第7話 僕とむっつり

 どうしてこうなった。

 僕は今、ブレインと呼ばれる黒髪長身の女性に引き摺られて面会室へと連行されている。

 新米宇宙人のぴにゃぴにゃに視線で助けを求めるも、彼はパンを齧りながら此方に ヒラヒラと触手を振っている。

 「ごゆっくり~」

 対岸の火事を見て酒を飲む野次馬のような調子でそう言うと、ぴにゃぴにゃは食堂に引っ込んでいった。おのれ、タダではすまさんぞ。


 ブレインの面会理由は、転生の事前説明だった。彼女は何処からか分厚い書類束を出して、これから僕が転生する世界について歴史や文化の説明をしてくれた。

 「貴方たちヒトの価値観から大きくブレないよう、私もヒトの文化、風習を全てインプットしましたのでご安心下さい」

 背をピンと伸ばしてブレインは自信満々に話す。

 全く、ありがたいことである。


 転生先に関する学習はスムーズだった。

 ブレインの教え方は丁寧だったし、用意してくれた資料もわかりやすい。

 何より、生まれた故郷と瓜二つの世界だったので勉強抜きで転生させられても問題は無いように思える。

 「どうせなら剣と魔法の貞操逆転世界とかに生まれたかったなぁ」

 そんで、美女に囲まれてうへへ。

 などと考えていたところ、「そんな危ないところに被害者を転生させたら問題になります」と、隣に座るブレインにジロリと睨まれてしまった。

 うーん、美人から向けられる怒気。

 いいものだ。


 面会時間は既に五時間を超えている。もちゃさんが言っていた面会は一件につき30分迄という話はどうなったのやら。

 「時間に関しては、適宜上席者が延長の判断をします。というか、今日から結審まで私はこの船に滞在するのであしからず」

 こちらの心を読んで彼女が疑念に回答するのは本日何度目だろうか。

 「108回目です。熱心に疑義を抱き学ぼうとする姿勢には好感が持てます」

 真っ直ぐに目を見据えて黒髪の美女に褒められると、些か気恥ずかしい。

 今日の彼女は裁定者というより僕の新生活への教導役として訪れているため、その格好も教師然としている。

 上はカッチリとした皺一つ無い黒のスーツに白のカッターシャツ、下は黒のタイトスカート、ストッキング、パンプス。

 以前会った時は腰まであった美しい長髪は、サイドテールでまとめられている。

 この髪型も良く似合っている。

 綺麗だなぁ、と思わず見惚れるのもこれで何度目だろうか。

 「…5回目です」

 襟に付けた木の葉を模したブローチをこれまた綺麗な指先で弄りながらブレインはそっぽを向いて呟く。

 ひとしきり黒地に金の葉脈を持つ独特なブローチを弄ると、こちらの視線に気が付いたのか彼女は子供っぽく頬を膨らませて、やっぱりそっぽを向く。

 何これ可愛い。まぁそんなことより転生先の情報を伝達してもらうのが先だ。

 ブレインも多忙だろうし、さっさと学べるだけ学んでしまおう。

 そう思って彼女から手元の資料に目線を戻し、僕は次の世界への期待と不安を膨らませるのだった。

 来世ではブレインのような、ちょっと性格キツめな恋人の一人くらい出来ると良いなぁ。

 「…下等生物」

 そっぽを向いたままのブレインの呟きに、僕はへーへー性欲旺盛で悪うござんしたと心の中で返す。

 「そ、そこまで言っていないでしょう!!」

 「うお、びっくりした」

 突然大声を出して立ち上がった彼女は、しまったという顔をして直ぐに椅子へ座り直す。

 僕は何故ここまで彼女が取り乱したのだろうかと首を傾げた。

 「…」

 どうやらこの疑問には答えてくれる気はないらしい。

 彼女は恐らく「性欲」というワードに反応したのだろう。

 性欲、そういえばぴにゃぴにゃが言っていた。

 彼ら海牛宇宙人は、我々ヒトのような性行為ではなく口腔内にできる精子の詰まったカプセルを相手の体表に突き立てて行う皮膚受精という方式をとっているらしい。

 彼らには性欲というものが存在しない。

 カプセルができて子供が欲しい場合にのみ、役所に行ってパートナーの同意を書面で得た上で繁殖行為にうつるそうだ。

 ぴにゃぴにゃから見せてもらった繁殖映像は、役所で事務的に予防接種を受けているような整然とした有様で、そこには凡そ性欲などというものは介在しているようには見えなかった。


 先ほどのやりとりを思い返す。

 ブレインは明らかにヒトの性欲というものに一定の理解を示していた。

 そういえばこの勉強会の最初に、ブレインは僕への対応のため、「様々なヒトの文 化、風習を全てインプットした」と話していた。

 成程、生真面目な海牛宇宙人の最高傑作であるAIは、やっぱり生真面目に我々の 歴史、文化、風俗を詳細に学習したのだろう。

 文字通り、全て。

 「あっ…」

 …とんでもなく申し訳ない気持ちになった。

 辞書に性欲やセックスという言葉がないらしい存在が、我々のアレな情報を全て学習する羽目になったのである。無防備に。

 そりゃむっつりにもなるだろう。

 「誰がむっつりだ!!」

 ブレインの甲高い怒号が響き、その日の勉強会はお開きとなった。


 余談ではあるが、ぴにゃぴにゃの作ったハンバーガーでブレインの機嫌は治った。

 ちょろ。

 「ちょろくない!」

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