価値のない電車

 205系横浜車に相談してから数週間後、E233系は浦和電車区の助役から嬉しい事を伝えられた。

「E233系のデビュー日が、12月22日になった」

「えっ…!本当ですか?本当、ですよね?」

「本当だって。嘘は言わないさ」

 助役の男性は、面白おかしく笑いながらそう言った。

「デビュー決まったんだな!おめでとう233!」

「今日の夜はお祝いしないといけないな!」

 次々と乗務員たちが集まっていき、E233系はそれぞれから祝福の声をもらった。何だかちょっと照れくさい。

「皆さんのご指導のおかげです。本当にありがとうございます」

「いいぞ233!もっと俺に感謝しろ!」

「お前何もしてないのに偉そうするなよ!」

「お前らはさっさと持ち場に戻れ!しっしっ!」

 E233系のデビュー祝いに湧く浦和電車区。助役が厄介そうに乗務員たちを追っ払うと、E233系は苦笑いした。浦和電車区はいつも賑やかな人達がいる。それでいて、みんな仕事に熱心だから、自然とE233系のモチベーションも上がっていた。

 助役がE233系に向き直る。

「ここは馬鹿な連中しかいないけど、仕事仲間としては優秀なのは233もよくわかってるだろ?人車一体じんしゃいったいとなって、人々の生活を支える足となって欲しい」

「はい。頑張ります」

 E233系口角が上がっているのを抑えつつ、失礼します、と言って助役に一瞥いちべつした。くるりと回って背を向けると、ぴょこぴょこと跳ねるようにその場を去った。嬉しさが全身からだだ漏れである。

「…電車とはいえまだ子供なんだから、もっと素直に喜んでもいいのに」

 助役はE233系の様子に、やれやれと仕草をするのであった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 デビュー日が決まったことを先輩である209系姉弟に報告するため、E233系は二人を探しに車庫を歩いていた。

 ふと、空を見上げると曇り空が広がっている。雨が降ったら走りにくくなって大変だ、なんて思いながら広大な車庫の中にいる二人の姿を探す。

 デビューが出来たのは二人の指導のおかげでもある。なんとしてでもお礼を言いたかった。そして、京浜東北・根岸線の後継として成長した自分をアピールしたかった。

 二人はどんな反応してくれるかな?なんて期待をしつつ、車庫の中を歩いていると…

 

「どういう事だよそれ!?」


 突然誰かの声が聞こえた。E233系は反射的に自分の車両に張り付く。そーっと声がした方へ顔を覗かせると、そこには209系姉弟がいた。

 声の主は、弟の500番台から発せられたものらしい。二人の間に、ただならぬ雰囲気を感じとったE233系は、距離を置きながら二人の話を聞こうとする。

 次に口を開いたのは、姉の0番台の方だった。

「…だから言ったでしょ。私はもう走らない。ここを最後に私は仕事を辞める。そう決めたから」

「何訳のわかんないことを言ってんだ!仕事を辞めるって、走らないって、どういう意味だよ!」

「500番台だって知ってるでしょ。最近の私は故障続きで、思うように走ることが出来ない。故障が直ったと思ったら、また別の故障が起きてしまう。その度に、みんなに迷惑をかけてしまって、乗客たちを危険に晒して……寿命も近い私は、もう電車としての価値はないの」

「そんな事ない!まだ0番台は走れるだろ!確かに俺たちの寿命は短いけれど、全てがその限りというわけじゃない!」

 E233系は二人が姉弟喧嘩しているのは初めてだった。姉弟特有の程よい距離感の仲で、軽口を叩きあったり、雑な扱いをすることはあれど、ここまで本気の喧嘩をすることはなかった。

 それだけ本気で500番台は0番台の身を案じており、0番台は自信をなくしているということでもあった。E233系はどうにかして仲裁しようと思っていたが、再び二人が言い争いを始めた事で、足がすくんでしまった。

「なぁ0番台。そろそろ俺にも教えてくれよ。今ここには俺たちしかいないんだし、いいだろ」

「教えるって…何を」

「お前が不調になった理由だよ。今まで色んな奴らに酷いこと言われても気にしなかったお前が、どうして今になって落ち込んだりしているんだ?何があったんだよ?」

 0番台は500番台から視線を逸らす。500番台は睨みつけるように0番台の事を見ていた。重い沈黙と気まずい空気が漂う。

 

