番外編:浪漫の探求者

 209系0番台に会った後の小田急3000形のお話。

 浦和電車区に混乱をもたらした後、浦和電車区の周辺を散策し、本来の持ち場である小田急の車両基地、海老名検車区に戻っていた。両腕を天に向かって伸ばす。

「あー楽しかった!久々にいい浪漫が見られたなぁ〜」

 3000形は車両本体がある車庫でゆっくり休んでいた。朱色のドレスが、窓からの黄昏の日差しに照らされる。


「楽しそうだな、SEエスイー


 すると、車庫の入口から声をかけられた。小田急3000形──もとい、SEは笑顔でその声に返答する。

「やっほー。キミから用があるなんて、なんだか珍しいね?何か面白い浪漫でも見つけた?3000」

「ちげーわ」

「そっかー、残念」

 SEと同じ名前を名乗る少年の正体は、小田急通勤車たちの現役の主力車両──いわゆる、リーダーだ。特急車と通勤車、月とスッポンのようだが、SEの実の息子である。乗り心地に関しては関東の通勤車の中でもトップクラスであり、特急車に負けない走りを持っている(初期車は別だが)。

 そんな彼がSEに会いに来たのは、母親が恋しくなったからではなかった。

「お偉いさんがお前の事を探してた。新しいロマンスカーを造りたいから、アイデアを出すのを手伝ってくれないかってさ」

「また〜?あたしはそういうの専門外なんだけど」

「だろうな。自分たちの頭で考えろって言っておいた。ったく、SEを探すのに俺を使わないでほしいもんだ」

 引退から随分と時間が経ったSEだが、小田急内での存在が誇張されて神格化している。今も尚、車両部門の社員たちから頼られており、特にロマンスカーの開発における重要な相談相手として認識されることも少なくない。

 しかし、SEとしてはロマンスカーの開発に携わるつもりは無かった。当然、鉄道車両にそんな権利は無いからである。それにSEとしても、その時代の人間たちがどんなロマンスカーを創るのかを見たい、という思いが強かったため、それっぽい遠回しの言葉を連ねていた。

 いくら傍若無人のSEとはいえ、無関係な息子まで巻き込むのはやめて欲しいとは頼んでいるものの、実際はそう上手くいかない。人の移り変わりは、SEの思っている以上に短いのだ。3000形の用件というのも、一番最後の文句を言いたかっただけなのだろう。

「それは悪かったね。注意しておくよ」

「全くだ。つか、どこ行ってたんだよ」

「埼玉の故郷に里帰り」

「帰る故郷なんか無いだろ」

「うん。無くなってたよ」

 割と大変なことを言っている気がするのだが、SEは浪漫以外のことに関しては淡白だ。飾ることも気取る事もしない、皮肉も嫌味も通じないただ純粋な彼女に、3000形は少々嫌悪感を抱いていた。

「じゃあ、何しに行ったんだよお前」

 反抗期の息子のようにぶっきらぼうに尋ねる。

「あの頃の浪漫は無くなったけど、その代わり新しい浪漫を見つけたんだ。しかも、キミと似ている」

「俺と?」

 3000形は嫌な予感がした。大抵こういう予感の後には、よからぬ事が起こるものだ。

「…まさかそれ、209系の事じゃないだろうな」

「そうそう、209系だ」

「いい加減にしろよ」

 3000形は静かに怒りを露わにする。SEは内心よく209系の名前が出てきたな、と感心していた。

「もう聞き飽きたんだよ、そういうの。いくら俺が他の小田急車と顔が違うからって、お前まで209だって騒がれるのは心外だ。鉄道車両はガワだけじゃないってのは、お前が言い始めたことじゃねーのかよ」

 SEはうんうん、と頷きながら3000形の愚痴を聞いていた。彼の言う事は尤もであり、同時に自分に強いコンプレックスを抱いている事を、改めて理解した。

 3000形は209系が嫌いなのではなく、209系と一緒にされるのが嫌いなのだ。顔──というよりは、車両の前面がそっくりだから。普段からそう言われているからこそ、「似ている」という言葉に過剰に反応してしまったのだな、とSEは分析した。奇しくも、偶然一致してしまったわけだが。

