第3話 お別れ会②
矢野のお説教が終わり、漸く料理を注文する許可がおりた。
入店してから既に30分が経過しており、未だに来る気配のない山本を恨めしく思う。
「矢野、何か食べたいものはあるか?それともいつも通りでいいか?」
「そうですね、最後ですし……いや、やっぱりいつも通りでお願いします」
「いつも通り、了解」
呼び出しボタンを押して、店員が来るのを待つ。
お説教の時はマシンガントークだった矢野は、黙ってメニューを見ていてる。
手持ち無沙汰で、何となく矢野を見ながらこれからの時間をどう繋ごうか考えていた。
別に矢野と2人で食事をするのは今日が初めてという訳ではない。ただ、いつも仕事の話ばかりをしていたので、何を話していいのか思いつかないのだ。
どれぐらいそうしていただろうか……突然顔を上げた矢野と思いがけず目が合った。
「え、私の事ジッと見て何なんですか?ちょっとキモう……ちょっともう怖いんですけど」
咄嗟に言葉が出てしまったのだろう、彼女が一瞬顔を顰めた。
矢野は、これまでも僕に対し『キモい』と言う事があった。
だからこそ僕には分かる。誤魔化したつもりかもしれないが、お前の言いたい事は理解しているから安心してくれ。
「一生懸命メニューを見ていたからさ……他に頼みたいものでもあるのかなと思ってな」
「そうですね……折角ですし『冷奴』の追加もお願いしてもいいですか?」
僕は聞き間違えたのかと思った。
「すまん矢野……確認だが『冷奴』でいいのか?」
「ええ、そう言いましたが」
彼女はそう言って、視界から僕を追い出す様に顔を背けた。
僕達3人の集まりには暗黙のルールがある。
ルールとは言っても、家で簡単に作れる料理を頼むのはお金が勿体無いから注文禁止というだけで大した話でない。そう、僕以外の2人にとって……ではあるが。
このルールを言い始めたのは矢野で、悲しい事に僕の好きな料理の『冷奴』は注文禁止メニューにめでたくカテゴライズされた。ルール制定後からは、『冷奴』を頼んだ事はなかった。
それが今になって、しかも矢野から注文したいと言い出すなんて……一体どんな裏があるのだろうか?とつい勘繰ってしまう。
もしかして普通に会話していると見せかけて、矢野は既に酔いが回っている可能性も否定できない。それはそれで心配なので注意深く見ておこうと思った。
そんな事を考えていると、オーダーを取りに店員さんが来た。
「いらっしゃいませ〜。って、高槻さんと矢野さんじゃないですか!!いつもご贔屓にありがとうございます。ご注文はお決まりでしょうか!?」
注文を取りに来てくれたのは顔馴染みの店員さんだった。いつも明るく笑顔が素敵な女子大生の彼女。とても気持ちの良い接客をする人だ。
「鶏の唐揚げと山芋鉄板、刺し盛り、ホッケ、牛すじ大根、豚の角煮、シーザーサラダ、それと……『冷奴』を!!」
僕は淀みなくいつものラインナップに冷奴を付け加えた。
「ご注文を繰り返します。鶏の唐揚げ、山芋鉄板、刺し盛り、ホッケ、牛すじ大根、豚の角煮、シーザーサラダ、冷奴ですね。お飲み物の追加は必要ありませんでしたか?」
「僕はまだあるから大丈夫。矢野、何か頼んだらどうだ?」
矢野に尋ねると、彼女は待ってましたとばかりに、ニヤリとした笑みを浮かべた。
「ビールは散々飲んだので、店員さんキープしている焼酎を持ってきてもらえますか?ボトルにはいつも通り『魔法使い高槻』と書いてます」
「はい、『魔法使い高槻ボトル』ですね。お料理に少しお時間をいただきますので、先にお飲み物をお持ちしますね」
またしても公衆の面前で辱められた。
だが、店員さんに悪意はなく、また矢野に文句を言う度胸もない。
泣き寝入りするしか選択肢がない状況に
料理が来るまでの間、矢野と出会った頃の思い出話を久しぶりにする事になった。
新卒で入社した彼女は、今の姿からは想像出来ないほど引っ込み思案だった。
当時の彼女の教育係をしていた女性社員は、矢野が男性社員からチヤホヤされているのが面白くなかった様で仕事をほとんど教えていなかっただけでなく、雑用を押し付けていた。
今の時代に、仕事は見て覚えろなんて考え方は時代錯誤も甚だしい。
今時の若い子は……なんて言うつもりはないが、少なくとも矢野は教えられていない事が出来る器用な人間ではなかったし、不動産は経験が物を言う仕事だった。
そして僕は、その見て覚えろを実践させられた側の人間だからこそ乗り越える為の苦労がどんな物かを理解している。
自分が経験した、しなくてもいい苦労を他人にさせたくなかった僕は、彼女の教育係を申し出た。
社長の甥という立場の僕が、見目麗しい女性社員の教育係を自分から申し出るのは社内で変な噂が立つかもしれない。
その当時、僕は既に凪沙と付き合っていたから、矢野と何かが起きるなんて事がある訳ないのだが、それを言ったところで周りはきっと信じないと思った。
そう懸念した僕は、矢野と同じ理由で苦労していた山本の教育係も申し出た。
これが僕と矢野と山本の馴れ初めである。2人とも真面目な性格で、どんどん知識を吸収していった。
今では営業数字が社内でトップクラスに成長した。
年間の数字で負ける事はなかったので、最後まで教育係として、そして先輩としての威厳は守れたと思う。
時間を忘れて矢野と話した。未だ到着しない山本の事は頭からすっかり抜けてしまう程、彼女との会話は弾んだ。
彼女も同じ様に楽しい時間を過ごしてくれたんだろうと思う。
そうじゃなきゃ、今目の前で酔い潰れている説明がつかない。
そう、酔い潰れちゃったんだよな……。うーん、どうしよう?
僕は未だ現れないもう1人の可愛い後輩を履歴から探し電話をかける。
「お疲れ様です、優大先輩!!すいません、まだ仕事が終わってなくて……」
「いや、それは気にしなくて良……いや、良くないな。山本……忙しくしている所をすまないが助けて欲しい」
「助けて?優大先輩!?なんかあったんですか!?俺どこに行けばいいですか!?」
俺が助けを求めると、山本は慌てたふためく。電話越しでもとても心配してくれているのが分かり、安易に電話をかけてしまった自分を自己嫌悪する。
「いや、それがな……。矢野が酔い潰れたから何とかしてくれないか?お前ら仲良いだろ?」
「はぁい!?」
すまん山本……頼りにならない先輩を助けてくれ。迷惑をかけるのはこれで最後にするから……。
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