≪夏≫井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る
「なぁ、ふわり」
野球ができそうな原っぱ付近の下校道。
ふと思うところがあって立ち止まった僕は、彼女に呼びかけた。
「どうしたの?」
「見て、あそこ」
僕が彼方を指をさすと、呼びかけに歩みを止めた彼女が、そちらを見てぽつりとこぼした。
「空?」
「今日は雲一つないし、綺麗な青だよな」
突然の事でどう反応するべきか分からないのか、ふわりは「う、うんそうだね」とだけ返して来た。
僕がこの青さに気がついたのは、彼女のおかげだというのに。
この間の放課後に夏の匂いを意識したからか、変わりゆく季節をより肌で感じられるようになった気がするのだ。
季節を体感するとなんとなく嬉しい気持ちになって、おすそ分けがしたくなる。
先日に匂いの話をして来た彼女も、そんな感じだったのではなかろうか。
僕は彼女と季節感を共有したくて、尋ねてみた。
「これだけ青いと、夏になったって気がしないか?」
「あー、そうだね。この青さは夏の青さかも」
彼女は一度納得してから「でも、何もないのも淋しいね」と付け加えた。
「ふわりは雲のある空の方が好きなの?」
「そうだねー。雲があれば淋しくないもん」
雲のない晴れ晴れとした空を淋しいと形容するのも不思議に感じたけど、雲が好きなのはふわりらしいな。
「曇ってうろこ雲とか入道雲とかってヤツ?」
「うん? それってどんな雲?」
雲が好きって言うくらいだからてっきり知っているものだと思っていたけど、疑問形で返されてしまった。
僕は苦笑しながら、「夏っぽい雲だよ」と答える。
すると、彼女は感慨深げに言った。
「空の色にも、雲にも、夏っぽいのがあるって面白いね」
確かに改めて考えるとちょっと不思議だ。
でも、あれだな。
夏っぽい空や雲は考えるけど、それ以外の季節なんてあんまり考えたりしないかもしれない。
「他の季節の空ってどんなだったかなぁ」
僕は思わず、独りごちた。
その独り言につられるように、「他の季節の空かぁ」とふわりが呟く。
二人で立ち止まったまま、空を見上げ続けていると。
「ねぇ、キミト君」
「何?」
「首が痛い」
ふわりの訴えで空を見上げるのを中断して、近くのベンチへ座ることにした。
その前に、僕は自販機へ寄り道。
ジュースを二つ買ってベンチへ戻り、片方を彼女に手渡した。
「ほい」
「ありがとう」
僕もふわりの隣へ座り、プルタブへ手をかける。
プシュっという小気味良い音が二つ響く。
晴れ渡る空を見ながら、揃って口をつけた。
隣からは、ぐびぐびとジュースを飲む音。
次いで、ふぅーとため息が聞こえた。
「ジュース飲むときも顔を上げるから、ストローでも持ってたらよかったなぁ」
僕はストローを持ってなかったことで、残念な気持ちになった。
ふわりの方を見やると、少し難しい顔をしながらジュースの缶と睨めっこをしていた。
「ねぇ、キミト君――」
彼女はこちらを向くことなく、空を見上げて。
「――やっぱり雲のない空なんて淋しいだけだよ」
両手で大事そうにジュースの缶を握りながら、空に目を向けているふわり。いつもとは少しだけ雰囲気の違う横顔に、なんだかドキリとした。
その気持ちを誤魔化すように、彼女へ話を振る。
「あはは、確かにふわりは何かに囲まれている方がらしい気はする」
部屋にぬいぐるみとかいっぱいありそうじゃん? なんて、ニヤつきながら彼女に投げかけた。
すると、ふわりは少し怒ったように。
「むー、私そんなに子供じゃないよー。部屋にぬいぐるみとかはいっぱいあるけどー」
なんて、告白した。
その言葉を聞いて、ぬいぐるみに埋もれながら丸まって眠るふわりを想像してしまう。
「やっぱりふわりぽいわ」
「私っぽいってなんだよー」
彼女はぷーっと頬をむくれさせる。
前にも思ったけど、ふわりは時々ハムスターっぽいな。そういえば、ふわりの好きな動物ってなんだろう。ハムスターだったら面白いな。
「ふわりが一番好きな動物って何?」
「んー、兎さんかなぁ」
ぱっと思い浮かんだ兎は、毛が白くて目が赤い子だ。
純真なところが、僕の目の前に居るふわりぽいと思った。
ふわりは腹黒さとは無縁そうだし。
「兎かぁ、可愛いね。僕も好き」
「キミト君も兎が好きなんだ。そういえば、キミト君ってどことなく兎っぽいよね」
ふわりなら分かるけど、僕が? 兎っぽいって言われるのは始めてだな。
「兎っぽいってどういうところが?」
「えっとね、もふもふなところかなー」
「僕、そんなにふさふさしてないんだけど!?」
僕のどこがもふもふしてるんだろうか?