 そして同時に、SEは3000形のそういった所が大好きだった。体が震え、ゾクゾクしてくる。

 

 そして、SEの浪漫に対する直感が告げる。

 彼と209系は似ている、と。

 

「そう──それだ。その野心こそ、キミと209系が持つ浪漫と似ているんだよ」

「だから似てな──はぁ?」

 3000形の怒りが失速する。その隙を見逃さなかったSEは、完全に自分のターンに入った。

「小田急通勤車の主力として、伝統を覆し自らを証明せんとするキミと、体が弱いながらもその運命に立ち向かい、自らを証明せんとする209系。どちらも、何かを見返す事が浪漫の実現に繋がると思っている。その泥臭い浪漫こそ、あたしが心から欲していたものなんだ」

 高らかに歌うように話すSE。3000形は突然始まった浪漫の話についていけず、頭が混乱する。

「人間達の為に走るのが悪くないわけじゃない。けれど、それは当たり前の事だし、何よりつまらない。心の奥底に抱える本能や欲望が開花するとき、浪漫へ至る道が完成される。その道を突き進むあたし達の姿に、人間たちは魅了されるのさ。そっちの方が素晴らしいと思わない?」

 問いかけに対し、やれやれと呆れる3000形。理屈や理論が無い話にはついていけない。ましてや、浪漫を語るSEが相手なら尚更だ。

「また浪漫の話かよ……相変わらず俺にはよくわかんねーな」

 SEは肩をすくめる。相変わらず素直じゃない息子だ。

「でも、伝統を覆すようなことをしなきゃ、俺のやりたい事を果たすことは出来ないのは分かる」

 3000形の発言に対して、SEは不敵に笑む。やっぱり素直じゃないだけだった。

「特急にも負けないような、通勤車の至上の走り…俺はそれを極めて、見下してくる奴を見返す。車庫から指でもくわえて見てろ、スーパーエクスプレス」

 SEに指を差す3000形。彼の言葉は、SEに対して暗に「お前も見返してやる」と言っているようなものだった。数秒、間が空いた後に、SEはあははっと笑い始めた。

「やっぱりキミの浪漫は最高だねぇ!あたしの想像の斜め上を行くんだもの!」

 挑戦状を叩きつけたつもりが、何故か成長を喜ばれている。拍子抜けしたからか、3000形はどっと疲れが出てきてため息をついた。こんな奴と相手をしていても、自分の思い通りにいかない。結局、浪漫に帰着する。さっさと帰ろう。

「もう帰る。やっぱりお前嫌い」

「そう?寂しーなー」

「それと、俺がそう言ってたって誰にも言うなよ。言葉で見返すだけじゃ、物足りないからな」

 SEは3000形の言葉を気にしない様子で、彼を見送ろうと車庫の入口まで歩いていく。その時、SEが何かに気がついた様子で立ち止まった。

「ああそうそう、最後に一つだけ──」

 SEの足音が聞こえなくなったことに気がついた3000形は、後ろを振り返る。

「何?」

 

「──お前の浪漫を見失うなよ、小田急3000形」

 

 SEから出た言葉は、母親ではなく、一形式の鉄道車両としての言葉だった。いつもと雰囲気の違う覇気のある声と佇まいに、3000形はその場に立ち尽くしていた。

 

「海老名から指くわえて見守ってるよー」

 一転、何事も無かったかのように柔らかな表情で手を振るSE。威厳ある佇まいはどこへやら、3000形の母親であろうとする姿に変わっていた。3000形は深いため息をつきながら、SEのいる車庫を後にする。

 SEは一番敵に回したくない相手である。本人にそのつもりがなくとも、伝説の車両を相手にした時の圧力に耐えきれないからだ。

「こえぇ……」

 そう思っているうちは、自分は到底ロマンスカーに勝つことは出来ないのだろう。線路にある小石を蹴りあげながら、なんとも言えない気持ちを発散した3000形だった。

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