8.蒼白の妖、球面の怪物

 柔らかな風が頬を撫でる。ヒトの息遣いを感じる。舗装された道路、建ち並ぶ瓦葺きの家々。遠くに朱と灰の大きな建物が見える。

 気候は過ごしやすいくらいだと思う。空はどこまでも高く、青い。


「さあて、奴らは……あぁ、来た来た。」


 老婆の声につられてその視線の先を見れば、仮面の二人組が早足で近づいてきていた。それぞれ模様の違う仮面を付け、揃いの丈の長い白い服を着ている。互いの歩様は全く同じだ。無機質で機械的な感じがする。

 十分に近づいてから、二人組のどちらか一方が老婆へと声をかけた。多分、背の高い方だ。声は篭っていて、中性的。


「櫻木殿、お手数をおかけしました。早速ですが、彼女が今回の護送対象でしょうか。」

「その通り、迷い人だよ。」

「やはり、そうでしたか。」

「性悪眼鏡の所に連れて行くんだろ? 大変だねぇ、あんなのにこき使われて。」

「…いえ。」

「フン、ストレス溜めても良いことないよ。どうせ聞いちゃいないんだ、悪口言ってやろうじゃないか。」

「……結構です。」

「全く、相変わらず真面目だねぇ。山羊どもを見習えとまでは言わないが、もう少し砕けていたっていいんじゃないかい? その方が印象もいいだろ。」


 ああ、でも、思ったほど無機質ではないのかもしれない。中身はヒトだろう。対応に困っているようだ。平静を保ち事務的に会話を行おうとする様はどこか滑稽ですらある。

 そんな風に適当なことを考えていると、二人組のもう片割れ、話しているのとは別の方が私に話しかけてきた。こちらも中性的な声で、でも少し高い。


「ね、君、こちらに来てくれるかな?」


 ちらりと老婆を見る……こちらを向いて、にっこり。ああ、なるほど、つまり、行けということか。


「ええ、はい。」

「うふふ、君は素直な子なのね。はい、お手手繋いで。」


 差し出された手を掴む。滑らかで、それでいて吸い付くような手触り。きっと上質な手袋をしているのだろう。


「じゃあ、行こうか。」

「分かりました。あの、ええと、お婆さん。ありがとうございました。」

「あん? ああ、気にしなさんな。仕事だからね。あんたこそ、頑張るんだよ。」


 軽く手を引かれる。行く先には装甲車、大きく“月華中央研究所”の文字が書いてある。


「…研究……」

「そうだよ。そこであなたの検査をするの。どこか悪いところがないかとか、治療が必要なら、治療も。」

「そうですか…」

「心配しないで。」


 車に乗り込む。消毒と、少し血の甘い匂いがする。


「あなたの安全は私達が保証する。」


 くらり、と慣性がかかった。かたかたと微かな振動が伝わってくる。車が走り出したのだろう。後はなるようになれ、だ。


……………………………………………


 白い壁に乳白の床、それらを照らす自然光に近い光。画一な設備とは裏腹に、廊下を行き交う清潔な白衣の人々は千差万別だ。耳が鋭かったり、角が生えていたり、翼があったり、何かに取り憑かれたような者もいる。一部はヒトなのかすらも怪しい。

 ここは月華中央研究所。きっとその筈だ。残念ながら確認は取れていない。

 どうして確認をしていないのかって? 理由は単純、誘導や指示以外では誰とも会話をしなかったからである。くれぐれも勘違いをしないでほしいが、これは私が陰気な性根をしているからだとか、そういう個人的な理由によるものではない。ここに着くなりひん剥かれて何か大掛かりな機械などで検査を受けさせられたので、そんな事を聞く余裕などなかったのだ。

 とはいえ、それはしばらく前までの話で、今は暇だ。ならばなぜ確認をしないのかと疑問に思う者もあるかもしれないが、それはこの部屋には私しかいないからである。だから確認のしようもない。検査が終わった時に新しい清潔な服を貰って、着方を教わり、今いる部屋に連れて来られて待機しろと指示された。一人で。暇だ。ひたすらに暇だ。