「キミト君がもふもふなのは心かなー」
「僕の心は兎なのか!?」
ふわりの言葉に驚いていると――。
「なんかね、一緒に居ると温かくなるもん」
――なんて、嬉しいことを言われた。
僕はなんだか気恥ずかしくなって、空を見上げジュースを一口飲んだ。
彼女はそのまま兎と僕の似ているところを上げ続けていたが、あまりの恥ずかしさに放心して、ほとんど聞いていなかった。
「――キミト君! キミト君ってば! もう、ちゃんと聞いてた!?」
心ここにあらずだった僕は、彼女の呼びかけでようやく我に返った。
「ごめんごめん、聞いてるよ」
なんて嘘はすぐに看破されてしまって。
「もー、絶対ちゃんと聞いてなかったでしょー」
と、彼女は不満げだ。
それだけに収まらず、彼女はジュースの缶を見せつけながら告げてきた。
「キミト君、もう一本!!」
悪いのは僕だからいいけどさ。
「はいはい」
おざなりに返事をしながら、僕はベンチを立って自販機へ向かった。
後ろから、「変なの買ってこないでねー」という声が聞こえる。
そんなこと言われたらそうしてみたくなるけど、わざわざ怒らせたくなかったので、さっきと同じものを買った。
ベンチへ戻ろうとふわりの方を見れば、彼女は空き缶を両手で握りながら、僕ではなく空を見上げていた。
「雲ないなー」
なんて呟きながら、ボーッとしている。
そんな彼女の前に、ずいとジュースを差し出した。
「ほいよ」
「ありがとう、やっぱりこれが好き」
彼女は空き缶を脇に置き、目の前に差し出されたジュースを受けとる。
再び、プシュッという軽い音が響いた。
僕も缶を開けながら、先程雲を眺めていたふわりに聞いてみる。
「僕は雲のない青々とした空も結構好きなんだけど、ふわりはやっぱり雲のある方が好き?」
雲がないのも綺麗なんだけど、と思いながら聞いてみた、が。
「キミト君はなんで雲が無い空の方が好きなの?」
おっと聞き返された。
なんでかぁ。あまり深く考えたことなかったなぁ。
「んー、なんでだろ。なんかホッとするからかな」
「雲が無いとホッとするの?」
僕の答えに彼女は目を大きくした。どうやら強く興味が引かれた様だった。
彼女が満足するかは分からないけど、精一杯答えてみる。
「なんか、雲があると色々考えちゃわない? あの雲はこんな風に見えるなぁとかもそうだし、なんか雨が降りそうだなぁとか」
雲がなければ、ただ何も考えずに空を眺めて過ごせるじゃん? と彼女に言えば。
「私は雲を追いかけながら、何に見えるかなぁって考えるのが好きだからさ。そんな風に考えたことなかったよ」
なんて返ってきた。
なんかふわりらしい答えだな。
彼女は一体、雲をどんな風に見てるんだろう。
気になったので、尋ねてみた。
「ふわりは雲が何に見えるの?」
「うーん。クマだったり、変な手だったり、おじいちゃんみたいな顔だったり・・・・・・・かなぁ」
クマは分かったけど、変な手やおじいちゃんみたいな顔ってなんだよ。
ふわりの感性に苦笑いしていると、彼女から突っ込まれた。
「キミト君だって、雲が何かに見えること、あったりするでしょ?」
雲が何かに見えることかぁ。そうだなぁ。
「――細長い雲は龍とかに見えたりするし、大きい雲の塊だったら、物語みたいに宮殿があったりしそうだなぁって思ったことはあるかなぁ」
「なんか、キミト君の考える方がロマンチックだなぁ。でも、なんかキミト君らしいかも」
「そうかなぁ」
続けて、ふわりは僕に投げかけるように呟いた。
「それに雲の上の宮殿、ホントにあったら行ってみたいけど……ジャックと豆の木みたいな、天まで届くはしごとかあったらいいのにね」
「怖すぎて無理」
僕が瞬時に切り返すと、彼女は噴き出した。
その笑顔が少し眩しいなと思ったけど、それはきっと、雲のない空から降り注ぐ日差しのせいだ。
「もし雲まで届くはしごがあったら、どれぐらいの長さが必要になるのかなぁ。そんな梯子から落ちたら、凄く痛そう」
「それはたぶん死ぬ」
僕が突っ込むと「確かに」なんて言いながら、彼女は笑う。
