私だけの譲れないもの
「南浦和停車…よし、お疲れ様。0番台ちゃん」
「うん、お疲れ様」
南浦和駅は浦和電車区の入出庫を行っており、京浜東北線の他にも武蔵野線と接続している駅である。
209系0番台は運転士に労いの言葉をかけると、大宮方にある留置線に行く準備を始めた。線路から客室に移動すると、車内に残っている乗客たちに電車から降りるよう促す。
「この電車は車庫に入りまーす!お客様のご乗車は出来ませんので、降りてくださーい!」
10号車、9号車、8号車…と進んでいくと、途中で反対方向から来た警備員と出会った。209系0番台は子供の見た目を活かして、健気に警備員に挨拶をする。
「お疲れ様です警備員さん!そっちは大丈夫そう?」
「電車ちゃんもお疲れ様。お客さんはみんな降りていったよ」
「ありがとう!そんじゃ、運転士さんと車掌さんに伝えてくるね!警備員さんは駅員さんによろしく!」
「あいよ」
0番台は再び線路上に戻ると、乗務員たちに乗降終了の旨を伝え、扉を閉める。信号が進行を示した事を確認して、ゆっくりと留置線に向かって走り出した。
数百メートル進んだ先にある留置線に入り、所定の停車位置で止まる。しばらく待機した後、0番台は南行の始発ホームへと向かって東京方面へ走る。それまでは留置線で待機する手筈となっていた。
乗務員たちに別れを告げ、一人残される0番台。ふと営業線の方へ向くと、偶然209系500番台が走っていくところを見た。そして、反芻されるのは車庫で起きた初めての姉弟喧嘩。
電車としての価値を失った私は、廃車される事を受け入れ、覚悟をしていたつもりだった。だけど、何故それをE233系や500番台に言えなかったのかが分からなかった。E233系の言う通り、本当に廃車を受け入れたというのなら、彼らに教えてあげてもよかったじゃないか。
やっぱり私はまだ、走りたいのかな……
「やっほー」
0番台の体がピクリと動く。乗務員?もう運用の時間になったのか?いやでも…様々な思考を巡らせながら、声の主の方へむく。
「も、もうそんな時間だっけ?運用の時間はまだ先……」
「あはっ、違う違う。あたしは乗務員じゃないよ」
そこに立っていたのは、朱色のドレスを身にまとい、額にアクセサリーを付けている女性だった。明らかに浮いた格好をしており、どことなく圧倒されるようなオーラを感じる。同族である事はすぐに分かったが、肝心の正体が分からない。
0番台は健気な少女から一転して、毅然とした鉄道員の態度をとり、その女性と会話をする。
「関係者以外の立ち入りは禁止されていますよ。今のうちなら見逃してあげるから、早く出ていってください」
「あ、許可なら貰ってるよ。ちゃんと車庫の管理者からね」
ドレスの女性は懐から浦和電車区の立ち入り許可証を取り出すと、0番台に見せた。確かに本物の許可証だ。
「それから…そうだ、自己紹介をしないといけないね」
ヒラヒラとドレスを揺らしながら、0番台に近づく女性。とても上品とは思えない所作だが、着飾らない彼女にはどこか惹かれるような魅力がある。
そして、0番台に向けて手を差し伸べながら自らの正体を明かした。
「あたしは小田急3000形。人はあたしをスーパーエクスプレスと呼ぶよ」
「スーパーエクスプレス…小田急3000形って…!?」
彼女の正体に驚愕する0番台。というのも、小田急3000形は伝説のロマンスカーであり、新幹線の母とも言われている偉人レベルの鉄道車両だからだ。そんな彼女が、わざわざ許可を貰ってまで浦和電車区に来るなんて、どうしたのだろう。
「どうして貴女のような電車がここに…」
「浪漫があたしを呼んでいたから、かな」
「ロマン?」
「そう、浪漫。人間たちを魅了し、その後の人生を変えてしまうような浪漫…あたしはそんな浪漫を探している。
答えになっているような、いないような。0番台の腑に落ちない表情を察したのか、小田急3000形は空を仰ぎながら続けてこう言った。
「もうひとつ言うと、ここの近くにあたしの故郷があったんだ。無くなってから初めて来たんだけど……随分と様変わりしたものだね。街も、電車も」
それはそうだろう。3000形が走っていたのは、半世紀以上前の話なのだから。0番台は心の中でツッコミを入れると…
「ねぇ、教えてよ。キミが抱く浪漫を」
「は?」
突然の事で気の抜いた声を発する0番台。3000形はきょとんとしている0番台を気にせず、適当に昇降台の足場を見つけて座り、こっちこっちと手招きをした。ここは私の持ち場なのに…と思いながら、渋々3000形の近くに座る。
これが伝説のロマンスカーの姿なのだろうか。なんだか想像していたよりもあっけらかんとしていて、表情が読めない。
0番台が走る京浜東北線は、特急列車が走らないため(横浜線からの直通列車が数本来る程度)、特急車と関わることが無い。ましてや相手が他社車両であることも相俟って、いつも以上に警戒していた。
「あ、そういえばキミの名前聞いてなかった。なんて言うの?」
「209系0番台。京浜東北線の電車」
「209系ね。よろしく。にしても京浜東北線かぁ…へぇ、ここ京浜東北線って言うんだ。初めて知った」
知らないで来たのか。どうやって来たんだろう。
「じゃあ改めて尋ねよう。209系が抱いてる浪漫を教えて欲しいな」
ちょっと待った、と209系が手で制す。