 監視カメラに愛嬌を振り撒くのにはもう飽きてしまった。今は丸椅子に座って足をぶらぶらさせながら、いるとも思えない思考盗聴者に現状説明をしている。暇だ。

 そんな時、ふと扉の外に気配を感じた。目が冴える、体が少し強張る。部屋の中に入ろうとしている人物がいると直感した。きっと私の待ち人だろうが、何だか嫌な気配――


ガチャリ

「いやあ待たせて悪いね。チョット角で女子高生とぶつかっちゃって……どうしたんだいそんな……固まっちゃって。」


 ――駄目だ。見てはならない。嫌なものだ。

 私は目を逸らした。それなのに、歪んだ視界の端に映る。映ってしまう。何だ、何なのだ、あれは。目に映ったそれは、ヒトだ。違う。違うんだ。そんなわけない。心拍数が跳ね上がっている。どうやら私は無表情を装えていないらしい。


「……い、いきなりだったから……び、びっくりしちゃったんです。」

「そっか。ノックすれば良かったか。」


 喉がひりひりする。目を合わせたくない。それなのに、ああ、それなのに! 視線が持っていかれる。気を抜くと直視しそうになる。

 ヒトを装ったような、彼が、近づいてくる。重心の移動、身体の動き、ヒトのものだ。嘘だ。そんなわけない。そんなわけがない。

 耳元にぬるい息が当たる。ヒトの体温だ。そして、囁きを一つ。


「君、えるあって言うんだね。可愛いね。」

「…っす。」


 背筋がぞくりとして、頰が引きつる。暗い快感が昇っていく。やっぱりヒトじゃないじゃあないか……嘘吐きめ。


「……怯えなくてもいいのに……」

「お、怯えてるだなんてそんな、ちょっと、緊張してるだけっすよ。」

「……ああ、成程ね。随分と勘のいい仔だ……ンン、ごめん、怖かったよね。」


 ふと、いきなり、空気が変わった。嫌な感じがなくなった。劇的な変化だ。もう見てもいいと感じている。さっきまであんなに恐ろしかったものが? ありえないとも思う。しかし……逃げられる状況ではない。選択肢はない。

 逸らしていた目を彼に向けた。ぐるぐるお目目に丸メガネ。ぼさぼさの金髪。白衣。鍵のペンダント。顔立ちは整っていて、童顔で、猫背。きっと欺瞞に満ちているだろう。その気配とは裏腹に、見た目には十歳前後にすら見える。


「貴方は…何者ですか?」

「え? アァ、僕はねえ、ここ月華中央研究所の所長をやってる外津神 夜狗よるく。よろしく。君を地上に連れてきた千景と京萬は僕の弟妹になるね。もっとも、あの子らは養子……イヤ、関係無いか。それは。」


 彼の言葉を信頼するのなら、ここはやはり月華中央研究所で間違いないようだった。そして、彼は予想外なことに千景さんと京萬さんの兄であると自称している。見た目では二人の方が歳上に見えるが……まあそういうこともあるだろう。


「そんな事より、今話すべきは君の事さ。検査結果にはもう目を通させてもらったよ。」

「…っす。」

「体調は概ね良好で、申告してくれた手首の怪我もすっかり治ってる。視界の歪みは……肉体的な物じゃないよ。魔力の左右差が大きいから、それが何か悪さしてるんだろうね。今すぐにどうこうはできないかな。」

「まりょく…?」

「オヤ、知らないか。魔力っていうのは、ざっくり言うと…マナの働きによって生まれる力の事さ。」


 魔力に、マナ。今までに聞いたことのないものだ。


「それでね、君は丁度そのマナについて問題を抱えているんだ。」

「…問題? それは、一体どんな?」

「足りてないの。」


 軽い口調。


「致命的なまでにマナが足りてないんだよ。このままなら、すぐに死んじゃうよ?」


 軽い口調、世間話でもするかのような気軽さ、そして、確かな確信。それらをもってして、彼はにやにやと私の死を予言していた。

 驚きと、困惑と、それから、よく分からない感覚とが私の体を駆け巡った。どきどきと眩むように拍動が強まって、呼吸が荒くなる。彼の言葉には説得力があった。どうしようもなく。