またもその笑顔を眺めていると、彼女は空を指差した。
「ねぇ、キミト君見て見て。雲があるよ」
彼女が指した先には、一つの小さな雲が泳いでいる。
さっきまで連想ゲームをしていたからか、ふと思うことがあった。
「帰りにシュークリームでも買って帰ろうか」
「しゅーくりーむ?」
「要らないのか?」
「要る!! だけど、なんでシュークリームなの?」
「あの雲を閉じ込めて食べたいなって思って」
僕の言葉に、ふわりは目を輝かせた。
「素敵だね、雲を食べるって発想がなかったよー。なんだかいい響き。ふふふ」
ふわりは雲を食べるという言葉が気に入ったのか、空を泳ぐ雲を捕まえるようなしぐさをしながら、「おまえをこれから食べに行くぞー!」と雲に言っていた。
「自分でも、雲を食べるって面白いなって思ったけどさ、普通なら綿菓子とかだよね」
「私も最初雲を見たとき綿菓子を思い浮かべたよ。でも、生クリームも雲っぽい」
やっぱりそうだよなぁ。
僕はすっかりシュークリームの気分になって、この後の参考にしようと彼女に聞いてみた。
「シュークリームはどんなのが好き? しっとり系やサクサク系だったり、フレーバーが入ってるやつとかいろいろあるじゃん」
「私はサクサク系のシュークリームが好き。あと桃のやつが好き!!」
「桃のフレーバーなんてあるんだ、食べてみたいなぁ」
どんな味なんだろう。食べたことがないから想像しかできないけど、きっと美味しいんだろうなぁ。
「キミト君は桃好き?」
「好きだよ、他にもフルーツフレーバーってあったりするの?」
「他のフルーツかぁ、マスカットとかめろんとか、オレンジとかあと苺!!」
「めろんのシュークリームは食べてみたいかも、めろんめっちゃ好き」
「へぇー、キミト君ってめろん好きなんだ。キミト君が自分から好きっていうの初めて聞いたかも」
確かに自分の好きなものの話はしないなぁと納得しかけ――ふと思った。
「ふわりが好きなもの、いっぱいあり過ぎるだけだろ」
「そんなことないもん、どれもおいしいだけだもん」
「好き嫌いが無いのは良いことだと思う」
「そうでしょー」
ふふんっとふわりは勝ち誇る。
なんだか眩しいなぁ。
そう思っていたら、実際に空が少し濃くなっていて。
あんまりのんびりしていると日が沈みそうだ。
「そろそろ、帰ろうか。帰りにシュークリーム食べながら帰ろうよ」
「うん。いいね」
先にベンチから立ち上がり、彼女へ手を差し伸べた。
彼女は僕の手を掴み、「シュークリーム」と呟く。
奢ってって事なんだろう。
僕は「はいはい」と苦笑いして、彼女をベンチから引っ張った。
二人で帰り道を歩くと、普段ないところにキッチンカーが止まっている。
看板には「シュークリーム専門店」と書かれていた。
丁度いい。ここで買って帰ろうかな。
メニューを見るとスタンダードなものから変わったものまで、様々なフレーバーがある。
さっき話していた、桃、苺、めろん、それからサイダーまで。
僕は『サイダー』のフレーバーに目がとまった。
「なぁ、サイダー味のシュークリームっておいしいのか?」
「えー、なにそれ? 面白そうなのあるんだね」
僕らの会話を聞いていた店員さんは、食べた人からは意外と好評でよく売れるんですよ、と教えてくれた。
フルーツフレーバーもいいけど、こっちもいいな。
ふわりに聞いてみるか。
「どうする?」
「サイダー食べてみたい!!」
ふわりの一言で、サイダーのシュークリームにすることにした。
店員さんからシュークリームを受け取って、帰り道を歩きながらサクッと音をさせる。
「うおっ、悪くない!?」
「んー、これおいしいね!!」
新しい感覚に、ちょっと感動。
思ってもいなかった体験に少し心を躍らせながら、青々とした空を見上げた。
今食べたサイダー味のシュークリームみたいな夏の空気と、彼女の頬に着いたクリームを僕は忘れることはないだろう。
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