第4話 仲良しの男子
私達の町へ戻る電車に揺られながらスマホに目をやると、午後四時半過ぎを示していた。目先の車窓には数時間前から大して変化のないくすんだ青空と綿飴を千切ったような雲が映っていて、夕方という実感があまりない。
依田君の調子は相変わらずだった。
「甘いものの後半戦しようぜ」とゲーセンのUFOキャッチャーで箱入りのクッキーを獲得して付近のベンチでおやつにしたり、「二人でこれやろうぜ」と私を誘って一回ずつカップ麺のストラップのガチャガチャを回したりした。
先程の私の愚問以降、依田君はまるで何も無かったかのように明るかった。
そのように振る舞っているのかもしれないけれど、合わせるべきだろうと私も楽しむことに集中した。ただ、彼よりも質問した側の私の方が少し気まずくって、これまでよりも更に自分から話し掛けることはしなかった。
「さすがに疲れたか?」
通路側の席に座る依田君が私の顔を覗き込む。おそらく話さなくなった私を気にかけているのだろうけど、疲れたと言うのも事実なので「まあ」とだけ返す。
依田君の心を開いて彼が苦しむ原因を見つけ出す。そう決めたのに、こんな調子でいいのだろうか。
というか……依田君は、私の憂鬱の原因は聞かないんだ。
などと、色々と考えていると、電車は出発地点の駅に到着した。
「家ってどこ?」
駅の改札を出た直後に依田君が聞いてくる。
「え、教えないよ?」
「別に教えたくないなら全然いいけど、一人で帰れるか?」
「馬鹿にしているの? ……あ」
ふと思ったことがあって声が漏れる。
依田君は、決して私の家を知りたがったりからかっているのではなく、もしかすると、女子の私を一人にしないように家まで送ろうとしているのかもしれない。夜ではないとはいえ、今は午後五時、空は薄暗くなっている。それどころか、車に怯えながら歩く私を悟って心配してくれている可能性もある。依田君なら有り得そうだ。そういえば、私は、彼と居る時だけは車道に近い道も落ち着いて歩くことが出来た。一人になった時の状況を想像してみると……正直、心細い。
「そんなに素っ気ない態度を取られたら、俺も無理強いはできないなー」
ニヤニヤする依田君。今のこそが私へのいじりだ。
「ごめん、いや、ごめんなさい! お願いします!」
強い不安を感じた私は、おそらく気を配ってくれたのだろうと彼に出来るだけ誠意を持って頭を下げる。
「おう、いいぞ」
腕を組む依田君がどことなく満足気で上から目線で少々腑に落ちないが、心の内にしまっておく。
「どっち?」と訊ねた依田君に家の方向を教えると、彼が車道側を歩き始めたことで行きと同じように並んで帰路につく。さりげない行動からして、やはり根は優しそうに感じる。こうして歩いていても、そばに居てくれる安心感からか通り過ぎていく乗用車にも怯えていない。
その調子のまま、時に依田君が振る話題でトークをしつつ、十五分程して近所のコンビニ前まで来た所で私は立ち止まる。
「ここでいいよ」
「りょーかい」
さっぱりと事務的な言葉を交わして別れる。そう思っていたら、依田君は続けて言った。
「楽しかったよ。また明日な」
そう、無邪気に笑いながら。まるで生涯に対する憂鬱や諦めなど無いように。
「うん……また明日」
明るい表情の依田君が気になりつつ無意識で返事をする。言い終わる前に彼は踵を返す。
もし、誰かと遊んだり寛ぐことで依田君が僅かでも生きる希望を持てるのなら、協力するのもいいかもしれない。私だって彼が強引に連れ出したお陰で楽しかったし、多少は心が軽くなった。だったら、
「また、遊びに行こうね?」
徐々に遠くなる依田君の背中に緊張しながら問い掛けると、線の細い右手が上に伸びて左右に揺れた。それに合わせて私も右手を胸の位置まで上げる。
すぐに依田君は左角を曲がり、姿が見えなくなり、改めて解散となった。
私が男子と二人きりになることなど、もう、一切無いと思っていた。恋愛は懲り懲りだから。依田君の場合は、恋愛対象ではなく友達感覚だけど。……いや。同盟、という言葉の方がしっくりきそうだ。日常に憂鬱を抱える二人の「現実逃避行」という名の同盟。だからなのか、どんなに強引で口が悪くても私は彼を拒絶しなかった。
