鉄道車両の使命

 根岸線の終点、大船駅。E233系1000番台は試運転で大船に来ていた。そして、大船駅にはE233系が頼りにしている先輩がいた。所属は違うが同じ路線を走る、209系達と同じくらい──いや、彼ら以上に尊敬する人物だ。

 その人物は、ちょうど向かいのホームにいた。焦げ茶色の短髪で、リムレスメガネをかけており、黄緑と緑の帯が入ったセーターを着ている男性だ。

 

「205系先輩。こんにちは」

「こんにちは、233」

 その人物とは、横浜線の205系0番台のことであった。良識ある常識人であり、旅客車としての使命を全うしようと努めるその姿に、憧れと尊敬を抱く者が多い。無論、E233系1000番台もその一人だ。

 ちなみに、横浜線は八王子と東神奈川を結ぶ路線だが、東神奈川から京浜東北・根岸線へ直通運転をしており、大船まで乗入れている。8両編成と短いものの、地域住民には欠かせない路線網である。


 E233系は小走り気味に近づくと、軽く会釈をした。

「試運転の調子はどうだ?」

「問題ありません。デビューが待ち遠しいくらいです」

「それは頼もしいな。私も、君と共に走れる日を待ち望んでいるよ」

「あ、ありがとうございます!」

 嬉々とした表情をするE233系。憧れの人からそう言われるなんて、思いもしなかった。はやくデビューして、先輩と一緒に、たくさんの乗客を乗せて走りたい。心からそう思ったのだった。

 

 …だからこそ、209系0番台にも元気な状態でその喜びを共有したかった。

「あ、あの、先輩。お忙しい中恐縮なのですが、相談したいことがありまして…今、ご都合はよろしいでしょうか?」

「ああ、構わない。まだ出発までに時間があるからな。どうしたんだ?」

「209系先輩の事についてです。お姉さんの方の」

「ああ…京浜東北線の209系0番台か」

 E233系は、最近209系0番台の調子が悪い事について話した。工事をしてもまた別の故障が起きてしまう事、迷惑をかけていることを後ろめたく思っている事、500番台が何か事情があるかもしれないと勘づいている事…

「……なるほどな」

 205系横浜車はE233系の話を一通り聞いた。E233系は苦い顔をして続ける。

「僕は…いくら209系先輩とはいえ、ここまでの事になるとは思えないんです。まだ14年しか走っていないのに…ここまで故障が酷くなる事は有り得るんですか?」

 205系は少しの間を置いた後、話し始めた。

「結論から言うと、稀だが有り得る事だ。現にそういった車両が209系の他にもいる」

「209系以外にも?」

 それは誰なんですか?とE233系が再び尋ねる。205系横浜車は、一瞬意外そうな顔を見せながら、問いに答える。

「あ、ああ…E331系だ。君の同期で、京葉線を走っているのだが…そうか、知らなかったか」

 初耳だった。まさか自分の同期が社内にいたなんて。しかも、こんな形で耳にするとは思わなかった。

「すみません。存じ上げなくて…」

「いや、彼は特殊な立ち位置の車両だからな。知らないのも無理は無い」

 とはいえ、数少ない同期である。どこかでタイミングが合ったら、挨拶程度はしておかないといけない。

「彼は将来的な増備を見据えた車両…君たちと同じ直流一般形車両だが、それと同時に新技術を搭載し、有用性を試験するための車両でもある。君がここに来る前の3月にデビューしたのだが、今は不具合を直す為に休養しているんだ」

 えっ、と思わず驚きの声を出してしまった。

「今年デビューしたのに、休養中って…」

「試験車ゆえに、新技術が災いしたのだろうな。鉄道車両として避けて通れない事だが、休養する程になるとは……とても惜しいことだ」

 205系横浜車はメガネのブリッジを上げると、話を209系に戻した。

「209系0番台は試験車では無いが、新系列車両として新たな試みをしたという意味では、E331系と通ずるものがある。そもそも209系は、短命である事を前提に生まれた車両だ。当然寿命もそれ相応のものとなるだろう。そしてこの事を一番理解しているのは、0番台本人だ」

「そう、ですよね…」

「だからこそ、君と500番台はおかしいと思ったのだろう?延命の術があるのに、なぜか諦観している209系を」

 E233系はこくりと頷いた。

 

「恐らく209系の不調の根本的原因は、そこにあるのかもしれないな。走る為に生まれてきた我々の心に、何らかの不調が生じると、それが鉄道車両の不具合に繋がる事がある。逆もまた然りだ」

