第3話 火曜日、白いカラス

 喫茶店には青銅の古い看板が掛けられている。店名の部分には錆が浮き、読み取ることは出来ない。しかしこの通りを行く者たちにとって喫茶店と言えばここ以外にはないので何の問題もなかった。

 重く立ち込める暗雲を、針で少しでもつついてやればそこから土砂降りになりそうな天気だった。そんな空のもとでも店は電球色の温かな光を灯して客をもてなす。

 この日も少女が二人、いつもの窓際の席に向かい合って座っていた。

 死してなおこの世に留まり続ける少女、深鷹はテーブルの上の黒い塊を指ではじき落した。曰く、深鷹に向けられた嫉妬心の表れ。美しく輝く金の瞳、日に透かしたヴェールのような白金色の髪。自身は完璧であると、羨望のまなざしを向けられるのは当然であると自負している深鷹ではあるが、こんなものに纏わりつかれていては不愉快だと、その一心が彼女をここに留めている。

 その深鷹に頼まれて、彼女に嫉妬心を抱くものからその記憶を消すように動いている少女、伊鶴。黒く硬い髪にはしっかりと櫛を通してあり艶やかで、暗いアメシストの瞳のもつ愁い気な表情もあって年に似合わぬ色気というものを持つ少女だった。伊鶴は深鷹のはじいた黒い感情をみてふと笑った。

「ずいぶん減ったと思わないかい」

「どこが」

 深鷹は鼻を鳴らす。割れた頭から血と脳漿がしたたり襟を汚す。

「相変わらずどこまでも付きまとってうっとおしい。君、ちゃんと仕事はしているのか? 私のことを使ってくれて構わないと言ったけれど、ちっとも呼んでくれないじゃないか。」

「友をこき使うことに躊躇いを感じる私の心情を慮ってくれ。昨日から三人も記憶を消せれば上等だろう」

 伊鶴はコーヒーの注がれたカップを傾け、黒々とした熱を飲みほす。ふう、と溜息をつき、窓の外を見ながらぽつりと漏らした。

「そういえばね」

 自身を注視する深鷹にむけて少し微笑む。

「白いカラスがおしゃべりをしていたんだ」

「白いカラスがそう何羽もいるかね」

「いや、一羽だけさ。一羽だけで誰に話すわけでもなくぺちゃくちゃとおしゃべりしていたんだ」

「なにを」

 伊鶴のする何の脈絡もない会話に合わせる度量が深鷹にはあった。

「なんでも。どこのおばさんが腰を痛めたとか、あそこのお兄さんが失恋したとか」

「そんなものをわざわざ聞いていたのか」

「珍しいからね、白いカラス」

 以前話したときには空を飛ぶ魚は珍しくないと言っていた。伊鶴にとって世界とはどう見えているのだろう。

「ああ、そうだ」

 カップの底の澱みを眺めながらなんともなげに伊鶴は言う。

「頭の割れた少女の願いは叶わないとも言っていたよ」

「は、」

 深鷹は血が昇るのを感じた。傷の断面がぶくぶくと沸騰していくような感覚に侵される。

「馬鹿馬鹿しい!」

「そうだね、まったく馬鹿馬鹿しい。君には私がいるのに」

 怒り冷めやらぬ様子の深鷹に相変わらず伊鶴は笑って言う。

「あれはただの世間話だよ。あのカラスは予言者じゃない」

「だとしても、だ。その首捻り潰してやらないと」

「その苛烈なところは嫌いじゃないよ」

 伊鶴は伝票を持ち、立ちあがる。

「案外そのカラスも、君に嫉妬しているのかもね」

 あのうすらぼけた白い羽なんぞより、君はよっぽど美しいから。そう言って勘定をすますと伊鶴は喫茶店を出た。深鷹もそれに続く。

 通りでは傘の花模様が広がっていた。

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