「その、貴女の言うロマンって何?夢とか目標とか…そういうもの?」
「うん、それでもいいよ。キミが目指すモノ、あるいは鉄道車両として走る理由…浪漫には様々な形があるからね。どんな浪漫でも大歓迎さ」
自らが目指すモノ、鉄道車両として走る理由……難しいことは一旦置いといてそれだけを集中して思考する。ところが……
『おい、走ルンですが来たぞ!』
『車両故障の当該、また209か…こりゃ潮時だな』
『昨日、京浜東北線の車内で故障が発生し──』
『床下の劣化が激しいな…これじゃあ……』
次々と雑念が入り込んできて、思考の邪魔をする。答えを見つけたいのに、罵詈雑言の霧がかかって前に進むことが出来ない。二人の影が、0番台におそいかかるイメージが脳裏に浮かぶ。
「違う…私は……」
「ストップ」
肩をぽんと叩かれ、0番台は我に返った。無意識で息を止めていたらしく、過呼吸を起こしていた。3000形がいなかったら、どうなっていたことか。
「ちょっと深呼吸しようか」
0番台の肩に置かれた手を背中に移動させて、温かい手で優しくさすった。まるで母親のような温もりが感じられる。案外優しい人なのかもしれない。
呼吸が落ち着くと、思考の結果を3000形に伝えた。
「……分からなかった。考えれば考えるほど、答えが見えなくなっていったの。こんなはずじゃなかったのに、どうしてこんな事になっちゃったんだろうって…」
自然と話の流れは0番台の廃車の話に移った。そして、この話を弟と後輩に話せなかった事。寿命によって体が弱くなった自分に、鉄道車両としての価値が無くなりつつある事。
「なるほどねぇ。先に進むのが怖いんだ?」
「怖くない。生まれた頃から決まっていた事だ」
そう言う0番台の手は、小刻みに震えていた。虚勢を張っているというよりは、決めつけが強いようにも見える。これでは腹を割って話せないだろう。
…少しアプローチを変えてみるか。
「──それは、誰が決めた事なんだ?」
先程までのフレンドリーな雰囲気から一転し、ヒリヒリするような空気にかわる。0番台は少しだけ3000形から距離を置いた。
「まぁ、人げ──キミの教育係がそれを定めた事なのは、想像がつく。だがキミがそれを鵜呑みにして、自らの運命を受け入れるのは、訳が違うだろう?」
「けど…現に私の体はボロボロで…」
「それはキミがそう思っているだけだ。209系」
そう言うと、3000形は立ち上がって0番台の車体を眺め始める。
「キミはまだ走れる。少なくとも、今のあたしに比べたらね。まぁ、あたしの体も元々は10年しか走れないって言われてたものなんだけど…」
特急車の寿命が通勤車よりも短いことは、0番台も知っていた。特急車は非日常的存在ゆえに、そのプロポーションを維持するのが通勤車よりも大変だ。さらに、一回の運用で長距離の高速運転することから、車両へのダメージも大きい事も特徴の一つだ。
そして初代小田急3000形は、その特急車両の祖。国内最高速の世界を実現するために生まれた車両だ。10年しか走れないと言われても、別段驚く事は無かった。
「寿命、怖くなかった?」
「うーん…10年しか走れなくても、それまでに最高の浪漫がみつかればそれでいいって思ってた」
当たって砕けろ、というやつだろうか。自分が求めるもののために手段を選ばない彼女に、0番台は恐々とした。そんな0番台を他所に、3000形は話を続ける。
「けど昔、国鉄のお偉いさんに『お前が作り出した浪漫の先を見届けて欲しい』って頼まれてさ。それで、あたしも自分が作った浪漫の系譜が何処まで続くのか、見てみたいって思っちゃったんだ。たとえ外野が何を言おうと、それだけは絶対譲れなかった。
だから浪漫の為に姿が変わる事も受け入れられたよ。そうでもしなきゃ、先の浪漫を見ることは叶わないからね」
3000形は朱色のドレスを靡かせ、車両の側面から0番台の正面へ移動した。0番台の方へ向き直ると、グレーの瞳を覗かせる。
「人間達が耐用年数と呼んでいるものは、人間たちが決めたあたし達の寿命だ。でも、それよりも大事なのはあたしたちが持っている意思そのものである、『走りたい』という気持ち。それこそが鉄道車両の真価であり、あたしが求める浪漫なんだ。
それさえあれば、あたし達はいつまでも走り続けることができる。『走れない』状況にならなければね。今のキミに取り巻く状況はどう?本当に『走れない』って言い切れる?」
「それは…」
影に飲まれていた500番台とE233系が、彩りを灯して姿を現した。電車の彼らだけでは無い。浦和電車区を始めとする社員たちが、そこにいた。
故障を起こした時はいつも彼らがそばに居て、支えてくれていた。500番台が代走で運用を変わってくれたり、検査員たちが根気強く点検してくれた。乗務員たちも、体が弱い私を度々労ってくれた。
「あ…そうか……」
そういう人たちがいてくれたから、0番台は心無き言葉を掛けられても立ち向かえていた。私が走ることに、意味を与えてくれた。
曇った瞳に光が差し込む。0番台の周りに立ちこめていた心無い言葉は、光によって遮断された。
もう何も、私を邪魔するものはない。
「私はっ…」
苛立ちが募る。大切なことを忘れていた自分自身に。私はまだ走りたい。誰になんと言われようと、自分自身の強さを証明したい。
私はまだ走れる事を、見せつけてやりたい!
