姉への思い、自分の役割
0番台の姉弟喧嘩をした209系500番台は、浦和電車区を離れ、三鷹車両センターに来ていた。ここは、中央・総武緩行線(以下、総武線)の車両基地であり、500番台は浦和電車区と掛け持ちで運用に就いている。スカイブルーのトサカと服のベルトは、総武線用の黄色に変わっている。
今日はたまたま総武線の運用日であったため、車両基地に来たのはいいのだが、姉弟喧嘩をした後の気まずい空気を引き摺ったまま来てしまった。項垂れるように、オフィス内にあるベンチに座る。
「──きゅう」
元々500番台が京浜東北線にやって来たのは、0番台からの依頼だった。京浜東北線で新たな保安装置──D-ATCの設置工事を行う事になったのだが、工事を行う間に車両不足が発生するため、その分の車両を補って欲しいという理由だった。
500番台が抜擢された理由としては、収容力のある拡幅車体は利用客が多い京浜東北線で重宝することと、総武線には別の主力車両がいるため、500番台が総武線に居なくても体制が整っていたことだった。
500番台は自分が0番台の助けになれるのなら、という事で0番台の補佐を快く引き受け、その後の増備にも協力した。
「──にー…きゅう…」
それまで、0番台とは秋葉原ですれ違う程度でしか接してこなかったため、自分の姉でありながら、詳しい人物像は分からなかった。だが、一緒に過ごしていてわかったのは、めげたりしょげたり等とは無縁で、幼い見た目からは想像できないほど、心が強かったことだ。
だから、0番台は大丈夫だと思っていた。
自分も、みんなも。
だけど──
「209!」
500番台はハッと気が付くと、不機嫌な顔をしたカナリアのロングヘアの女性がそばに立っていた。ゆっくりと顔を上げ、掠れた声で彼女の名前を呼ぶ。
「231……」
E231系0番台総武車。全ての鉄道車両の模範生となるべく、自分に厳しいストイックな女性だ。500番台とは幼馴染であり、血の繋がりは無いが本当の兄妹のような関係性の二人である。
500番台の暗い表情を見たE231系は、不機嫌な顔から一転して心配するような表情を浮かべた。
「209、顔色が悪いじゃないか。どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
「ああ…いや…ちょっとな……」
煮え切らない返事をする500番台。事情を察したE231系は、隣失礼すると言うと、500番台の隣に座った。500番台は俯いたまま、話し始めた。
「…喧嘩したんだ。0番台と」
「0番台?京浜東北線のか?」
「ああ。最近0番台の調子が悪いから具合はどうだ、って聞いてみたんだ。そしたら突然、私は走らないって言い出して…」
500番台はそれから209系0番台が、全車両廃車されるという計画があることを伝えた。E231系はその話を聞いて、驚愕の表情を浮かべた。
「……初耳だ。お前が京葉線に行く事は知っていたが…」
「俺だって知らなかった。けど、本人がそう言っていたのが全てだ。しかも、一部のマニアからも認知されているみたいだ」
「そうだったのか……」
500番台は頭を垂らしながら続ける。
「一番近くに居たと思っていたけど、本当は一番遠いところに居たんだ、0番台は。大丈夫だろうって思ってた事は、大丈夫じゃなかった。俺が気が付かなかったから…0番台は……」
言葉が詰まる。出てくる言葉は自分を責めるばかりだ。けれど、それ以外の言葉が出てこない。あの時こうしていれば。0番台を守れていたかもしれないのに……
「思い詰めすぎだぞ、209」
E231系は500番台の背中に手を置いた。彼女の低く落ち着いた声は、500番台が混乱している中でもスっと耳に入ってくる。
「確かにお前にも悪い所があったのかもしれないが、全てがそうという訳じゃない。京浜の209は弱音を吐かない、いわば自分の弱さを隠すタイプだ。お前が食い下がったところで、強がりな209が本当の事を話してくれるとは限らないだろう?」
それはそうだけど…と、力なく答える500番台。
「それに、京浜の209が弱気になった原因が、2年前の尼崎の事故にあるとしたら……本人の気付かぬうちに、トラウマを負ってしまった可能性も考えられるし、世論から209を守れなかった会社側にも責任がある。言い出したらキリが無いことを気にして、自分だけが姉を守れると思ったら大間違いだ。自惚れるな」
厳しい指摘が500番台の心に刺さり、カエルのうめき声のような声が出た。
「京浜の209も、お前みたいに自分を守れるのが自分しかいないと思っていたのかもしれないな。その自分が壊れてしまっては、本末転倒だろう。それに、彼女を支えるべきピンチヒッターが、こんなんではな……」
ピンチヒッター、という言葉に反応する500番台。自分が浦和電車区に来たのも、0番台に呼び出された時のことを思い出す。
『お姉ちゃんを助けるためだと思って来て欲しいな』
そうだ……今の俺がやるべき事は、姉を助けられなかった自分を嘆く事じゃない。『走らない』ことを決めた彼女に、気付きを与えてやることだ。それが、0番台の助けに繋がるのだとしたら──
500番台は体を起こすと、苦笑いを浮かべてE231系の方に向けた。
「手厳しいなぁ、お前。でも、お前の言葉で気付けて良かった」
「…そうか」
E231系は調子を変えないまま、淡白に呟いた。口調こそ厳しいものの、どこか温かみのある声だった。
話題は京浜209系に戻る。
「ところで、京浜の209が『走らない』と言ったことはどうする?走りたくないなら走らなければいい、では済まされない、深刻な死活問題だ」
自らの意思で『走らない』事を決める鉄道車両は数少ない。鉄道車両は走る事で果たされる使命があり、その使命が果たされた時に走ることをやめ、次世代へと繋いでいくのだ。
つまり、自ら『走らない』事を選んだという事は、『鉄道車両としての使命を放棄する』ということを意味する。
「アイツはそこまで深刻な事は考えていないはずだ。ただ単に、そう思い込んでしまってるだけで」
「根拠は?」
「アイツは自分の事を、鉄道車両として走る価値が無くなったって言っていた。けど、実際はリニューアル工事によって延命できるんだから、価値が無くなるなんて有り得ないだろ?だから上層部は廃車計画以外にも、今後の展望に対する意見を尋ねる為に、0番台を本部に招集したと思うんだ。
でも0番台は世間のバッシングに苦しんでいたから、それどころじゃなかった。きっと上層部から伝えられた悪い解釈だけを取り込んでしまって、自分を見失ったんだ……」
平静を取り戻した500番台は、自らの考察を言い連ねた。500番台は両手で後頭部を支えると、足を組んだ格好で背もたれに寄りかかる。
「まずは0番台と仲直りして、真意を聞かないといけない。今度浦和に戻ったら、話を聞いてみるよ」
「そうだな。あたしも一応、彼女の動向に注意しておこう」
500番台はそう言ってベンチから立ち上がると、上着のポケットに手を突っ込みながら、E231系に振り向いた。
「ありがとな、231」
E231系もカナリアの髪を靡かせながら立ち上がると、500番台の隣に立つ。
「あの人はあたしの模範の礎で、姉のように大切な存在だ。しっかり支えてやれよ、209」
クールな雰囲気を残しながらE231系が言う。500番台の生まれ変わったような表情を、目に焼き付けながら。
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