 しばらくした後、0番台がため息をついて、500番台の方に視線を移した。

「……中央線のE233系がやってくる前、私が本部に呼び出されたのを覚えてる?」

「去年の9月だろ。知ってる。今思えば、お前はあの時から様子がおかしかったよな」

 …嫌な胸騒ぎがする。今となっては、不調の原因が自分の所為にされても構わないのだが、それとは違う気持ち悪さがあった。

 そもそも、E233系は京浜東北線の209系を置き換えると聞いただけで、その後の処遇については何も知らなかった。こういった話は、その時々によって変わるため、本人から聞くべきだと思っていたし、実際に尋ねてみても飄々と躱されてきたからだ。

 もしそれが、話せない事ではなく、話したくないことなのだったとしたら。仕事としてあるまじき事ではあるが、そうまでしても嫌な事だったとしたら。

 0番台は曇天のような濁ったような瞳を向けて、口を開かせた。

 

「京浜東北線の209系0番台を、全車両廃車することになった、ってね」


 絞り出すように、だがはっきりと聞こえた震え声。距離を取っているはずなのに、耳元で悪魔が囁くように聞こえた、一言一句。

 京浜東北線の209系0番台廃車──それは、E233系が自らの手で0番台を葬り去ることを意味していた。

 少し前のE233系なら、0番台を置き換えることに罪悪感を抱き、狼狽えていただろう。だが、205系横浜車から指摘されたおかげで、それが罪ではなく自らの使命である事を自覚することが出来た。


 何か他にも事情があるかもしれない…冷静に息を潜め、0番台の話を聞き続ける。

「…私は元々走ることが苦手だった。体が弱いから外的影響を受けやすいし、長生きする事を想定して生まれた訳じゃないから、怪我だって多いし、病気にもなりやすい。そして、他の子よりも衰えが早いの」

 0番台は小さな体を抱きしめるように、服の裾を掴む。その語り口はまるで、500番台ではない誰かの為に話しているようだった。

「それでも、検査員の人達は一生懸命私のメンテナンスをしてくれたから元気に走ることが出来た。500番台や他の兄弟たちが活躍できるようにって、頑張ってきた。どんな言葉を投げかけられても、みんながいたから頑張れた」

 500番台は今にも泣きそうな表情をしながら、黙って0番台の話を聞いていた。

 

「だけどね、2年前に尼崎の脱線事故が起きてから、全てが変わった」


 空気が変わる。息が詰まり倒れそうになりながら、E233系は自らの車体に体を押し付けていた。

 E233系が開発を始めた頃に発生した、戦後史上最悪の鉄道事故。E233系1000番台は、そういう事故があったという話を耳にした事はあったが、詳細までは知らない。だが、この2年前の事故がきっかけで、0番台の体──いや、心に悪影響を及ぼしたことがわかった。

「あの事故は、鉄道そのものの信頼を揺るがすほどの大事故になってしまった。世間は鉄道会社に厳しい目を向けるようになって、些細なミスや車両の不具合がニュースで取り上げられるようになった。

 もちろん、私もその対象だった。

 その頃から私は寿命による故障が増えていて、メディアに指摘される事も多くなってしまった。日頃の行いというか…こうした事が報道されて、世間に対する私のイメージが悪くなって、上層部も相当頭を悩ませていただろうね」

 E233系が知らなかった事実が、次々と明かされる。0番台を取り巻く状況は、想像以上に酷いものだったのだ。誰にも言わず、一人でずっと抱え込んでいたなんて……

「それから、減価償却期間の13年が経ったあたりで本部に呼ばれたの。そこで告げられたのが、尼崎事故の教訓を経て、より車両の安全性と信頼性を向上させた、第三世代の新系列車両『E233系』の導入。そして、私の廃車」

 自分の名前が呼ばれたこと、そして0番台の廃車がされると聞いて、胸がキュッと苦しくなった。E233系を他所に、0番台は話し続ける。

「私は廃車を受け入れた。もう、人の為に走ることが出来ない体になってしまったからね。901系も、十分に使命を果たしてくれたから、廃車する事にした。それ以外の事は、何も覚えてない。

 でも……これは、生まれた時から決まっていたことだ。後悔なんて……これっぽっちも無い」

 嘘だ、とE233系は思わず呟いた。0番台が陥ってしまった状況には同情するものの、発言と行動が矛盾している。本当に後悔がないのなら、ここまでの事になるはずが無いのだ。