「……走らなきゃ」
0番台は足場から降りると、3000形に礼を言った。
「ありがとう、ロマンスカー。私の浪漫を思い出したよ」
0番台の顔は晴れ晴れとしており、その瞳には雲ひとつない快晴のような青空が広がっていた。3000形も全てを悟ったのか、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「あたしもやっと、キミの浪漫を見つけたよ。とても泥臭くて、眩いほど輝かしい──あたし好みの浪漫だ」
互いに顔を見合わせる。彼女たちの間には何も言わずとも、通じ合うものがあった──
「オマエー!!そこで何してるやんねー!!!」
突然の大声に驚く0番台。声の主は南浦和駅のホーム端から、身を乗り出している少女がいた。安全ベストとヘルメットをちゃんと着用している。
0番台はふと我に返る。ここは南浦和の留置線。浦和電車区の入所許可が適用されるのは、車庫内だけのはず。
……あれ?
「貴女、なんでここに来たの!?」
「浪漫を探す為だよ。さっきも言ったじゃない」
「そうじゃなくて…ここは浦和電車区じゃないの!駅の留置線!貴女がここに来たらダメなところ!」
「え、そうだったの?」
…そもそも、3000形に付き人の社員がいない時点で察するべきだった。気が付かないほど追い込まれていたし、何よりあとの祭りである。
ホームにいるヘルメットの少女が、ホームから降りてこちらに向かって走ってくる。恐らく、駅員か何かだろう。その割には、方言のような口調がやたら特徴的だが……
「不法侵入やんね!人んちの敷地内で好き勝手やられては困るんよ!大人しくお縄につけい!」
3000形は追い詰められているはずが、どこか余裕の表情を見せている。…追い詰められているというか、自業自得なのだが。
「そうかそうか、ここは『彼女』の所有地だったのか。道理で賑やかだと思った」
「よく分かんないけど、そんなこと言ってる場合!?」
すっと0番台の前に出ると、顔だけ振り返りながら手を振った。
「楽しかったよ209系。またどこかの浪漫の先で会おう」
とりあえず、と言った様子で0番台は手を振り返した。
「えーっと…じゃあ、また」
そのまま歩みを進める3000形。これでヘルメットの少女と合流する…のかと思いきや。
3000形はそのままスピードを上げていき、地べたを滑るような姿勢を取り始める。京浜東北線では出さないような、風のような速さ。そして……
「あっ……」
3000形はその圧倒的なスピードで、ヘルメットの少女の傍をすり抜けて行ってしまった。
ヘルメットの少女が振り返ると、3000形の姿は何処かへと消えていた。呆気に取られる二人の少女だったが……
「こらー!スピード違反やんねー!待てー!」
ヘルメットの少女は踵を返して、3000形の後を追いかけて行くのだった。
あっという間に居なくなってしまった、気まぐれな特急車。初めは変な人だと思っていた(結局最後まで変な人だった)が、自分の心に従って突き進む姿に胸を打たれた。10年しか走れないと言われた特急車が、あれだけの走りを目の前で魅せたのだ。
私ごときがうだうだしている場合では無い。
「…とはいえ、233くんが来てしまった今、私が置き換えられる事に変わりは無い。今更、浦和電車区に残りたいなんて言えないし…なら…」
上着のポケットから、業務用の携帯電話を取り出す。
思い立ったら即行動。電話をかけた先は、車両部門だった。
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