第5話 木曜日、流れ星

 その日は風が強く吹いていた。錆びた看板がきいきいと音を鳴らしたてているが、相変わらず鳴り響くクラシックの音にかき消されて店内までは届かない。雨が強く窓に打ちあたる音がクラシックに対する喝采のように、窓際にいる二人の少女の耳に届いていた。

 深鷹は相変わらずその柳眉をひそめている。レコードから聞こえてくるこの店の音楽を、彼女は大変嫌っていた。一方でもう一人の少女、伊鶴はそんな相方なぞは気にも留めず、黒く回るコーヒーの香りを胸いっぱいに取り込み、それに浸っていた。

 そんな伊鶴の時間に入り込むのはいつも深鷹である。コーヒーを飲む伊鶴に対して気にも留めず、いっそ無遠慮ともとれるような口ぶりで話し始めた。

「まだか」

「まだだね」

 端的に、余分な言葉など一切含まずかけられた言葉に同じように即座にかえす。それを聞いて深鷹はますます眉を寄せて、歯をぎりぎり噛みしめたあと絞り出すように言う。

「もうどれだけになる。私に関する記憶を消してくれると約束してから、私を使ってしたこといえばなんだ? 私の知り合いのことを調べるのはいい。他には? 尾のない猫を探した。他には? 夜光る蝶を見つけて来いと言われた。他には? もううんざりだ。私の願いはいつ叶う!」

 最期はほとんど怒鳴りつけるような言い方だった。それを聞いてなお伊鶴はコーヒーに口をつけ、ゆっくりと飲み込んでから口を開いた。

 「尾のない猫も、夜光る蝶も私にとって重要なものだよ。君は願いのかわりに何でもすると言った。私はその通りに使った。それだけだよ」

 暗く光るアメシストの瞳が、怒りに燃える金色の瞳をじっと見つめる。

「君はいつも自分の願いばかりだ。私はそれ以前からいろんな人の望みを聞いて動いている。いまにも死にそうな男がいれば寿命を貸し、ある女を呪ってくれと言われればその通り呪ってやった。もちろん対価はもらったけどね。いまも君の願い以外に叶えなければならない願いがあるんだよ、むしろ君の順番はあとの方さ。それに人の記憶を消すのは大変なんだよ、君にいくら働いてもらってもきりがないくらいだ。けれど私は君の願いを絶対に叶える」

 そこまで行って伊鶴は目線を落とし、呟いた。

「君は私の友人なんだ」

 深鷹は強張っていた顔から少しづつ力を抜いていった。

「……君は怒っているか」

「……頑張りが伝わらないのが悲しいかな」

「すまない」

「いいよ。それに君の願いは必ず叶うから。流れ星にもお願いしたんだ」

「は?」

「昨日ね、部屋に流れ星が落ちてきたんだ」

「……そうか」

「夜に宿題をしていたら窓がいきなり割れてね。慌てて見たら一抱えもある石がぴかぴか光りながら落ちていて『ああ、流れ星だ』っておもったよ。私は『大丈夫かい』と聞いたんだ」

「なんて答えた」

「『大丈夫』『でも空に帰りたい』って。だから私は願いをかなえることにしたんだ。その代わりに私の願いもかなえてもらうように頼んだのさ」

「君の願いは」

「もちろん『私の友人の願いを早く叶えてくれ』だよ。流れ星は『わかった』って言ったから、私もそいつを抱えて風船を括り付けて飛ばしてやったのさ。でもちょっと失敗したと思ったな」

「? なぜ」

「さっきも言ったけど君の願いは私が絶対に叶えるから。どうせなら割れた窓を直してくれって頼むべきだったかも」

 深鷹は窓の外に目をむけた。風はだんだんと止みつつあるようだった。

「君の一番の願いはそれだったのか」

「それだったよ。他のどんな願いより叶えたい願いだ」

 それを聞いて目をつむる。伊鶴は伝票をもって席を立った。そのあとをついて歩く。少しいい気分だった。

 

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