54

 母が車を出し、兄が留守番をすることになった。

 いつもなら少し怖いと思う母の運転が、今日はやけに遅く感じる。

 葛城の家に着くと、まだ玄関前に救急車が停まっている。


「葛城!」


 私は勝手知ったるなんとやらで、リビングのドアを開けた。

 

「洋子ちゃん!」


 深雪ちゃんが半泣きで駆け寄ってきてしがみつく。


「沙也ちゃんは?」


「お母さんと救急車に乗ってる」


「お父さんは?」


「分からないの。沙也ちゃんが何度も電話してたけど、出ないみたい」


 相変わらず役に立たんクソオヤジだ。


「深雪ちゃん、行くよ。あっ、洋子ちゃん」


 興奮状態なのか、頬を真っ赤に染めた葛城が驚いた顔をした。


「病院は? お母さんも一緒に来てる」


「今日はかかりつけ医の先生が不在で、受け入れ病院を探すのに時間がかかったみたい。駅前の総合病院が受け入れてくれるって」


「分かった。すぐ追うから」


 救急車に乗り込んだ二人を見送り、母と二人で火の用心と戸締りをしてから施錠した。

 散らかったままのテーブルはそのままにして、電話の横に置いてあったメモ用紙に病院名だけを書いて、食卓の上に置いた。


「駅前の総合病院ね。洋子は優紀に電話して、遅くなるって伝えておきなさい」


 昼行燈のような母が鬼気迫る顔で言った。


「はい」


 どうか母子ともに無事でありますように。

 私は祈る以外の術を持たなかった。


 やっと駆け付けてきた葛城のクソオヤジは、少し酒の匂いがしている。

 母と私にぺこっと頭を下げ、沙也の横を素通りして深雪ちゃんに駆け寄った。


「大丈夫か? 深雪」


 どこまでいってもクソはクソだ。

 私が一歩踏み出そうとすると、ははに肩を掴まれた。


「葛城さん、深雪ちゃんはとてもよく我慢をしていい子にしていました。でも沙也ちゃんが全ての手配をしたのですよ? あなたに連絡がとれず、心細かったと思いますよ?」


 母の声がいつもより低い。

 クソオヤジが振り返った。


「ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫ですので」


「そうですか。では私たちは帰ります。じゃあね、沙也ちゃん。何時でも良いから困ったことがあったら電話してきなさい。深雪ちゃんも不安だろうけれど、お姉ちゃんの言うことをよく聞いて頑張ってね」


 父親の手を振り解き、沙也の腰に抱きついた深雪ちゃんがコクコクと何度も頷いた。


「じゃあ葛城、一旦帰るがいつでも電話して。後はお父さんに任せればいいんだから、少し休んだ方がいい」


「うん、ありがとうね。おばさんもありがとうございます。いつも頼っちゃってごめんなさい。もうどうして良いのか分からなくて……」


 母が沙也の頭を撫でた。


「いいのよ、よく頑張ったね」


 葛城がいきなり泣き出した。

 よほど気を張っていたのだろう、顔色が悪い。

 どういう理由であれ、人に暴力を振るうのは犯罪だし、私の腕力では一瞬で返り討ちにあうだろうが、どうしてもこのクソオヤジのチンに一発アッパーをかましたい!


 そんな私の激情を瞬時に鎮めたのは深雪ちゃんだった。


「お姉ちゃんに謝れ!」


 ぽかぽかと父親の脛を蹴っている。

 そうは言っても深雪ちゃんも十歳だ。

 痛かろうに呆然としているクソオヤジは、蹴られままになっている。


「行こう、洋子。優紀の準備もしてやらなきゃ」


「うん。じゃあ葛城、一旦帰るよ」


「ありがとう。おばさんも本当にありがとうございました。また連絡するね」


 私たちは家に着くまで無言だった。


「ただいま」


 出迎えた兄が様子を聞いてくる。

 出血が酷かったことや父親が来たので帰ってきたことを伝えた。


「出血か……今は手術室? 大変だったね。沙也ちゃんは大丈夫? 深雪ちゃんは?」


 玄関に立ったまま話していたら、リビングからばあさんが顔を出した。

 母が説明するからと言ってくれたので、兄と私は部屋へ戻った。


「しかし試験終了と同時にそんな事があるなんて、沙也ちゃんも大変だ」


「うん、明日は登校してこないかもしれないね。そう言えばお兄ちゃんって明日戻るの?」


「そう、明日の午後便で行くよ」


「ありがとう、お兄ちゃん。お陰で落ち着いてテストを受けることができた」


「そうか、それなら良かった。結果は後からついてくるもんだ。残りの高校生活をせいぜい楽しめよ」


 いない間に準備したのか、兄のトランクはすでにできている。

 それを階下に運び、二人でリビングに顔を出した。

 ばあさんと母さんが神妙な顔で話している。

 父さんは風呂だろうか。


「ああ、優紀さん。明日帰るんだって? 出るのは早いのかい?」


「15時半に羽田だから、昼ごはんを食べてから出るつもりだよ」


「次は春休みだね」


「いや、春は戻れないかもしれない。牧場の出産ラッシュ時期だって先輩がいっていたからね。それよりおばあ様が来ればいいんじゃない? 洋子も長い春休みなんだから一緒にさ」


 ばあさんはニヤッと笑って私の顔を見た。

 北海道かぁ……行ってみたいなぁ。


「そうだねぇ、それも良いね」


 風呂から出た父も交えて、どうでも良いような昔話をした。

 家族ってこういうもんだよね?

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