本当の気持ち
浦和電車区の事務棟内にある小会議室。中に居るのは、JR東日本の車両部門の担当社員と209系0番台だ。
0番台は鼓動を抑えるように、胸に手を当てる。そして、迷いのないはっきりとした口調で告白した。
これが、私の本当の気持ちなんだ。そう言い聞かせながら。
「単刀直入に言います。私、リニューアル工事受けたいです。廃車計画はもう公にされてしまったけれど、計画を変更する分にはまだ間に合うはずです。どうか私に、また走るチャンスを頂けませんか」
0番台と向かい合う形で座っている担当社員は、驚いたような表情で0番台を追及する。
「だが209。お前はこの前まで走らないと言っていたじゃないか。何があった?」
「『寿命が近いから』『故障が多いから』鉄道車両としての自分に価値がないと思っていたんです。だから私はもう『走らない』『廃車になってもいい』って決めつけていました」
胸を押えていた手を振り払い、前を見据える。
「だけど、それでも私に走って欲しいと願っている人がいるかもしれない。浦和電車区や500番台…そして、E233系達みたいに。もしもそういう場所があるなら、そう言う人がいるのだとしたら、私はその助けになりたいんです」
「209……」
素直な言葉を連ねる0番台。社員は何だか、らしくないと思っていたが──
「それに、散々私の事をコケにしてきたメディアや鉄オタ達を見返してやらないといけません。私はまだ走れんだぞって言ってやらなくちゃ、こっちの気が済まない」
先程よりも語気を強めた0番台の顔は、笑顔の圧力に満ちていた。社員はため息をつく。
「…そっちが本音か」
だが、それでこそ本来の209系0番台だ。どんな逆境に見舞われようと強かな心で乗り越えて走る……それが彼女の強みなのだ。社員はいつもの調子に戻った0番台を見て、ふっと笑う。
「分かった。そういう事なら──」
「早まるな0番台!」
小会議室に突然乱入してきたのは、209系500番台だった。後からトコトコとE233系1000番台がやってくる。
「ご、500番台?どうしたの?」
「俺はまだ0番台に走って欲しいんだよ!故障がなんだ!寿命がなんだ!そんなもの関係ない!お前はどうしたいんだよぉぉぉ!」
0番台の腕をがっしりと掴む500番台。担当社員も0番台も突然の事で状況を飲み込めないでいた。
500番台が心配になってついてきたE233系も、頼りになる先輩がただの弟になっている姿を見て、困惑していた。0番台はE233系に問うた。
「えっと…500番台…?こんなキャラだったっけ…?」
「0番台先輩が、車両部の社員とお話をしてるって助役から聞いたら、情緒不安定になっちゃって……」
0番台は呆れと罪悪感を抱いた。500番台は、0番台が廃車計画を進める為に社員を呼び出したと、勘違いしているのかもしれない。そんな事をする為に社員を呼びつけたのではないのだが、自分の振る舞いが招いた結果なのだから、彼を責めることは出来なかった。
私の口から弁明しないと。
「と、とりあえず落ち着いて、500番台」
0番台はことの経緯を説明する。車両部門の社員が浦和電車区に来たのは、そっちの方が都合よく0番台と話をすることが出来るから。そして、0番台は車両のリニューアルをして欲しいと頼む為に会った事を。一つ一つ丁寧に、一語一句を大切に、500番台に話した。
「──つまり、0番台はまた走りたいと思ってるのか?」
「そう、そういう事。だから安心して、500番台」
腕を組み、なるほどと頷く500番台。だったが……
「いや……何があったんだよお前!」
自分の知らない間に元気になっていた0番台に、驚きを隠せなかった。
「色々あって心変わり……ううん、思い出したの。私が走る理由…私だけの浪漫を」
突然でてきたある人物に、500番台はジェスチャーを使いながら、無言でE233系に尋ねた。
……あの人って誰だ?
さぁ?