 E233系は考えるようなポージングをとると、ブツブツと呟きながら情報を整理した。

「0番台さんが故障を起こすことで、心の不調が生じる…心の不調によって、また車両故障が起きる……寿命による体の弱さが心にも影響しているとしたら…」

 完全に負のループである。それが本当だとしたら、今の209系0番台はかなり危険な状態にあるという事だ。胸がドクドクと波打つように鼓動を打ち、ネクタイを握りしめた。

 だが、活路が無い訳では無い。要は、負のループを止める方法があればいいのだ。心と体が原因なのだとしたら…とE233系は思い直す。

「でも……リニューアル工事を受けることが出来れば…あるいは0番台さんが元気になってくれたら…故障はある程度抑えられる…寿命だって延びるかもしれない……という事ですよね?」

「その通りだ」

 205系横浜車は冷静に答えた。

 リニューアル工事をするために、僕に何か出来ることはないのだろうか。でも僕は不調になる以前の0番台先輩を知らない。やはり、誰かから0番台先輩の過去を聞くべきだろうか?いや、そんなデリカシーの無いことは出来ない……E233系は209系0番台のことで頭がいっぱいになっていた。

 205系横浜車はさらに続ける。

「209の不調に心当たりがないなら、いつも通りの日常を送っていれば問題ない。233が心配そうにしていると、彼女も余計に心配するだろう」

「心当たり……」

 500番台の言葉がよぎる。


『0番台の様子がおかしいと思ったのは…お前がここに来るのが決まった時、だったような…』


 理由は分からないが、もしも僕がきっかけで0番台が不調になってしまったのだとしたら。0番台がどうなろうと、自分がここにいる以上置き換えなければいけない。いけない、けれど……

「僕がここに来なければ、0番台先輩は……」

 205系横浜車に不安な顔を見せるE233系。

 E233系は、今の0番台を置き換える事に抵抗があった。209系0番台の中にある小さな可能性を、自分の手で潰してしまうような……そんな気がしていたから。僕はただ、209系を置き換えて、京浜東北・根岸線の顔として活躍したかっただけだ。209系を傷つけるために来たわけじゃない。

 罪悪感に苛まれるE233系。すると突然、205系横浜車がE233系の肩をグッと掴む。E233系は驚いて、ピクリと動いた。

 

「君は209系を置き換えるために来たのだろう。それを疎かにして、209系に顔向けできるのか?」

 

 205系横浜車の厳しい口調と凄みがかった低い声に、E233系は怯んでしまった。

「209がどうあろうとここに来てしまったら、233はもう彼らを置き換えるしか道は無いんだ。その使命に背くという事は、209を侮辱するのと同じだ」

 205系横浜車は、E233系を傷つけない程度に力を緩める。そして、まるで父親のようにE233系を諭した。

「大丈夫だ。我々が心配しなくとも、0番台は必ず戻ってくる。彼女を信じて、気長に待っていよう。そうすればいずれ、活路を見出せるはずだ。その為にも、今は自分のやるべき事をやりなさい」

「先輩……」

 E233系は自らを猛省する。209系の後継であるというのに、その役割をやり遂げようとするどころか、先輩を言い訳にして逃げるなんて。そんなことをして、僕が京浜東北・根岸線を任される訳が無い。

 目を閉じて、深呼吸をする。そして──

「先輩、ありがとうございます。0番台先輩がどうなろうと、僕はやるべき事を成します。先輩達に、京浜東北・根岸線を任せても大丈夫だって、認められるように」

 205系横浜車は、E233系の肩に置かれた手を下ろした。そして、微笑むように優しく語りかける。

「その意気だ、E233系」

 205系横浜車はそう言うと、後ろを振り返って乗務員に呼びかけた。そろそろ出発するらしい。乗務員と次の運用について軽く打ち合わせをする205系横浜車を見て、E233系は改めて思う。

 さすが僕の憧れの人だ、と。

「私はこれで失礼する。また何か聞きたいことがあったら、いつでも待っているぞ」

「はい…ありがとうございます」

 205系横浜車はそう言うと、手をヒラヒラと振ってE233系に別れを告げた。E233系は手を振りながら205系横浜車を見送る。

「…頑張らなくちゃ」

 205系の姿が彼方へと走り去っていく。E233系はその姿が見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも、後ろ姿を見つめていた。

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