第2話 月曜日、瞼のある魚
とある町のとある通りにある喫茶店にて、午前の雨音も遠くなりかけた頃だった。二人の少女が窓辺の席に向かい合って座っている。一人はコーヒーを待ちながら本を手に取っている。一人は欠けた頭にひとつ残った目で窓の外を眺めている。
「空を飛ぶ魚を見たよ」
伊鶴は本から目をあげないまま言った。向かいの席の深鷹も窓から視線をそらさないまま言う。
「そんなものどうでもいいだろ」
「どうでもいいかな」
「私の頼みはどうなった。もうあれから一週間だ。君は何もしていないようだが」
深鷹は伊鶴に自分のことを羨む人間から自身の記憶を消すように頼んだのだった。妬み嫉みを引き連れたままでは煩わしいと。その代わりに伊鶴の言うことは何でも聞くとも彼女は言った。
「何もしてない訳ではない。君の交友関係を調べて、君も知らない縁故を紐解き、そこに含まれる感情の選別をしていた。君の方こそいたりいなかったりで」
伊鶴は言葉といったん止める。コーヒーが運ばれてきたのを見て、店員に目礼する。本を閉じ、店員の去って行く背を見送りながら言葉をつづけた。
「私が何か言いつけようにもまるで役に立たないじゃないか。確かに私は友人である君に遠慮したいとも思うけどね」
「そばにいる。君が見えてないだけだ」
「それはいないのと同じさ」
雲はだんだんと濃く厚くなり、雨音がまたやってくる気配がした。
「それで」
深鷹は窓から伊鶴に顔を移し声を掛ける。
「空飛ぶ魚がどうした」
「いやなに、魚が飛んでいるのは珍しくないんだがね」
「珍しいだろ」
「君と同じだよ。見えなければいないのと同じなんだよ」
「なら珍しくもない話をなんでする」
「忙しないな、いいから聞きなよ。その魚にはね、瞼があったんだ」
伊鶴はコーヒーを口に含む。熱が喉の奥を過ぎ、胃に広がるのを感じる。
「瞼があるからなんだ」
「珍しいんだよ」
「魚が飛ぶんなら瞬きくらいもするだろ」
「しないんだよ。それは手の多い人に『なら足も多いだろ』と言うようなものだ」
金色の目を少し遠くに見やり、深鷹は少し考える。
「……で、瞼のある魚が何だって」
「なんでもないよ。ただ珍しいからね、君に話そうと思ったんだ。」
「それだけか」
「うん。ただね、そいつらの食べる物なんだが」
空になったコーヒーカップのふちを撫でながら、伊鶴は困ったように笑った。
「プランクトン、とでもいうのかな。あれは『水中に漂うもの』って意味だっけか。ううん」
「なんだよ。はっきり言え」
「いうなれば思念性プランクトン……かな。幽霊の残骸みたいなものなんだけどね。そういう物を食べるんだ」
「……なあ」
「まあ、ね。君もうっかりしているとつっつかれるかもしれないから気を付けな」
「私は残骸にはならない」
「まだね。そうならないうちに仕事はするけど、もしもの話」
「もしも、か」
深鷹はまた窓の外に目をやる。喫茶店のランプの明かりに透き通るような髪ががきらきら光る。
「くだらない話だったな」
雨はまた強くなりはじめたようだった。
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