6.挙げる名乗りは済し崩し

 §D2.1


 夢を、見ていた。


『ねぇ、大丈夫だよね? ニーナちゃんは……戻って来れるんだよね?』


 昔の、夢を。


『エルの嘘吐き! みんな、みんな戻って来ないじゃない! ニーナも、ニーハも、ニックも、ニニレも、他の、みんなも…』


 嘘を吐いた訳じゃない。ただ、勘違いするように仕向けていただけ。それでも、泣き崩れるニニィを見ていると、胸が苦しくなった。


『…エ、ル。私私私は…今度ここここここそみん、なと会える会えのかななな? 会いたたい、なぁ…。今度こ、そ、みんななで、お茶会し茶会しようよ。』


 次に見たのは、異形と成り果てた、悍ましい姿。忌まわしき、親愛なる気色悪い博士ゴミどもの手による、数多の人体実験の憐れな被験体。何人も見送った。……いつだって裏切った。


『だから、さ。』


 だから、なんだ? ニニィはこの時……こんな愚か者に……なんと言った?


『だから――


……………………………………………


 ――泣かないで?』

「……!」

びくっ

「ぅあ…、…?」


 なに、何? 体が跳ねた。何故だ? 状況が飲み込めない。私は、私は……


のそり


 身を起こし、周りを見る。建物だ、建物の……屋上だ。どこだ、なぜだ。どうしてここに? 寝惚けた頭が記憶を辿る。


「わた、し……は……」


 ずっと遠く、ぼやけて曖昧な空の裂け目に白けた藍色が見える。薄暗く、清々しい空気が霧を晴らしていく。


「あぁ……そうだ……」


 空を眺めていくばくか経っただろう。なぜこの場所にいるのか、なぜ眠っていたのか、段々と思い出してきた。


「千景さんと………女のヒト……」


 ……辺りにヒトの気配はない。勿論、二人の気配もない。こういうときに嫌な想像をしてしまうのは性分だろうか。朧げな記憶は答えを示さない。


「……はぁ〜……図々しい、気色悪いっすよ。……捨てられた、なんてそんな。拾われてもいないんすから……」


 身の程を弁えろ。私に拾われるだけの価値はないだろう?


「……ふっ、くぁぁ……」


 しょうがないので体を伸ばした。ぐぐぐと上体が反り返り、少し声が漏れる。

 見覚えのない柔らかい毛布が肩からずり落ちた。


「……?」


 寝ぼけていて気づかなかったが、私はぶかぶかの貫頭衣を着ていた。それだけではなく、手首には見覚えのない包帯が巻かれていて、どうやら眠っている間に処置を受けていたらしい。


「わざわざこんなこと……」


 物好きなヒトたちだったということだろうか? 手首の痛みはなくなっていた。少々動かしづらいが、まあ問題はないだろう。

 寝てしまう前に着ていた皮はどこにあるのだろう。二人が持ち去ったのならば仕方がないが、そうでないのならば回収しておきたい。


 しかし、辺りを見回してもそれらしき影は見当たらなかった。


「屋上には……ないっすね……」


 階下だろうか。もうこれ以上ここにいても仕方がないだろうな。


……………………………………………


 階段を降りていくつかの部屋を漁っていると、不意にヒトの気配を感じた。程なくして、下から二人分の靴音と話し声が聞こえてきた。


「もう着くけどよ……それで、結局どうすんだ? あいつ、こっちの判断に任せるとか言って逃げやがった。」

「そうですね……私は連れて帰りたいです。あんなに可愛い子を放っておくなんてできませんからね。」

「……そうか……まあ、それでもいいとは思うが……」

「何か不満で?」

「いや……まだ“隕石”を見つけたわけじゃないだろ? それに、あの子が着てたボロ切れはPaleの生皮なんだってよ。どこで手に入れたんだか。」

「“隕石”はもう一回降りればよいだけ。あの子の話は後で聞けばよいでしょう?」

「……そうだなぁ。」


 あの二人の声だ。まさか戻って来るとは思わなかった……それに、自惚れでなければ私をどうするかの話し合いをしているようだ。


「あの子はまだ眠っているでしょうか?」

「……どうだろな。そろそろ起きててもおかしくないんじゃないか?」


 ……もしかすると、二人は私がまだ眠っているのだと思っているのかもしれない。とすると、無断で屋上から離れてしまったのは軽率な行動だったのではないだろうか? 咎められるのではないか…?