 私は項垂れて呟いた。返答を期待したものではなかった。


「どうして…?」


 しかし、返答はあった。


「…そうだなぁ……君はね、分かっているかもしれないけど、スポーナーって呼ばれている存在なんだよ。」

「スポーナー?」

「そう、古くは半人半妖と呼ばれていた、突然変異的に人の姿を獲得した妖の事さ。」

「妖……」

「君はPaleのスポーナーだね。Paleは、本来はダンジョンの深層部付近に居るものなんだ。イヤ、そこにしか居られないと言うべきかな……他の場所ではマナ濃度が足りなくてそのうちに死んでしまう。肉体が劣化しなくて能力も高い代償かな、ハイエンド種の中でも特にマナを必要とする種族なのさ。」


 ほとんどが知らない情報で、それが正しいものかはわからない。


「そこでだ、君が取れる選択肢は三つある。」

「三つ…」

「そう。三つさ。一つ目は、このまま何もせずに死ぬ事。これは……アア、嫌か。そうだよね、君たちは死を怖がるから。じゃあ、二つ目。ダンジョン深層部で生きる事。これは……所員ができるだけサポートするけど、危険も多い。あんまりおすすめしないかな。三つ目、地上でマナ濃度を高く保った部屋で生きる事。おすすめ。外には出られないけど、望みのものをなんでも用意してあげられる。何より、安全だ。」


 しかし、どうだろう。彼の言葉の、何が正しく、何が間違っているかを指摘するすべを私は持っていないから、だからこそ彼を信じるべきではないだろうか。

 そう考えるのなら……私にとって、死は最も避けたいと考えているものの一つで、孤独と危険もまた一段劣るとはいえ避けたいものだ。だから、きっと三つ目の選択肢が最良の選択だ。そうだ、きっと。


「…三つ目で、お願いします。」

「分かったよ。……ああ、ごめん。今日は実験室で我慢してもらってもいいかな? 明日には部屋を用意するからさ。」

「分かりました。」

「うん……いい仔だ。」


 含みのある言い方。からかっているのか、挑発しているのか、あるいは試しているようにも見える。何にせよ、私にはもうどうしようもなくて、流れに身を任せるしかないのだろう。



 →



「フ、フフ、フフン…ラ、ラ、ラ」


 月華中央研究所所長、外津神 夜狗は上機嫌だった。人目を憚らずに鼻歌を歌って、所員に奇異の目で見られるのを気にしないくらいに。

 それは“隕石”の捜索中だった彼の弟妹が帰還し、ハイエンド種のスポーナーを連れ帰って来た事に起因していた。スポーナー、特にハイエンド種のものは極めて稀少で、オークションなどに出品されれば想像を絶する値段で取引される。そんなものが端金で手に入ったのだから、気分も良くなろうというものだ。

 誤算は一つだけだった。彼女が転生者だったことだ。生まれついての上位者である夜狗は一目でそれに気が付いた。とはいえ、会話の内で特に言及するでもなかったのだが。

 ある意味では予想が当たっていたとも言えるのかもしれない。だからこそ、彼は彼女こそが捜索対象の“隕石”の正体であると断定し、彼女の引渡しを以って依頼を完遂したとみなしたのだ。


『所長、実験室にえるあちゃんを収容しました。』

「りょうかーい。じゃあ、建築班が第九居住棟の改築してるから、完了次第そっちに移動ね。暫くは優しくしてあげてよ? 死なれちゃ困るんだからさ。」

『言われんでもそんくらいやるわ。』

「だ〜よ〜ね〜。」


 彼は部下からの無線に応えつつ、突発的に手に入ったお宝を今後どのように扱うかを考えていた。


(どうしようかな、浮かれちゃって何にも考えて無かったよ……手荒な実験するワケにもいかないしなぁ……やり過ぎると怒られるし……どうして原種は強いくせにスポーナーになると途端に脆いんだよハイエンド。……マア、暫く飼ってから考えれば良いかな。)


 端的に言うと、彼は性格が悪かった。



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