「ずっと黙っててごめんなさい、500番台」

 0番台は深く頭を下げた。500番台は怒りとも悲しみとも取れる複雑な表情で、0番台の姿をただ見ていた。唇が震え、動揺しているのが遠目から見ても分かる。

 やっと絞り出して出てきた言葉は、残酷な拒絶だった。

「……やめてくれよ。そんな0番台の姿、見たくない」

 500番台は0番台の傍を通り抜け、走って出て行った。

「ごひゃっ……」

 E233系は500番台を呼び止めようとしたが、500番台は無視して行ってしまった。追いかけようともしたが、それよりも0番台の様子が気になって仕方がなかった。ちらり、と0番台の方を見やると──


「……姉弟喧嘩を盗み聞きするなんて、趣味が悪いね」

「うわっ!?」


 0番台がいつの間にかE233系の近くに来ていた。突然の事で驚いたE233系は、体のバランスを崩して尻もちをついた。なんとも情けない姿で、0番台に謝罪をする。

「す、すみません!そうするつもりはなかったんです!」

「ああうん…そうだよね。私が事情を話さなかったのが悪いんだもんね。233くんも、ごめんなさい」

 途中からやたら説明っぽい語り口になっていたのは、E233系が喧嘩を見ていたことを知っていたからだったのだ。抜け目ない先輩だと恐縮していると、0番台はE233系の目の前で顔が見えなくなるほど深く頭を下げていた。

「そ、そんな!いいですよ、頭下げなくて!」

 E233系は慌てて0番台の顔を上げるように促すが、0番台は体勢を変えようとしない。E233系は別の話題にすることで、何とか0番台の顔を上げてもらおうとした。

「それより…僕は知りたいことがあるんです」

「知りたい事?何かな?」

 E233系は尻もちの体制から、小柄な0番台に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。0番台もやっと顔を上げる。

「0番台さんは…自分が廃車されることを受け入れたんですよね。僕や、僕の姉さんがやってくる前に」

「うん」

「500番台にも…今日まで何も教えなかったんですか?」

「あー…うん。そうだね。いずれ話さないとって思っていたんだけど…」

 本来であれば、こういった話は情報共有しなければならない。同じ路線を走る仲間として最重要事項だからだ。それに……500番台は同じ209系の兄弟なのだから、尚更教える必要があった。

 E233系は責め立てないようにゆっくりと話す。

「なんで話さなかったんですか?」

 0番台は少し考える。

「…話せなかった。本当は話さなきゃいけない事なのにね」

 情けない長女だよなぁ、と自虐的に笑う0番台。軽々しい調子で言っているが、彼女なりに悩んだ結果そういった結論に至ったのだろう。だが、それでもまだ納得がいかない。

「本当に、もう走らないんですか」

「うん、走らない。でも、引退するまでは自分の役目を果たすつもりだよ。だから──」

 E233系には、私の最期を見届けてと聞こえているようだった。同時に、こんなことを認めたくないと願っている自分を、否定したくなくなってきた。今ここで聞かないと、後悔するかもしれない。0番台は戻れない道を進んでしまうかもしれない。

 そんなの、嫌だから──

 

「──本当は走りたいんじゃないんですか?」


 例えこれが自分勝手な妄想だったとしても、自らの願いを伝えたかった。

「0番台さんは本当は走りたいんじゃないかって…今まで廃車される事を秘密にしていた事だって、廃車されないために足掻いていたんじゃないかって…そう思ってしまうんです。本当に廃車を受け入れたのだとしたら、秘密にする理由なんて無いでしょう?」

「違うよ…あたしは…」

 肩を震わせる0番台。なにかに抗おうとするような瞳は、どこか悲しくも強かな本来の0番台が隠れていた。

 E233系は確信する。この人はまだ諦めていない。

「だけど、これはあくまで僕のエゴだから……本当のことを教えてください、0番台先輩。貴女は走りたいですか?」

 優しい声色で尋ねるE233系。ところが──

 

「……分からないよ」

 

 0番台は冷ややかな声でそう言うと、E233系に背を向けて歩き出した。そこにはもう放っておいてくれ、と小さな背中に見えない文字で書かれている。E233系は深追いしなかったが、やはり引っかかるものがあった。

 走りたいかどうかが分からないとは、どういう事だろうか。文字通りだけの意味ではないかもしれないが、これ以上聞く事は無いだろう。とにかく今やれる事はやった。0番台の意思が明確に分かれば、また走ってくれるかもしれない。

 209系達を完全に置き換えるまで、まだ時間はたっぷりある。この役目は、僕以外の誰かが果たしてくれるかもしれない。

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