番外編:東京駅の日常録
ある昼下がりの東京駅。無線電話を取っていた乗務員が受話器を戻すと、溜息をついた。
「あっちゃー、抑止かかっちゃったよ」
ハンドル訓練の試運転中、防護無線──緊急時の二次事故を起こさないために、周囲の列車を停止させる無線信号──を拾ったE233系1000番台は、東京駅で足止めを食らっていた。先頭車両に表示されている出発時機表示器には『抑止』と表示されており、列車が一時的にその駅に止まることを意味していた。
幸いにも、防護無線が発報されたのは別の路線のものであるため、京浜東北線に支障がないことはわかっている。だが、防護無線によって止まったE233系の先行列車が、よりにもよってエアセクション区間にかかっていたため、先を走ることが出来ず、止まってしまったのであった。
エアセクションとは、変電所から送られる架線の境界の事である。この区間にパンタグラフが上がったままでいると、電位差によって架線がショートし、最悪架線が切れてしまう事がある。なので、この区間を通り抜けるには慎重な処置が必要だ。
その処置が終わるまで、E233系はホームから動くことが出来ない。しかも、試運転中であるため旅客を乗せられない。このままでは、ホームに人が溢れてしまう。
まさに八方塞がりな状況…なのだが。
「うおっ!すげー人だな!?」
隣のホームから、
「あ、
少年の名前はE231系500番台。日本一有名な電車を自称する、山手線の電車。お調子者で人見知りが激しい内弁慶な性格だが、東京の電車として相応しい最新の能力を持っている少年だ。
E233系とは試運転で何度か遭遇しており、その中で仲良くなった。友達のような接し方で、E233系はホーム上から線路内にいるE231系に話しかける。
「
「分かってるって。先輩のオレに任せときな。みんなー!そっちの水色の電車には乗れねーから、オレの電車に乗ってくれー!」
乗客達は、駅員と乗務員による放送と、E231系の呼び掛けによって、次々と車内に乗り込んでいった。多くの人に溢れていたホームは、みるみるうちに人が居なくなっていく。E231系は負荷が強くなっていくのを実感しながら、E233系に話しかけた。
「う、ホントにすげー人だな…さっきの防護のせいか?」
「ああ。防護無線を拾った先輩がエアセクションに止まって、今処置をしているんだ。それが終わるまで僕は動けないし、お客様も乗せられなくてね」
「なるほどな。ま、エアセクに止まるのはよくある事だし、あんま気にすんなよ」
E231系はドヤ顔しながら言った。専門用語を略して使いたがるような、先輩風を吹かしたいお年頃なのである。しばらくして発車メロディが流れてくると、腕をグルグルと回した。
「それに、朝ラッシュに比べたらこれくらい大した事ねーな!もっと人が居てもいいくらいだぜ!」
「さすが、山手線の電車だね」
「あったりまえだろ〜?」
自慢げに鼻を伸ばすE231系。弟らしい幼気な姿に、先輩相手でありながら、頼もしさよりも微笑ましさを感じていた。
そんな会話をしているうちに、発車メロディがなり終わり、E231系は乗客の乗降を確認しながら、車掌の指示通りに
「そんじゃーな、233!試運転頑張れよ!」
「ありがとう。231こそ、気をつけてね」
こうしてE231系はE233系に見送られながら、沢山の乗客を乗せて東京駅を発った。
さて、残されたE233系は進行の合図が出るまで、引き続き待機している。エアセクション処置はまだ終わっていないが、無線を聞く限りだと順調に進んでいるようだ。
するとここで、運転士がE233系に呼びかけた。
「E233系、エアセクションにかかった時の処置のやり方は知っているか?」
E233系は運転士の方へ振り返る。
「はい。存じています。エアセクションにかかっているパンタグラフを下ろした後、司令の指示のもと、他の電動車の動力を使ってエアセクションから脱出する…ですよね?」
「その通り。
「それって……」
「桜木町事故のようにな」
「…っ」
ピリっ、とこめかみの辺りに痛みが生じる。E233系は思わず頭を抑えてしまった。
「おっとすまん。気を悪くさせてしまったな」
一瞬の痛みと共に見えた暗闇は──
「ああ、いえ……大丈夫です。大丈夫」
桜木町事故……国鉄戦後五大事故の一つとも言われる、最悪の鉄道火災事故。E233系が担当する根岸線で起きたその事故の原因は、架線とパンタグラフの間で起きた
だが、この事故が起きたことによって、鉄道車両の客車内に非常ドアコックが設置されることが義務付けられ、非常時に乗客が脱出しやすくなった。とはいえ、安易に車両の外に出てしまうとそれはそれで危険なので、防護無線というシステムが生まれたのだが、それはまた別のお話。
戦後間もない頃に起きた桜木町事故は、現代の鉄道車両達にも教材として取り上げられており、鉄道車両なら誰もが知っている鉄道事故であった。その路線を走るE233系にとっては、知ってて当然の知識だ。
運転士は続ける。
「…といっても、戦争中に生まれた車両と、尼崎の事故から教訓を得た車両とでは、性能に雲泥の差がある。火災が起きるなんて事は無いかもしれない。だが、エアセクションに止まるという事は、そうなる可能性もあるという事だ。気をつけろよ233」
「はい。肝に銘じておきます」
E233系がそう言った後、司令から呼び出しが入り、運転士が無線電話を取った。会話の内容からして、先行列車のエアセクション処置が完了し、E233系も運転再開できるそうだ。
運転士は軽くハンドルの動作確認を行うと、姿勢を正して信号機の方を見る。信号機は進行、出発時機表示器は『抑止』から『1840』という表示にそれぞれ変わっていた。
「動作よし…そんじゃ、大船までよろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
出発時刻を迎えると、運転士はブレーキを緩解させ、ギアをいれる。E233系は力まないような走り方で、東京駅を出発したのだった。
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