残りの道のりを依田君について考えながら歩いていたら、近所とはいえ、一人でも落ち着いた状態で帰宅できた。
窓ガラスに灰色の空と無数の雫を描く梅雨の日の午後、私達のクラスでは、ホームルームにて一ヶ月半後に控える修学旅行のグループ決めが開かれた。生徒達で男女八人の活動班を作るとのこと。行き先は岐阜県の飛騨高山と長野県の軽井沢。派手というわけではないが、どちらも暑い夏に相応しそうな観光スポットだ。
「やっぱり、ウチらは安定でしょ〜」
「即決だよね。私達の班が一番早かったし」
由実と千紘の声に私と愛華が共感の相槌を入れる。私の班は、いつも一緒に固まる女子四人と、由実の彼氏を含める男子四人が集結したことで早い内に成立した。
「よろしく男子ー」
と、千紘に声を掛けられた男子達は「おう」「よろー」と返したり会釈したりと軽めの挨拶をした。このように、男子四人は、個人的にクールもしくは女子慣れしていない印象だ。由実の彼氏は前者だろうけど。
「桐沢さん、よろしくね」
不意に後ろから穏やかな声音で話し掛けられて振り返ると、中肉中背だけれど清潔感のある黒髪と服装、そしてやさしく包み込むような大きな垂れ目が特徴の男子が立っていた。
クラスメイトだが会話をしたことがないので、初対面の挨拶を兼ねて声を掛けてくれたのだろう。
「うん。よろしくね。藤川君」
私も同じように挨拶をするも声に緊張が乗った。一緒のクラスになって二ヶ月が経過してから改まったせいで、気恥ずかしい。
それ以降は会話が続かずただ見つめ合っていると、気まずくなって互いに目を逸らした。
「も〜、二人とも、焦ったい!」
「わっ。ビックリしたぁ……」
いきなり背後から私の肩に両腕を回し楽しげな表情を覗かせる愛華に体が驚く。藤川君とのやり取りに第三者からツッコミを入れられると余計に恥ずかしくなる。
私と藤川君は、この日をきっかけによく話す関係になった。
「おはよう、桐沢さん」
翌朝。登校して教室に入ると、席へ向かう途中で通りすがった藤川君が私に挨拶をする。
「藤川君。おはよう」
「ねえ、飛騨高山のこのプリン、すごく良くない?」
「プリン? ──わ、ほんとだ! かわいいぃ!」
藤川君がこちらに向けたスマホ画面には色とりどりの美しいプリンの写真が映っていて、思わず目を奪われる。
どちらかの挨拶の流れから藤川君が何気ない会話に繋ぎ、それなりに盛り上がる。これが私達の中でルーティン化していた。同じ班で時期が近いこともあり、話題はほとんど修学旅行についてだけど、穏やかな性格の彼とは波長が合っている気がした。
ある日の化学の授業後、日直の業務として備品が入った段ボールを化学室へ運んでいる時には。
「貸して?」
ふらふらと危うそうな私を見兼ねたのか、こちらに来た藤川君がそう言って段ボールの両端に手を添える。「えっ」と声が零れるだけで返事に迷っていると、受け取ろうとする彼の手に力が強まったので思わず預けてしまう。余裕そうに支える彼が私の目に頼もしく映る。
「これ、化学室に運ぶんだっけ?」
「うん。ありがとう。お礼に自販機でジュースを奢るよ」
「これぐらいのこと、全然気にしなくていいよ」
藤川君はおおらかに笑って言った。目を細めた柔和な笑顔が、なんとなく好きだな、と思った。
「でも、私だけ良くしてもらうのもちょっと複雑だし」
「桐沢さんがそこまで言うなら。お言葉に甘えて」
そのような会話をしながら二人で化学室へ行って藤川君が段ボールを棚の高い位置に仕舞うと、そのまま校庭前の階段に設置された自販機へ赴いた。
「さ、何でもいいよ」
白の自販機に向かって手を伸ばしてみせると、藤川君がこう言った。
「いや、ここはあえて桐沢さんが選んでくれない? おすすめ」
「えっ?」
想定していない返事に口から間の抜けた声が漏れる。
こういう場合、何と答えるのが最適なのか考えてみる。しかし、それは一瞬のことで、私は財布から小銭を出して投入口に入れると、
「じゃあー、このキャラメルラテにしよ!」
そう言って、人差し指でキャラメルラテの購入ボタンを押す。ピ、と私の今の気分に似たご機嫌な音を鳴らして落下する缶を取り出すと、蒸し暑い六月に嬉しいキンキンの温度が手に伝わった。ただただ本当に自分好みの物をチョイスした。