「とにかく!私はもう大丈夫。みんなに迷惑かけた分、また頑張って走るから」
事情を把握しきれていない500番台だったが、いつもの強かな0番台に戻ったことに安心していた。だが、やっと自分の役割を思い出して、0番台を元気付けるつもりだったのに、存在を知らない誰かによって先を越された事に、多少のいらだちを覚えていた。
誰だよ0番台を元気づけた奴は。
俺がやりたかったのに。
「…まぁ、その、元気が出たならいいけどさ。もう走らないなんて言うなよ。それと…0番台が辛い思いしてるの、気付いてあげられなくて、悪かったな」
「こっちこそ、迷惑かけちゃってごめんね。500番台」
0番台は右手を500番台の前に差し出すと、500番台も右手を出して、二人の手が交わった。
仲直りの握手。こうして二人は和解したのであった。
「──話の途中なのだが」
社員の言葉に反応して、500番台とE233系は0番台を挟むように立った。まるで騎士とお姫様だ…と内心に秘めつつ、社員は続ける。
「209に存続の意思があるのは分かった。今後については本部と会議を行った上で、転属先を手配することになる。車両の転用と廃車の判断するために、後日、車両管理データの提出をしてほしい」
「はい──」
話の流れで返事をする。しかし、社員の言葉をリピートしていると、何かがおかしいことに気がついた。
「えっ?転用?」
0番台は、素っ頓狂な声を出した。社員が話していた事は、転用前提で進んでいた事だったからだ。ついさっき、リニューアルしたいと言ったばかりである。そんなすぐに転用の準備をするだなんて……
一方、E233系はふと気になった疑問を500番台に投げかけた。
「そういえば500番台、転属と転用って何が違うの?」
「それ、今俺に聞く?」
まあいいけど…と500番台は続ける。
「今所属している車両基地から、別の車両基地に異動するのが転属。別の路線に異動するために、その路線に適した体になるのが転用だ」
「うーん…」
ちょっと難しくて違いがよく分からない。E233系の苦悶の表情を読み取った500番台は、もう少し分かりやすく説明した。
「今の0番台で例えると、浦和電車区から別の車両基地に異動するのが『転属』で、京浜東北線から別の路線に異動するのにあたって、今の性能からその路線に合った性能になるのが『転用』って事だよ」
「なるほど…」
それなら分かりやすい。さすが、転属のプロフェッショナルだ。
話は困惑している0番台に戻る。
「い、いいんですか?廃車計画は、まだ取り消しになったわけじゃ……」
「廃車は廃車でするけれど、転用計画も同時進行しているから、両方に備えておけって事だよな」
500番台が補足する。0番台は予想通り、と言わんばかりに自信たっぷりな500番台を見て、再びたじろぐ。
「500番台、どういうこと?」
「あのあと、冷静になって考えてみたんだ。それで、リニューアル工事が中止じゃなくて保留になったんだとしたら、当然転用を前提とした計画も練られているだろうって思っただけだよ。というか、転用の話は0番台にどう伝えたんだ」
若干語気を強めながら、社員に問いつめる。姉思いの彼の発言に怯みつつ、社員は説明した。
「209が本部に来た時は、廃車計画の他にもリニューアル工事を一度保留にしたことと、転用計画書の内容を見直した事について伝えたんだ」
社員は冷静に話を進める。
「君の言う通り、廃車計画を話した後に転用計画について話して、本人の希望する転用先の路線と、転用に伴うリニューアル工事の内容について尋ねようとしたんだ。その矢先に思い詰めた顔をして『走らない』って言い出したものだから……」
「これ以上話を聞くのはやめた、ってわけか」
精神的に追い詰められていた0番台は、リニューアル工事の中止と廃車計画を聞いた所で限界が来てしまったのだろう。
真相が分かった500番台はしおらしくなった。おそらく話したところで、0番台の精神状態はそれどころではなかった訳だから、賢明な判断ではあった。
「こちらにも伝達ミスがあった事は認めよう。すまなかった、209系」
「ふぁい」
社員は0番台に頭を下げた。状況が把握しきれていない0番台は、場違いな気の抜けた声で返事をした。頭を上げた社員は続けて、カバンの中からファイルを探り出した。
「それに、私がここに来たのも、転用計画書が完成して受け取って欲しかったからだ。これを見れば、思い直してくれるかもしれないと思ってな」
社員はファイルから計画書の資料を出した。放心状態でいる0番台の代わりに、E233系と500番台が資料を手に取り、内容をざっくりと確認した。計画予定とはいえ、様々な路線への転用について書かれており、将来性の予測や209系の適正など、こと細かく書かれている。
「こんなにたくさん…」
「209の活躍の場を広げられるように、一年掛けて作った計画書だからな」
社員は自信たっぷりに言う。上層部からの圧もあっただろうに、これだけの資料を作った車両部門だ。本来であれば、このように車両の事を第一に考えてくれる組織なのだ。
「何にせよ、209がリニューアル工事と転用計画を受け入れてくれたのなら良かった。これでこっちもスムーズに仕事が進められる。それでは、私はこれにて失礼する。各種資料は、そちらで保管しておいてほしい」
社員は荷物をまとめると、そのまま小会議室を後にした。
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