≪夏≫夏の匂い

 春も終わりかけの放課後。

 教室には、かゆうと僕の二人だけ。

「ねぇ、私とあなたの間に今何があると思う?」

 彼女の唐突な質問に、プリントに記入する手を止めた。

 プリントから顔を上げ、彼女の顔を見ながらんーっと考える。

 だけどすぐに、考えるのが少し面倒くさくなった。

 彼女は「ねーねー」と僕に答えを催促してくる。

 あまり考えたくなかったので、質問の意図を無視して答えてみた。

「机以外にないだろ」

 僕と彼女は、机を挟んで向かい合わせに座っている。だから別に間違ってはいない、けど。

 案の定、彼女はぷーっと頬を膨らませた。

「もー、違うってばー。ちゃんと考えてよー」

 そう言われてもなぁー。

 面白みのない回答が気に入らなかったのか、彼女は不機嫌さを身体で表現しようとゆらゆら揺れている。

 そんな彼女を可愛いなと思う。

「じゃあ、んー。空気とか?」

 我ながら、適当にも程がある答えだな。

 きっとまた怒るんだろうな。

 ホント、机といい空気といい、なんのひねりもない。

 だけど彼女は人差し指を顎に当てて考えている。

 あれ、さっきと反応が違う・・・・・・。

「おしー、正解じゃないけどまぁいっかなー」

 かゆうがうんうんと頷くと、その髪が柔らかく揺れた。

 僕の答えは、その髪以上にふわふわしていたというのに。

「それであってんのかよ・・・・・・」

 答えのいい加減さに、思わず呆れてしまう。

 僕の反応をお気に召したかどうかはしらないが、彼女はにぃーっと笑みを浮かべた。

「せいかいはねー、夏の匂いだよ」

 得意満面の笑みで言う彼女は、夏のひまわりのようだった。

「まだ5月だから、夏の匂いとはちょっと違うんじゃないか?」

 くんくんと、今の匂いを嗅いでみる。

 僕が思うに、春の匂いに夏の匂いが混ざった様な、春っぽくも夏っぽくもない、そんな匂いだ。

 その感想を、彼女に伝える。

「やっぱり夏の匂いにしては軽いと思うな」

 まだ「夏」と呼べる程の青い匂いというよりは、爽やかさの方が強いと感じる。

 梅雨の時期のもったりとした空気ではないように感じる。

 夏の前触れといえば、絡みつく雨の匂いを想像するが。

「そんなことないもん、これは夏の匂いなの!!」

 かゆうはそう言い切って、ちょっとぷりぷりしながら僕から顔を逸らした。

「そこで怒るんかいっ」

「とーにーかーく、私たちの間には季節の匂いがあるってこと」

 分かった? とどこか得意げな様子だ。

 そんな彼女は、ガタッと音を立てて椅子から立つ。

 なにをするのかと思えば、窓の方に走り寄って、少しだけ開いていた窓を片っ端から全開にしていった。

 廊下で渦巻き行き場を失っていた空気が、教室の窓を開けた途端、一気に流れ込んでくる。

 そのカラッとした風は、青い匂いも連れてきた。

 教室を襲う風の所為で、僕の手元にあったプリントは飛んでいく。

 風にたゆたうプリントを目で追いかける。

 まもなく、そのプリントはかゆうの足元で止まった。

 よかった、外に飛ばなくて。

「キミト君ここまで飛んできたよー」

 彼女は、風に攫われてしまった僕のプリントを拾ってくれた。が。

 僕がありがとうと言う前に、彼女は尊大に胸を張って言う。

「さぁ、キミト君。あなたの大切なものは預かった。返して欲しくばこっちまで来るがよい」

 芝居がかったことを言いながら、かゆうは僕のプリントをひらひらとさせる。

 僕は彼女の手にあるプリントを見つめて、「はぁ」とひとつため息を吐いた。

「キミト君、ため息なんて酷くない!?」

「そのまま持ってきてよ」

「えー、キミト君が取りに来なよー」

 彼女の言葉で席を立ち、彼女の方へと歩く。

 もう少しだよーと近づく僕に声援を送る。

 そこまで一分もかからない道程。

