季節葬

しがない

1

 新学期が始まり、つまり僕の小規模な世界が新たに作り直されてから一ヶ月が経ったけれど、僕の世界は孤独という人間関係における最小単位から出ることはないままでのような平穏を保ったままでいた。

 十四年間生きてきて、それがいいことなのかは未だに分からない。大人たちは友達を作りましょうと、さも孤独が悪いものであるかのように言うけれど、井戸の底のようなこの場所は案外居心地が良くて、今のところ僕は困ったことがない。

 そんな中だった。学校の裏庭で、彼女を見かけたのは。

 彼女の名前は分からない。クラスメイトということは知っているけれど、僕は他人の名前を覚えることが極端に苦手だった。花の図鑑を見たとして、違いは分かれど名前の区別がつかないように、僕には人の顔と名前を紐づけて認識する能力が如していた。

 彼女は、裏庭に穴を掘っていた。しゃがみながら小さなスコップを手に持って。制服が汚れることなんて知らないとでも言うように一心に、穴を掘っていた。

 その場から立ち去るべきなのか、それとも覗き込むべきなのか。答えは出ないままで、物体が重力に従い落ちていくように、僕は自然に一歩、彼女の方へと歩いていた。そして、きっかけはそれだけで十分だった。

 彼女が振り返る。疾しいことをしていたわけでもないのに、彼女の目は責め立てるようなものでもないのに、恥が身休の中に蔓延していく。

 踵を返そうとしたところで「相模くん」という声が呼び留める。僕は彼女の名前を覚えていないのに、彼女は僕の名前を知っているようだった。

「どうして裏庭にいるの?」

「裏庭くらいしか居場所がないからだよ」

 物言わずに立ち去る強さもなく、僕は臆病さがゆえに答える。

 喧騒というものが嫌いだった。他人の息づく空気というものに、嫌悪感を覚えた。だからこそ他人に馴染むことが出来ないのか、他人に馴染むことが出来ない言い訳としてそのように変わってしまったのかは、もはや分からない。

「じゃあいつも相模くんはここにいるんだ」

「……君は、どうしてここにいるんだ?」

彼女はいつも、ここにはいない。だからこそ、僕は薄暗く湿ったこの場所に普段いるのだから。

「お墓を作ってたの」

「お墓?」

 確かに、人目がつかないこの場所は何かを埋めるにはうってつけの場所かもしれない。けれど、弔おうと思うほど大切なものならば、こんな場所に埋めるべきではないんじゃないだろうか。

「墓って、何の」

「四月の」

「四月?四月って、何かの名前?」

「違うよ。カレンダーに載ってる暦の四月」

 彼女は僕を手招きする。僕は、恐る恐る彼女へと近づき、掘られていた穴の中を確認する。

 茶色に変色した桜の花びら。羽の破れた蝶の死骸。新学期に向けてと書かれたプリント。

 それは、四月の残骸たちだった。彼女は紛れもなく、四月を埋葬しようとしているのだ。

「どうして、こんなことをするんだ」

「だって、誰にも惜しまれずに死んでいくことってとっても哀しいことじゃない?」「でも、また四月は来るだろう。死んだわけじゃない」

「次に来る四月は、死んだ四月とは全く違うよ」

 彼女の言う通りだった。過ぎ去ってしまった四月は、もう二度と訪れることがない。そして、人々は月が過ぎてゆくことすらも自覚をしないまま、さよならも言わずにその時の流れを受け入れる。当たり前のように思えていたその事実は、立ち止まって考えるとやけにグロテスクなものに感じられた。

「僕も、一緒に埋めていいかな」

「うん」

 そうして、僕たちは共に四月の残骸たちを埋めた。墓碑はなく、ただ埋めただけだけれども、そこは確かに墓だった。

 彼女は、過ぎゆく全ての時間を弔っているのだろうかと思う。それは、優しさではあるけれど同時にとても辛いことであるはずだ。

 始まったばかりの今も、やがて死んでいくのか。そう思うと、胸の中を質が通り魔のように過ぎ去っていく。

「そんなに特別なことじゃないよ」と彼女は笑った。

「時間だけじゃない。花も虫も動物も人も、みんな死んでいくんだから」

 春の空を見上げると、葉が撃たれた鳥のように落ちてきて、僕の肩に触れた。

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季節葬 しがない @Johnsmithee

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