5.ゆらりと軽煙行方はそちら


 ずしゃり、と。


 パイプが獣を貫く。


「ギャァッ?!」


 苦悶の声がした。良い手応えだった。思いがけず口角が上がる。

 何ということだろうか。獣はこの反撃を想定していなかったらしい。馬鹿め!


ぶつり

「――っ!」


 そう思うのも束の間。手首に千切れるような痛みが走った。

 ……状況が見えていないのはこちらも同じというわけだ。


「バカは私かもしれねえっすね?」


 大きな速度差の、その負荷が一点に集中して手首にかかったせいだろう。

 結果論だが、さっきの攻撃は避けられた。避けて、背中にズドン!バックスタブ それで良かったのに……。


「ギャッ! ア゛ッ! キュゥゥゥ……」


 幸いなことに、獣は動きを弱めている。うねうねともがいてはいるが、致命的とは感じられない。


 このまま串刺しにしておいて弱るまで待つのが、現状では一番確実で堅実なやり方だろう。

 ……もちろん、それは手首の痛みがなければの話だ。長期戦は無理だから、このまま反撃させず、可能な限り早くとどめを刺したい。刺したいのだが……

 正直なところ短期決戦も勝ち目が薄い。怪我のせいで。

 逃げるにしたって、獣は獲物を諦める気はなさそうだ。


「グルァァ…」

「ひゃっ! やめ、くっ…押し返すんじゃあない!」


 どうにもならない。だから、今、やるしかない。


「ふっ…らぁっ!」

「グギャッ…!」

ぐしょっブシャァ!


 獣を蹴って、その勢いのままに獣の体からパイプを引き抜く。ずるりと内臓が引き出され、血液が視界を埋め尽くした。

 構うことはない。前進する。


「ギャァァァ!」

「ふんっ!」

バキッ

「ギャッ」


 獣の側頭部にパイプをフルスイングした。またも良い手応えだ。獣は地面に倒れたようだった。


バキャッ

「グァッ」

ぐしょっ

「アッ」

ぐちゃっ

べちゃっ

からん

からっ

「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ……」


 私は倒れた獣に追い討ちをかけた。頭を殴って、殴って、殴って……しばらくして、獣は動かなくなった。


「はぁ……いたた……」


 ああ、手首がひどく痛む。あまりに痛いから、思わずパイプから手を離してしまった。


「…ぅ…」

かららん

「いひひひ……」


 手に力を入れられない。地に落ちたパイプを拾い上げることも、持つこともできない。


「……誰か、親切なヒトはいないっすかねぇ……手首を治療してくれる親切なヒト。」


 ……まあ、こんな不審者をわざわざ治療するような変人はむしろ安心できないかもしれないけれども。


「……考えてても仕方ないっすね……」


 話のできる人に出会いたいものだ。


「お腹空いたっす……」


 とりあえず、ここから離れよう。かなり消耗してしまったし、何よりあの獣は食べる気になれない。


「…んー……あっち。」


 私は先ほど逃げていた進行方向に向けて歩き始めた。


……………………………………………


 しばらく歩くと、また大通りに出た。似たような建物が多いが、さっきの通りとは違う場所だろう。植物が明らかに多いから。


「……戦闘痕っすね……まだ新しい。」


 そこかしこに新しい戦闘痕が見られる。つまり、ここには最近ヒトが来た可能性があるという事だ。

 もしそうならまだ近くにいるかもしれない。この機を逃せばもうヒトに会えるかはわからない。


「どこに…?」


 私は辺りを見回した。

 少し離れた建物の屋上から煙が上がっているのが見える。黒煙ではなく、白く軽い煙だ。戦闘によるものではない気がする。だとすれば、炊事の煙だろうか?

 まあ、そんな細かい事はどうでも良い。まずは話のできるヒトに会えれば万々歳だ。

 煙を目指して歩くことにしよう。


 立ち去ってしまうかもしれないと思うと、自然に早足になって、足元が疎かになる。

 木の根につまづいた。


がつん

「うお、ああ! もう。ここは自然が豊かっすね?」


 思った事が口から漏れる。皮肉とも言えるが。

 この辺りは植物が多かった。もはや街が森に呑み込まれていると言ってしまっても良いかもしれない。少なくとも、私は今までこんなに活力に溢れた場所に来たことはなかった。

 ……と、思う。なにぶん記憶が曖昧なので、思い出せないだけでこのような場所にも来ていたのかもしれない。

 つまり何が言いたいかというと、ここは歩きづらい土地だということだ。


「……? …あれ……この建物っすかね…?」


 そんなことを考えているうちに、目的の建物に着いたようだった。気づけて良かった、危うく通り過ぎるところだった。


「やっぱりヒトが来てるっすね。」


 建物の入り口だろう場所に生えている植物が全て切り払われている。切り口からして、切られてからあまり時間は経っていないようだ。


「ここにいるのが、話ができるヒトなら良いんすけど…」


 私は建物に足を踏み入れた。

 生活感はとうに失われ、壁面を食い破った植物たちが天井の穴から光を浴びている。それ以外にはおおむね崩れた箇所も見られない。見える範囲だと、左側の壁くらいだろう。そこだけが大きく崩れ、その奥に階段が見えていた。


「足場は安定してるっすね…」


 階段を登る。ここが何の建物だったのかは分からないが、踊り場で折り返すたびに見慣れた数字が階数を示している。


「ごぉ……ろ…く…じゃない、あーるだ。」


 最上階だ。扉はなく、壁に四角い穴が空いている。それしかない。

 屋上に誰かいるだろうか? 極力怪しまれるようなことはしたくない。とりあえず、声を挙げてみようか。


「…あの〜……どなたか……!」


 声を挙げた、次の瞬間。首に冷たく薄い物が触れていた。押し潰されそうなほどに威圧的な気配がする。なるほど、ここにいたのは思った以上に危険な人物だったのかもしれない。


「所属と数を言え。」


 落ち着き払った男の声。嘘をつく必要はないの。正直に答える。


「ひ、ひとり……」

「…所属は?」


 困った質問だな、どう答えようか。無所属ではなく、把握していないと答えれば良いだろうか?


「は、把握していない…です……」

「何? ハアクシテイナイ……聞いたことがないグループだ…」

「ち、ちが」


 …模範解答は、何だったのだろう。どう答えれば良かった?


チャキ…

「勝手に喋っていいと誰が言った?」

びくり

「ひ、ご、ごめんなさい。」

「まあいい……言ってみろ。」


 いつ殺されるか分からないというのは怖いものだ。彼が短気でなくて良かった。


「その…覚えていないのです……私がどこの誰か…分からないのです。」

「……へぇ……そうか…どうやら嘘じゃないみたいだな。敵対の意思もなさそうだ……」

カチャリ


 首筋の冷たい物が離れ、威圧感も霧散した。背後から黒い服装の人物が回り込んできて、私の顔を覗き込む。整った顔立ちに、軽薄な笑み。その長身と同じほどの大きな鎌を携え、気楽な様子でこちらを見ている。


「こ、殺さない…?」

「変な気を起こさなきゃ、な。」


 ひとまずは安心できる返答だろう。

 返答の後に長身の黒服は屋上に出ていった。着いて行って良いものだろうか。

 ……ああ、戻ってきた。


「来ないのか? お前もこっちに来いよ。わざわざ声を挙げてんだ、目的は俺たちに会うことだろ?」

「え、ぁ……」

「なんだ、違うのか?」

「ち、違わないです!」


 黒服に付いて歩く。しかし、先ほどの反応が嘘のようだ。もしかしたらあれはこの辺りの標準的な挨拶なのかもしれない。

 黒服は火にかけられた何かの容器の前に座り込んだ。傍で、白い服の女性が眠り込んでいる。彼女もなかなかの長身で、整った顔立ちをしている。


「さてと……自己紹介をしなきゃだな、俺は外津神そとつかみ 千景ちかげ。で、こいつが……おい、起きろ。」

「う、うぅ…ん……寝ていましたか……どうかしましたか? チカ。」


 声色こわいろ、仕草からして、二人は随分と仲が良いようだ。

 それは良い、良いな、とても良い。仲が良いのは良いことだ。


「自己紹介だ。できるだろ?」

「自己紹介? 誰に……!」


 白服がぼんやりとこちらを見て、そして、私を認識するや否や目を見開き両手で口を抑えて震え出した。尋常な様子ではない。

 どうしたのだろう、何か気に障るようなことでもしてしまっただろうか。


「ど、どうも……その」

「チカ! こんな可愛い子をどこから! 私の寝てる間に誘拐してきたのですか?」

「え、あ…」

「誘拐なんて人聞きの悪い…」

「ナイスです!」

「……話を聞け。」


 ああ、なんだ。なるほど……どうやら杞憂だったらしい。このヒトは、凄いヒトだ。完全に自分のペースで生きている。


「ああ、でも、こんなに汚れて……そうだ! チカ、この子を洗ってあげてもいいですか?」

「良いけどなぁ……まあ、そうだな、洗ってやれ。」


 私は洗われるらしい。いつの間にかそういう話の流れになっていた。蚊帳の外だが、拒否する気はない。

 ところで、チカとは黒服のヒト、千景さんの事だろうか? 愛称の類なのだろうか。


「着いてきてください。」

「……はい。」


 白服に付いて歩いて行く。彼女はどうやらここから離れて、階下で私を洗うつもりらしい。

 丁度良いから、愛称かどうかを聞いてみよう。


「あ、あの……」

「…? どうしました?」

「その……チカって、千景さんのことっす、ですか?」

「そうですよ? そうだ! あなたもそう呼んであげたらどうですか?」

「あ、……遠慮しておくっす……」


 反応からして、やはり愛称の類のようだ。

 そして、これは予想だが、かなり親しい間柄でのみ許されるような愛称なのではないだろうか。虎の尾は踏みたくない。私が彼をそう呼ぶことはないだろう。


「そうですか……残念です……」


 彼女は清々しい程にマイペースだ。


「……この辺りでいいですかね……服を脱いでください。」

「…分かりました。」

がさり、ばさっ

「裸の上に一枚だけ…! ああ、いけません。エッチすぎます!」

「……」


 ブレないヒトだ。


「こほん。すみません。取り乱してしまいました。そこの、その、ソファーに座ってください。」

ぎし…ザァァァァ……


 言われた通りに古びたソファーに座ると、なんと驚くべきことか。お湯が頭上から降ってくるではないか。

 何もないように見えた場所から、ざばざばと心地良く降ってくるのだ。


「…あったかい……」


 そして、頭から被った返り血、生乾きの血が流されていく。むせるようで、生臭く、仄かに甘い……いい匂いだ…。


「…乾いてきていますね。石鹸で落ちるでしょうか…?」


 白服が髪を洗ってくれるようだ。優しい手つきで髪を触られて少々くすぐったい。不快ではない。だが、ぞわぞわする。


わしゃわしゃ…

「ああ、落ちますね。良かった…」


 お湯と、血と、石鹸の泡がソファーに染み込んでいく。床は水浸しになり、亀裂からお湯が流れていく。

 ゆっくりと、ぼんやりと。随分と……暖かい……

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