 辿り着いて、プリントを受け取ろうとしたところ。

「ほら、来てキミト君。風が気持ちいいよ」

 かゆうは僕のプリントを持ったまま、窓の方へと体を向ける。

 その様子を眺めていたら、風を浴びている彼女は僕を誘ってきた。

「キミト君もほら」

 僕も彼女に促されるまま、窓へ向く。

 体を風がただ通っていくよりも、体を薙ぐ感覚に近い。

 風に身を預けることでより涼しく感じた。

 風を浴びながら外を見やる。

 窓辺から見えるのは、春に花びらが満開だった木だ。

 その木は少し前に花びらを散らし、かわりに若葉が芽吹き始めていた。

 春と言うよりは夏寄りだけど、やっぱり夏と言うには少し気が早いと思うなー。

 涼し気な風を浴びながら僕はそう考えていた。

 僕の隣にいる彼女も風に身を預けていて、その髪がサラサラと風にさらわれる。

 そんな様子に目を奪われた。

「もう夏だよキミト君」

 かゆうに見惚れていたら、彼女は文句を言うでもなく笑いかけて来た。

 風で葉が擦れあい、さわさわと音がする。

 その音に耳を傾けていると遠くから雨の匂いがするような気がした。

 空を見上げると、急激に雲が学校に迫ってきている。

 突然雨が降り始め、雨粒が教室に落ちた。

「冷たっ」

 顔にまで雨粒がかかって、思わず言葉が出た。

「キミト君どう・・・・・・。あうっ」

 どうやらかゆうにも雨粒が落ちてきたようだ。

「とりあえず窓を閉めよう」

「そうだね」

 二人揃って、急いで教室の窓を閉めた。

 閉めている間にもどんどん雨音は激しくなっていく。

 雨はしだいに、窓へ打ち付けるほど強くなった。

 さっきまで明るかった教室が途端に暗くなる。

 外では雷がゴロゴロと音を立て始めた。

「きゃっ」

 その音に驚いたのか、かゆうは小さな悲鳴を上げてその場に座り込んだ。

 よほど雷が怖いのか、縮こまったまま僕に声をかけてきた。

「ねぇねぇ、キミト君」

「どうした?」

「怖いから隣に来て・・・・・・」

 僕はかゆうの隣に、彼女と同じように座った。

 彼女は僕の袖をちょこんと掴む。

 いつも違って弱っている彼女の顔をうまく見れなくて、視線をまっすぐ前に向ける。

 外は暗く、さっきまで教室に差し込んでいた太陽光はなく、ひたすらに打ち付ける雨の音とゴロゴロと鳴り響く雷だけがコダマする。

 学校自体がシンと静まり返っていて、少し怖いくらいだった。

「なんか、僕らしか学校にいないみたいだね」

「ねぇえ、キミト君。なんで今そんなこというのよー」

 彼女の気持ちを和らげようと思わず出た言葉だったけど、逆効果だった。

 さっきよりも僕の袖を掴む指に力が入る。

 確かにこんな状況で言うことではなかったかもしれない。

 もう部活動で残っていた人たちも中断して帰った頃だろう。どうやら、そう思っていたのは僕だけではなかったようで。

「みなちゃんたちもう帰ったのかなぁ」

「あー、バレー部の」

「そうそう。バレー部は体育館でやってるはずだけど、この雨だから中断して帰ったのかなぁって」

「なんか約束でもしてたのか」

 突然クラスメイトの名前が出たので、待つために残っていたものだと思ったが。

「ううん、約束なんてしてないよ。」

 彼女は僕の言葉に不思議そうにしていた。

 あぁ。誰かを待っていたわけじゃないんだ。

「してないのか。じゃあ、なんで残ってたんだ?」

「キミト君が残ってたから?」

 いや。待ってはいたのか。僕のことを。

「わざわざ、僕のために残ってくれてたのか」

「だって、なんとなく今日の放課後は教室の居心地が良さそうだったんだもん」

 今は最悪だけどね、なんて付け加えながら感想を述べているかゆう。

 そんな彼女に、僕は笑って応えた。

「そうだな、まるで天国から地獄だな」

 ほんとにねー、なんて二人で顔を見合わながら笑う。

