「尊敬する」ということ
まずはじめは世の中でいわゆる大人たちが純粋無垢たる子供たちに教える基本的なことから目を凝らしてみることにする。
その一つが「尊敬する」ということである。
目上の人を敬い、それを表現するということは私たちからすれば当然のことである。
こういう言い方をされるとピンと来ないかもしれないが、例えば先輩には挨拶をするとか、先生には敬語を使うなどといった行為全般のことである。これを俗に「尊敬する」というわけである。
だが、これはあくまで形式上の話である。この形式はもはや形ばかりで、形骸化していることはいうまでもないだろう。
目上の人に頭を下げる、しかしその内では舌を出す。世間でイメージされている尊敬を演じている。これは全くもって自然なことだ。
しかしこれを本来の意味での「尊敬する」と呼ぶのかには疑問の余地が残るところである。
では本来の意味での「尊敬する」とは一体どういうものであろう。
これを考えるのは非常に困難なことである。なぜなら、おそらく諸君らの大半が形骸化された尊敬ばかりを行い、それを「尊敬する」ことだと認識しているからである。
私も以前まではそのようであった。尊敬するというのは目上の人を立てることそのものであって、こちらが相手のためを思って行う行為であると考えていた。
だが、本当の「尊敬する」ということはそうではないのだ。
ではどのようなものを「尊敬する」と呼ぶのか。
それを説明するには私自身の経験したエピソードを少し話さなければならない。
あれは数年前の春。私はうだつの上がらない受験生であった。国立理系志望ではあったが、予備校の方針で現代文の授業も受けることとなっていた。
当時の私は『現代文など教わるものではない』と考えていたため非常に舐め腐った態度で講義室の隅に座っていた。
そんな時である。メガネをかけ、飄々とした様子の教師Mはすっと一礼しつつ講義室へと入ってきた。
ほどほどの挨拶を終えて、彼はその日扱う予定であった文章について色々と語り始めた。この作者はどういう人で、この時代はこういう考え方があって、などなど。おおよそテキストの問題を解くのには必要のない知識をべらべらと話しだしたのだった。
こちらは受験生であって、刻一刻を争っているのだ。余計な話なぞする暇があるなら解答の解説を済ませたらどうだ。
そう思ったのも一瞬のこと。気が付けば私は彼の話を食い入るように聞いていた。
彼の文学に関する深い知識、噺家のような雰囲気、そして何よりこちらを捉えて離さない鋭い直観が私を魅了していた。
そんな風にしていると気が付けば授業は終わっており、私はふうっとひと息つく
そうして先ほどの教師Mの話を反芻していると、ふと自分に違和感を覚えた。
……なぜだか彼を呼び捨てにできなかったのだ。
世の中の価値観を疑う、なんて捻くれた性格の持ち主しかしないことを試みている私なので、当然のようにそれまでは心の中では教師は呼び捨て、それどころか蔑称で吐き捨てていたわけだが、どうしてか彼をそうすることはできなかったのだ。
それが不自然なことであるかのように感じたのである。
そしてこの時、私は「尊敬する」ということを知るに至ったのだ。
つまり、尊敬というものは「される」ものであって「する」ものではないということである。
この社会は双方向のコミュニケーションによって支えられている。この文章だって、私という書き手と諸君ら読み手とのコミュニケーションの一形態に過ぎないわけだ。
無論、尊敬というものにも尊敬する側とその対象とが存在する。
諸君らは尊敬というものは、自らがその対象を選べると考えていることだろう。しかし、実際はそうはいかないのだ。
尊敬というのは意識的な行為ではなく、無意識的な行為である。
わかりやすく言えば、この世に「尊敬する」という状態は存在せず、ただ「尊敬してしまう」ということがあるだけなのである。
尊敬とは極めて本能的なものであって、理論的にその地位や年齢などで判断できる類のものではないのだ。
ある老人が「最近の若者には目上のものを敬う心が足りない」と言う。だがなんてことはない。それはその大人が尊敬されるにたるものを持っていないに過ぎないのだ。
であれば、この文章のタイトルには少し語弊がある。
「尊敬する」とは「尊敬される」者がいることによって生まれる状態であり、あくまでされる側が主であるというのが本質である。
ここで私が言いたいのは以上のようなことである。偉そうに長々と書いたが、結論は自分の意思で「尊敬する」ことは不可能であるという単純なものに過ぎない。
以上を持って、私の尊敬に関する検証を終わりたいと思う。
最後に。
「尊敬する」ということは生きていく上で必要不可欠なことであると考える。尊敬を持たぬものは何のために生きるか。これは大変困窮を極める問いである。
これらを踏まえて、私は諸君らが「尊敬に足る」何かに出会っていることを、あるいはこれから死ぬまでに出会えることを願うばかりである。
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