第7話 土曜日、縞のない虎

 さあっと霧のような雨の降る町の中、喫茶店の店内ではいつも通りレコードの奏でるクラシックが流れている。いつもの窓際の席には二人の少女、伊鶴と深鷹が向かい合わせに座っている。

 伊鶴は静かに本を読み、コーヒーを飲む。いつもの光景だった。深鷹の方はと言うと、片方残った目を閉じ、頬杖をつきながら店内を巡る音楽を聴いていた。

 以前は次から次へと寄ってくる嫉妬の塊に神経をすり減らされ、叶う目当てのない願いを抱えて気が立っていた。いまはどうだろう。友人である伊鶴は深鷹の願いを叶えることに尽くしてくれているのがわかった。それが心に安らぎを与えているのがわかる。いままではただただ煩わしいだけだったクラシックの旋律が、なんだか心地よいものに感じる。

 願いが叶う予感がする。

 でも叶わない予感もする。

 目を開くと、伊鶴と視線が合った。黒く硬い髪に指を通しながら静かに口を開いた。

「向こうの通りの交差点で、虎に会ったよ」

「虎ってあのでかい猫か」

 深鷹はいつのまにか伊鶴の話を何の不思議とも思わなくなっていることに気がついた。飛ぶ魚も、虹の話も、海の見える缶詰も。伊鶴の話を当たり前のものとしてとらえていた。今回の交差点の虎も、当たり前になった不思議を友人の小さな世間話として受け止めていた。

「そう、食肉目ネコ科。白い虎だったよ。でも最初は虎だってわからなかった。縞がなかったんだ」

 店員が近くを通ったため、伊鶴は手元の本に視線を落とした。深鷹は縞のないホワイトタイガーを想像してみたが、どうしても大きな白い猫しか浮かばなかった。虎の耳は尖っていただろうか。店員の背を見送り、伊鶴はまた話し始める。

「その縞のない虎にね、どうしたのか聞いてみたんだ。虎は答えてくれたよ。『友人に貸したんだ。そいつは真っ白の馬だったんだ』ってね。」

「白い馬に縞を貸したら……」

「そうだね。その馬はシマウマになりたかったそうだよ。でも虎は言っていた。期日になっても縞を返してくれない、その馬はどうしても縞が欲しいんだと。シマウマになれないのならもう死んだ方がいいと。虎もそうまでして取り立てたいわけでもないらしいが、縞がないと迫力がないと困っていたよ」

「勝手な馬だな。それで、君はどうしたんだ」

「願いを叶えたよ。交差点で会ったと言っただろう。横断歩道の黒い部分。あれを縞に変えてやったのさ」

「……噂になってた真っ白の交差点はそれが理由か」

「なんだ、聞いてたのか。ちゃんと交通課に連絡しておいたから大丈夫だよ」

 そう言って伊鶴はコーヒーを口に運ぶ。深鷹は自分の手に視線を落とした。

 テーブルの上で深鷹の指先に細い手をぐねぐねと絡ませるそれを見やる。自身に纏わりついて来る黒い塊も、こいつだけになった。

「私も願いが叶うのが待ち遠しい」

 伊鶴はコーヒーの最後の一口を飲み干して答えた。

「そうかい」

「でも、少し惜しい気もする」

「あんなに願っていたのに?」

 少し笑いながら、深鷹は胸の内の思いを呟いた。

「君と別れるのが名残惜しい」

「そうかい」

「それに叶わない気もする」

「なぜ?」

 伊鶴と深鷹の視線が合う。

「この最後の塊は君のものだから」

 暗いアメシストの瞳が見開かれる。雨の音が強くなる。

 伊鶴は何も言わず伝票を持ち立ちあがった。深鷹はそのまま座っていた。

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