 私は考えながら階段の方へ歩く。

 それでは、どうしよう。階段を降りて正直に話すべきだろうか。それとも……いや、戻って寝たふりをする時間はなさそうだ。


「……あら?」

「ほら、起きてた。」

「あ、あはは……おはようございます。」

「ええ! おはようございます♪ よく眠れましたか?」

「ええ、まぁ……」

「まあ! それは良かったです。あなたはこれから私達と一緒に地上に行くのですよ。」

「ぅえ?!」

「長く歩くことになります。きっと良いもの用意しますから、頑張って下さいね。」


 咎められることはなさそうだった。しかし、どうやら白服の女にとって私を連れ帰ることは決定事項らしい。好意的だが、強引だ。物好きなヒトなのはもう疑いようがない。

 まぁ、私としても都合の良い話だ。断る理由なんてない。それに、ここで断りでもしたらその後どうなるか分からない。せっかくヒトがいる所まで連れて行ってもらえるというのに、そのチャンスを逃すなんて真似はしたくない。


「が、がんばるっす。」

「うふふ。まずは、朝ごはんにしましょうか。昨日のご飯は美味しかったですか?」

「え、何の話すか…?」

「あら?」


 会話が食い違っている。昨日のご飯とは何だろうか。記憶には無い。何の話か分からない。


「覚えてるわけねぇだろ。寝てたんだから。」

「で、でも! お口に入れれば食べてくれました!」

「ままごとかよ……。はぁ……帰ったら説教だな。」

「んなっ! どうして…」

「チッ……こっちの脳みそまで腐りそうだ……おい。」

「ふぁ?!」


 覚えていなくて当然だった。白服は独特な感性をしているようで、千景さんは呆れているようだった。そのまま、流れるように私へと声をかけてきて、私はびっくりした。

 千景さんは声を潜めて喋っている。


「は、はひっ。何でしょうか?」

「緊張すんな。敬語もいい。」

「わ、わかったっす。」

「……」

「…くせ、なんすよ?」

「…そうか。……なあ、お前……俺たちに着いてくるってので、本当にいいのか? あいつは強引だから……」

「構わないっす。行くあてもないんすから、これを逃したらきっと私は野垂れ死ぬことになるんすよ。ひとりは悲しいっすからね、私はそれに耐えられないんす。」


 私の言葉を聞いて、千景さんは難しい顔をして黙ってしまった。そんなにおかしなことを言っただろうか。そうは思えないが…。


「……朝メシにしよう。」

「ぅえ? 私おいしくないっすよ。多分。」

「ちっげーよ! はぁ……屋上に行くぞ。」

「っす。」

「……なんでわたしが怒られなくちゃ……」ぶつぶつぶつ……

「おい、行くぞ。」

「えっ、ああ、待ってください!」


 千景さんが階段を登り始めたので私もそれに続いた。白服は声をかけられてやっと階段を登り始めた。とろい。

 白服が私に追いついて、にこやかに話しかけてくる。


「ねえ、貴女。お名前は何ですか? 昨日聞きそびれてしまいましたからね。」

「なまえ……。お姉さんは、なんて言うんすか?」

「あら、名乗っていませんでしたか。京萬みやまです。外津神 そとつかみ京萬みやま、それが私の名前です。」

「そうなんすか。私の名前は………え――」


 …何だっただろうか、私の名前は。私は、何と呼ばれていた? 例えば、闇月……いいや、違う。私ではないのだ。それは。ただ覚えているだけ、それだけだ。私ではない。██なんて、私の事ではない。そうか、だからか。最初に起きた時も――


「えるあ? 貴女は、えるあと言うのですか?」

「…? ……いや、どうすかね……」

「可愛いお名前ですね♡」

「……そっすか、ありがとっす。京萬さん。」

「むふふ。」


 えるあ、か。そうだな、言われてみれば、何だかそんな響きの呼び名だったような気もする。考えていても仕方がない。どうせ思い出せないのだ、そう名乗っても差し支えあるまいよ。


「私の名前は、えるあっす。」


……………………………………………


 屋上に上がってすぐ、千景さんがどこからともなく鍋を取り出した。そして、くすんだ銀色の袋の中身を注ぎ、虚空から現れた火を使ってそれを煮詰め始めた。


ぐつぐつぐつぐつ……


 私の前で煮えている料理は、一体何なのだろう。

 分かっているのは、二人がこの料理を“インスタント”と呼んでいると言うことぐらいだった。二人の言いかたからして、あまり上等なものではないような、そんな感じがする。

 しかし、私の目にはご馳走と呼んで差し支えないように写っていた。

 それに、ここに来て初めてのまともな食事がこんなご馳走で嬉しくもある。


「すみませんねぇ、えるあ。本当はもっと良いものにしたかったのですが、チカがインスタントのものにしてしまいました。今回は我慢してください。」

「……インスタント、ってそんなによくないんすか…? 私には、そうは見えないっすけど。」

「う……悪いものではないですよ。」

「…?」


 何とも歯切れの悪い返事だ。


「まあ、これはそこそこ上等だよ。インスタントの中ではな。そいつが言ってんのは高級料亭で出てくるような料理だ、探索中には食えねぇよ。」

「へぇー……そうなんすか。」

「……地上に出たら、食いに行こうな。」

「?」


 その後、私たちは“インスタント”を食べた。

 個人的には、二人の言動とは裏腹にかなり美味しいものだったと思う。

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