普段なら、無難でまともな回答を選ぼうともっと悩む時間を要したはずだけど、
「おお、桐沢さんっぽい感じがする」
「ねぇー。テキトーなこと言ってない?」
「言ってない言ってない。カフェラテみたいな甘いのって久々に飲むな〜」
すぐに顔色を気にすることなんてやめて、思うままに楽しんでいる。この時、私は彼に心を許しているのだと気づいた。
藤川君との時間は、男子とほとんど絡むことがなかった私には新鮮な体験だし、草食系のビジュアルが目の保養にもなるし、何より一緒に居ると心が落ち着いて自然と笑っていられた。
藤川君と初めて話したホームルームから約一ヶ月が経った日の下校時間。愛華達と予定が合わず一人で帰路についている時に五十メートル先で歩く藤川君の姿を見つける。
「藤川君っ」
私は無意識で彼の場所へ走り寄った。振り向いた藤川君は一瞬目を丸くすると無理をしたような微笑を浮かべた。元気がなさそうに感じて少し心配になる。
「桐沢さんも、帰り道、同じ方向だったんだね」
「ね? 何気に今の今まで知らなかったよー」
藤川君を元気付けるよう普段以上に明るく振る舞ってみせる。
そのまま藤川君の隣に並ぶと二人で下校することになった。いつもみたいに彼から何か話題を振ってくるのか待っていたが一分ほど沈黙が流れたので、少し気まずくなって私から話し掛けてみる。
「藤川君は、家までどのくらい掛かるの?」
「徒歩で三十分だね」
「え〜、結構遠い!」
「ははは。まあ、もう慣れたかな」
「あはは、そうだよねぇ」
お互い感情が乏しい笑い声を出すと再び無言の時間に入る。
ダメだ。気まずい。そもそも、内気な私から話題を提供して会話を持続させることなんて難易度が高すぎる。
やはり、思い過ごしじゃなく、今日の藤川君は普段よりも口数が少なくて暗い。このままだと私の心も持たなそうだし、ただ単純に元気になってもらいたいし、藤川君の力になりたい。
信号待ちで足が止まった時、緊張しながらも彼を見つめて声を掛ける。
「何かあった?」
「えっ?」
予測していなかったからか少しびっくりしながら振り向く藤川君と目が合う。
「なんだか、浮かない様子だったから気になって」
「ああー……ちょっと、悩み事?」
藤川君は照れくさそうに目を逸らして答える。そうして、藤川君がよければ程度の気持ちで内容を聞き出そうとした時、彼の方が僅かに早く口を開いた。
「友達から相談された話だけど、付き合っている彼女よりも学校の勉強を何度か優先していたら、ある時に彼女にすごく怒られたらしくてね」
「そうなんだ……」
要するに、藤川君は友達の恋愛相談に頭を悩ませていたそうだ。藤川君らしいけれど、すごく友達思いで優しい。
横長の信号機が青に変わり、歩き出しながら彼に訊ねる。
「その友達は、彼女さんと喧嘩中ってこと?」
「謝ったから喧嘩にはならなかったんだけど、それ以降、友達は彼女から距離を置いてしまっているそうなんだ。元々、彼女の方が電話やチャットの頻度が高くて返事が遅いと不安になるタイプで、最近ではそれがエスカレートしているとか……。はあぁ、分からない。どう彼女と向き合うのが一番なのかな」
まるで自分のことのように事細かに話し、比喩的にも物理的にも頭を抱える藤川君。やっぱり、どうにかして私が藤川君の心を楽にしてあげたい。
「藤川君、優しいよ。友達の為にそこまで悩めるの、素敵だと思う」
「ごめん……。桐沢さんにそんなこと言わせて」
「無理して言っているんじゃないよ。確かに慰めたくて言葉にしたけど、本当のことだから」
歩く速度を落としながら、藤川君の背中をそっと触れるように叩く。それでもなぜか変わらずに「ごめん」と呟く彼に、何度も。がっちりした大きな背中も今だけは繊細で守ってあげたくなるように感じた。
……この時、私は気づいた。藤川君に恋をしている、ということに。
「私個人の意見だけど、彼女さんとは別れた方がいいかもね」
「うん……。そうだね」
そして、この下校時間が実はとんでもない展開に繋がっていることなど、当時の私は知る由もなかった。
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