 そんな風に話していると、いつの間にか雨足は弱まり、少しずつ太陽光が差し始めた。

 僕の裾を掴んだままの手を持ち上げると、彼女の顔が少し赤くなった。

「き、キミト君。誰にも言わないでね」

 恥ずかしそうなかゆうに、言わないよとだけ伝えて微笑んだ。

 すると彼女は、少し前のめりになって、絶対に絶対だよと念を押してくる。

 その時、まだ掴まれていた裾に引っ張られ、かゆうは体制を崩した。

 彼女の顔が僕の足へとダイブする。

 うつぶせの状態でダイブした彼女はすぐに動かなくなった。

 おい、か――、 と名前を呼び掛けたとき。

 彼女は来るっと仰向けになって、萌え袖になった手で口元を押さえ。

「ふふふっ」

 と僕の膝の上で可愛く笑う。

 僕が膝の上の彼女を見下ろしていると。

「なんかキミト君をこんな風に見上げるって不思議な感じだね、ふふふっ」

 なんて言いながら微笑んできた。

 彼女には何か感じる物があったのだろう。

 まだくすくすと笑っている。

 なんだか気恥ずかしくなって、僕は教室の壁にある時計に目をやった。

 なかなかいい時間だ。

「花遊、そろそろ帰ろう」

 僕はいつもの調子で、提案をした。が。

「ちーがーう、ふわり!! ちゃんと名前で呼んで!!」

 何故か彼女は、いまだに名前呼びを強要してくる。

 まぁ普段から仲のいい友達にはふわり呼びをされているけれど、僕はどこか気恥ずかしくて、つい苗字で呼んでしまうのだ。

 ただ今回は、彼女も許してはくれなさそうで。

「キミト君がふわりって呼んでくれるまで帰んない」

 そっちは僕の名前を少し間違えたままなんだな。

 まぁいいけどさ。

 むくれたままの彼女へ、僕は誤魔化すように言った。

「帰りに最近出来たチュロス屋さんによるつもりなんだけど行かないか?」

 けれど、彼女は気に食わないと言わんばかりに顔を逸らす。

 片目だけでチラとこちらを見ながら、むむむと声が聞こえてきそうな表情をし、ガンとして席から動こうとしなかった。

 その様子に根負けして、

「ふわり、帰ろう」

 と短く言うと、彼女はふふんと勝ち誇ったような顔をしてうんうん頷く。

 そうして、更なる要求を加えてきた。

「いちごのやつがいい」

 この後食べるチュロスを想像してか、彼女は年齢よりも少し幼なげにはしゃいでいた。

 でもその言い方だとあれだな。まるで僕が奢るみたいな感じだな。

「別に奢るわけじゃないぞ……」

「えー、たまにはいいじゃないけちー」

「たまにじゃなくていつも奢ってるだろ」

「でーと代は男が出すもんだよー」

 ふわりはふわふわと笑う。

 僕はそんな彼女の笑顔に勝てないから、きっとこの後も奢ってしまうんだろうな、と思う。

 でも、ふわりが美味しそうにほおばる顔や、ふわふわと揺れる仕草を隣で見られるなら、少しくらいはいいのかな。

 物思いにふける僕へ、彼女が促してくる。

「さぁキミト君、急がないとなくなっちゃうよー」

 僕の腕を引いて走り出すふわり。

 僕の目の前には、ふわふわと揺れる髪と、一般的な同級生よりも小さく細い腕。

 腕を引く力は決して強くないけれど、負けたと言わんばかりにされるがまま。

「ちょっとふわりー、そんなに急がなくても大丈夫だよー」

 そのふわふわとした後ろ姿に声を掛けるけれど。

「キミト君早く行かないと誰かが買い占めちゃうよー!!」

 そんなありもしない、もしもを想像しながらふわりは急ぐ。その様子に一つため息をついてから。

「もー、しょうがないなー」

 優しくも、でもしっかりと掴まれた小さい手のひらの形を無くさないよう、小走りで前をいくふわりに、今日も僕はついていくのだった。


 


 これは僕が覚えている、彼女との思い出のひとつ。

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