないと言われて反射的に彼女居た自慢をした自分に嫌悪感を覚える。


 言い過ぎたと思ったらしく、気づけば彼女も狼狽えていた。

 その様子がおかしくて、つい笑みが溢れてしまう。


「あまりに衝撃的で、意識を飛ばしてた。もう大丈夫だ。それでさっきの話に戻るけど、本当にそういう事はしていないんだね?」

「してないよ。バイトだって普通の接客だもん」

「いかがわしい接客じゃなくて?」

「もう、本気で怒るよ。駅前の喫茶店、嘘だと思うなら見に来たらいいじゃん」


 そう言って頬を膨らませている彼女。揶揄い過ぎてしまった様だ。


「悪かったよ。でも、由美ちゃんが変な事を言うからお返しだ。そもそも僕が君のおばあちゃんに対して、劣情を抱く様な人間とは本心では思っていなかったんだろ?」

「…………」

 

 え、何……。無言でジッと見てるって事は本気でそう思ってたのか!?流石に60代、ましてや病人を襲うとかあり得ないだろ。

 くっ、大人を舐めてるな。揶揄い過ぎたと、こちらが反省していれば調子に乗って。

 そっちがその気ならいいだろう……戦争だ!!


「何度も言い直してたけど、由美ちゃんてお母さんの事をいつもはママって言ってるんだよね?子供っぽくて可愛いとこあるじゃん」


 必死に隠そうとしていた事を指摘し、ニヤリと笑う。


「え、私いま口説かれてる?無理無理、おじさんとかマジで無理だから。優しくされて勘違いするとか『キモい』んですけど。うわっ、さぶいぼ出てる」


 反撃どころか逆にゴミを見る様な目を向けられ、僕が思い知らされる事となる。


 キモいと言われたショックと、今時の女子高生でも……『さぶいぼ』とか使うんだなという場違いな感想が僕の頭を過っていた……。

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