第2話 お別れ会①
彼女に別れを告げられた事実を、脳が理解するまでに少しの時間を要した。
そこまで時間は経っていないと自分では思っていたが、店の外に出た時には彼女の姿はどこにもなかった。
その場で急いで電話をかけてはみたが、何度かけても話し中。メッセージアプリに謝罪の文章を送っても既読は付かない。
あまりしつこくかけるのは良くないと判断し、彼女からの返事を店の駐車場に停めている車の中で待った。
結局、店の閉店時間になっても折り返しの連絡はなかったので、その日は諦めて帰宅をした。
その日から電話とメッセージを毎日入れ続けてみたが彼女と連絡が取れないまま、無意味に時間だけが流れる。
会いに行こうと何度も考えた。
だが3年も付き合っていながら、僕は凪沙の住むマンションこそ知っていたが、何号室に住んでいるかまでは知らなかった事実に愕然とした。
そうなると取れる手段が待ち伏せしかなくなるのだが、彼女にこれ以上嫌われる事を恐れ、なかなか行動に移せなかったのだ。
尻込みしている間に気づけば2週間が経過し、住んでいるマンションの引き渡し期日が刻一刻と迫っていた。
ここまで追い詰められ、
だが、考えてみて欲しい……。いい歳した大人がマンションのエントランス付近で待ち伏せなんてするとどうなるだろうか?
この時の僕はそんな簡単なことすら思いつかない程、冷静さを失ってしまっていた。
結論だけ言うと、警察に不審者扱いされ職務質問を受ける事態になったのだ。きっと住人の誰かが通報したのだろう……。
彼女と連絡がつかなくなりこうして待っていた事を説明したものの、すぐにこの場所を離れる様に言われたので、警察の指示におとなしく従った。
その後も凪沙から連絡がないまま、マンションの決済日……お客様にマンションを引き渡さなければならない日を迎えた。
引っ越し先については、僕が買わせてもらう予定のアパートの2階の住人がタイミング良く退去したので、一軒家のリフォームが終わるまで、その部屋を仮住まいとする事にした。
流石に1ヶ月も音信不通の状態が続けば、凪沙が言った『別れる』が本気だった事を認めざるを得ない。
彼女とヨリを戻す事は、この頃には既に諦めていた。
アパートは1LDKの間取りなので、持っている荷物全部は入らない。それを免罪符に持っていた家具や電化製品は処分する事にした。
凪沙との思い出が蘇り見るのが辛かったから処分したかったというのが本音である。
こうしてマンションを売却し、アパートと一軒家を買った。そして、予定通り会社も辞めて明日この街を出る予定だ。
「という出来事があったんだけど……」
最終日に会社に行くと、可愛がっていた後輩の2人がお別れ会を開いてくれると言ってくれた。
向かう先は、いつもの居酒屋。
店に着くと飲み物だけを注文。
飲み物が届くと同時に乾杯……ではなく、矢野菜月による尋問が始まった。
切れ長の目で睨まれると怯んでしまうのは仕方ないだろう。矢野はクール系美人の見た目に反し、とても感情豊かである。そこが彼女の魅力でもあり短所とも言える。
時折、手のつけられないほど怒りを露わにするのだ。
そんな彼女に問い詰められたら拒否権なんて最初から存在しない。僕と会うのも最後ということもあり鬱憤が爆発したのだろう。
今までもそれとなくは聞かれていたものの、僕にだって男のプライドというものがある。
自分の不甲斐なさを彼女に知られたくなくてずっと言及を避けていたのだが、どうやら今日が年貢の納め時だった。
もう1人は仕事の関係で遅れるので、3人揃ってから話をしてもいい様にも思えたが、彼女の鼻息は荒く、それを納得させるのは難しいと判断して先に話さざるを得なかったのだ。
後でもう一度、同じ説明しないといけないのかと思うとつい苦笑が漏れてしまう。
「先輩……黙って聞いてましたが一言いいですか?」
「ああ……」
「なんで仕事は出来るのに、恋愛になるとポンコツなんですか?」
「うっ……」
「何が『うっ……』ですか。だいたい結婚って人生の大きな岐路です。それを何です?サプライズ?相手に何の相談もせずマンションは売る、そして仕事まで辞める。私が彼女さんの立場なら同じ様に先輩なんて拒否です拒否。そんなだから魔法使いになるんですよ。そこまで大切にしていたなら、何であと一年待てなかった……ってこの話は置いておきます。だいたい先輩は、仕事辞める事だって私には何も言ってくれないし……それなのに山本君には伝えてるし……。しかも先輩が会社を辞める事を山本君から聞かされた私の気持ち分かります?分かる訳ないですよね!!分かるぐらいの頭があればこんなサプライズ実行しようなんて思わないはずです。そういうとこです、先輩のダメダメな所は……ってちゃんと聞いてます!?」
一言というのは、いつからこんなに長くなったのだろうか?あと、魔法使いとかさりげなくディスられてるんだけど……。
まぁ、酔った勢いで凪沙が人生で初めての彼女だと言った僕にも非があるのは認める。
山本に煽てられて、言わなくてもいい童貞を捧げた話をしてしまった事も後悔している。
そりゃ山本にだけ会社を辞める事を話した僕も悪いとは思う。
だが、自分本位かもしれないが男心を察して欲しい気持ちもある。
カッコ悪い事も知られているので今更かもしれないが、後輩とはいえ異性の前では最後ぐらいカッコつけたいじゃないか……。
山本は同じ男だから話しやすかっただけなのだが、怒り心頭の彼女にそんな言い訳は通用しないだろう。
僕に出来た抵抗と言えば軽口を叩く事ぐらいだった。
「馬鹿って……。傷心している先輩を気遣う優しさとかあったりしないの?」
「だからこうしてお別れ会をしてあげてるんじゃないですか」
「ソ、ソウデスネ」
「何ですかその言い方。全然感謝の気持ちがこもってません!!私が先輩のお世話をしてあげられるのも今日が最後なんです。だからもっとしっかりしてくれないと私が困ります」
「………すいません」
「この際だから言いますが先輩は…………」
ん?お世話をしてたのはどちらかと言うと僕の方ではないだろうか?彼女の仕事のミスのフォローをそれなりしてきたつもりではあるが、どうやらそれは僕の勘違いだったらしい……。
山本早く来てくれないかな……って考えながら、まだまだ続いている彼女のお説教を聞くフリしながら聞き流しつつ、彼の到着に思いを馳せていた。
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