4.街に熱無し狂い無し
草木が人工物を食い破り、足下を小動物が駆けている。ヒトの気配はない。戦闘痕のようなものがそこかしこに見受けられ、飛び散った液体の痕や何かの破片が少数落ちている。しかし、新しそうな痕跡はなく、廃棄街特有の燻りも感じない。
「……あんまりヒトが来てないんすかね…?」
歩いていて分かったが、どうやらこの辺りはアスファルトや建造物の劣化があまり進んでいないようだ。歩き易いのは助かるのだが、廃棄街にしては状態が良すぎる建物が多いのが気になる。
「…やっぱり燻ってない……奇妙っす……」
どうにもわけの分からないことばかりだった。この街に見覚えは無いし、なんと空にすらも見覚えが無い。
見慣れた重煙の空は影も形も無かった。ここにあるのは、暗く、ただ大きな亀裂からのみ光の差す奇妙な空だ。
私はどこから来たのだろうか? 自然に想起される記憶は、意識して思い出そうとしても思い出されぬものだ。無意識を意識する事は難しい。
…カン……カン……カン………カラララララ……
「ヴぅァァ……」
「…!」
取り止めのないことを考えながら歩いていると、不意に何か金属質なものがアスファルトと触れ合う音がした。何者かが近づいてきているようだ。友好的な足取りではなさそうで、そしてどこか不穏な気配だ。ヒトだろうか。あるいは別の何かだろうか。分からない。
逃げるべきか? いや、もし仮に友好的だった場合はあまりに惜しい…。どうしよう、どこかに身を隠して様子を窺うことはできないだろうか。
カィン、カィン、カィン、カィン……
「グァァァア……」
早くどこかに……身を隠さなければ…
「グァ! ア゛ア゛!」
……!
「チチ、キィキィ、キュッ?」
ガィンッ!
「ヴゥア……」
グシャリ、ビチャ…
物音の主はたまたま通りかかった小動物を一瞬にして屠ってしまった。叩き潰され、小動物はもはや原型を保っていない。焼けたような臭いが辺りに漂っている。
危ないところだった。運が良かった。近くに路地がなければ、あの小動物がいなければ、今頃私は発見されて小動物と同じ末路を辿っていただろう。
物音の主はどうやら次の獲物を捜しているようだった。二足歩行を行なってはいるが知性は全くもって感じられない。全身が汚れた灰色の毛で覆われ、口は大きく、濁った黄色い眼をぎょろつかせている。
…なんだか嫌な感じだ。
私は若干の不安感に促されるままに後ずさった。
ばきり
おっと……何か枝のようなものを踏んでしまったようだ。
「グァ……ァ…?」
「……ッスゥー……えー、本日はお日柄もよく…」
『グァギァァァァァァ!!』
フキィィ………ィン
「ぐぇ…」
まずい、まずい。見つかってしまった。耳鳴りがひどい。逃げ道は一つ、土地勘はない。しかし逃走する以外に生き残る手段もない。私は反転し、駆け出した。
……………………………………………
走って走って走って、何度も進路を変えて逃げ続けているが背後の異様な気配が消えない。複雑な地形のおかげでなんとか追いつかれずにいるが、このままではジリ貧だ。
それに、逃げた先が袋小路だった場合を考えずに逃走しているので運が悪ければ逃げ道がなくなってそのまま追いつかれてしまうだろう。
『ギャァァァァァ!!』
フキィィ……ィン
「うるっ…さいっすねぇ! 頭が軋むんすよ! それ!」
ああ、頭が痛い。ぎしぎしと頭蓋が痛み、視界が揺れる。
「んっ、もぅ!」
「グギャ、『ギャォォォン!!』グァァ」
フキィィ…ィン
「うー…何なんすか本当に! 費用対効果が見合ってねぇっすよ!」
右…はよく見えないが多分壁、左は崩れて進めない、直進するしかないか……直線速度で負けているからできれば直進はしたくないのだが、しょうがない。
『ギャォォォォン!』
フキィィィン
「うぐ…」
『ギャォォォォォォォン!!!』
フキィィ…ィィン
「うぷ……」
何度も何度も咆哮を喰らい、頭痛と共に吐き気がする。頭の中が反響しているようで、何か致命的なダメージを受けているように感じる。このまま逃げ続けることはできないということがはっきりとしたが、ではどうしたら良いというのだ? 反撃でもするのか? 素手の童女が?
『ギャォォォォ…ォォォン!!!』
フキィィィ……ィィィン
「ひどい耳鳴り……いてぇっす……流石にこれ以上は…」
頭が割れそうだ。側頭部がずくずく痛む。ぐらぐら揺れているような、そんな感覚。
『ギャォォォォ! ギャァアア!!』
「い゛っ」
ぱちり、と思考にスパークが散る。足がもつれた。転びはしないがおぼつかない足取り。視界が真っ白になって、すぐに戻った。涙がぼろぼろと零れ落ちている。これ以上は耐えることができそうにない。こうなれば、もう……
「徹底抗戦…」
フギィィィぃぃンッ!!
私は手頃な配管を掴み取り、捻じ切りながら反転し、獣と相対した。
捻じ切ったときに大きな音が鳴ったが、獣は私を脅威と見做してはいないらしい。こちらが構えているのに構わず直進を続けている。
「当たり前っすね。そりゃ。」
私? そりゃもうガクブルよ。
「グァァァ!」
どうやら相手の射程に入ったようだ。獣は大きく体をしならせ、攻撃の態勢に入った。勢いのある、きっと確殺の威力を持つ攻撃。対する私は鉄パイプ一本。防御は不可能。
「グャァ!」
獣が
両腕を振り上げ
私に――
ずしゃり
→
「グルァ…」
獣が一匹、群れを追い出され、生殖能力すらも喪った死に損ないが、街の似姿をただ歩いていた。
本来ならば獲物を狩ることもなく、誉ある餓死を選ぶのがその種の本能。しかし、その身は蟲に侵されて、最早獣の物ではない。
カィン、カィン、カィン、カィン……
「グァァァア……」
獣の濁った眼に小さな生き物が映った。取るに足らない、貧弱ですぐに死ぬ生き物だ。
「グァ! ア゛ア゛!」
獣は元々捕食者だ。槌のように重たく発達した指は獲物を叩き潰すのに適し、獣の貧弱な顎はペースト状の物を食べるのに向いている。
「チチ、キィキィ、キュッ?」
ガィンッ!
「ヴゥア……」
グシャリ、ビチャ…
哀れな小動物は多くの例に漏れず叩き潰された。しかし獣はそれに目もくれず辺りを見回し――
ばきり
――音がした。
「グァ……ァ…?」
「……ッスゥー……えー、本日はお日柄もよく…」
音の主は銀髪の少女。獣が何を思ったか、それとも蟲の意向だろうか? それは定かではない。しかし、獣は咆哮し、
『グァギァァァァァァ!!』
「ぐぇ…」
逃げ出した少女を追いかけたのだった。
←
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます