2.臓腑喰ろうて光の導

「…!」


 目が覚めた。どうやら、昨日の状況は夢ではなかったようだ。


ぐぅぅ~……

「おなか…すいた…」


 空腹に耐えかねて残骸から出ると、冷たく刺すような空気が私を出迎えた。

 残骸から漏れ出る液体は完全に凍り付き、昨晩の冷え込みを物語っている。昨晩凍死せずに済んだのは幸運だったと言えるだろう。

 とりあえず、辺りに食べられそうなものがないか探そう。


 辺りにあるものは昨日と変わった様子がなく、ヒトの気配はおろか、私以外に動物の気配もない。

 見たところ雑草は全て同じもので、実はなっていないようだった。雑草とコケは食べられるものだろうか?

 雑草の葉をちぎり取り、匂いを嗅いでみる。


すんすん

「……?」


 よくわからない。指で擦ってみたが、何かおかしな匂いが発生することはなかった。

 食べても大丈夫だろうか? 安易かもしれないが、それ以外にできることはなさそうだ。


「……いただきます……」

もぐもぐ……ごくん


 口に入れてまず感じたのは強い苦味と青臭さ。噛んでから少しすると舌が痺れるような感じがした。もう飲み込んでしまったので後の祭りだが、もしかしたら毒があったのかもしれない。とりあえず、もう食べるべきではないだろう。

 では、コケはどうだろうか。


バチッ

「にゃぁ!」


 手を触れようとすると、放電した。なんだこのコケは。


「た、食べられそうにないっすね。」


 指先が痛んで、焦げ臭い。強電流だ。そんなものを放ってくるなんて、一体どうしてそれを獲得するに至ったのだろう。


「くわばら、くぁはら、へ?」


 私は独り言を呟いた。違和感があった。舌がもつれた? 何かがおかしい。視界がぐらりと揺れて、身体が、動かなく――!


ばたり

「あうあうあー」


 電流によるものではないだろう。雑草には毒があった。きっとそれが原因だ。感覚はあるが身体が操作を受け付けない。


ぴくっ、ぴくぴくっ


 体は軽く痙攣するのみ。それ以外に何も反応を示さない。こうなってしまっては毒が抜けるのを待つしかないだろう。


……………………………………………


 どれだけ経った? 体は動くようになったが、もうかなり時間が経ってしまったようだった。

 完全に陽が落ちてしまっていて、放電するコケが辺りを照らしている。


「さむい……おなか……すいた………」

ぐちゃ


 残骸に潜り込み、目を瞑る。体力を消耗したこの体で、果たして明日を迎えられるだろうか。不安だ。


ぐぅぅ……

「………」

ぷるぷるぷるぷる…


 寒さか、あるいは恐怖によって体が震える。音のない破滅がすぐ近くまで近づいてきているような気がする。“私”という存在が失われてしまうことが堪らなく怖い。


パチッ、ジジジ…


 静寂の中、コケが発したのだろう音が聴こえた。彼らも、また生命だ。やはり、生きるのに必死なのだろうか……他の生物も、この、残骸だって…必死だったのだろうか…? 私は……

 ……いや、迷っちゃいけない。迷えば、死ぬのみ。


「…つら……。…ふわ……?」


 見知った誰かが、抱きしめてくれたような気がした。緊張が解け……



 §D1.2


 私は目を覚ました。ベンチから降り、また同じように歩き始める。


 歩くうちに、病的な明かりが弱まってきた。切れかかった蛍光灯のように、ちかちかと点滅している。


 暗く、暗く、沈むように前進する。


 柔らかな光が辺りを舞っている。


Mundu eftir okkur


 光は何か模様のようなものを形作った。


Ricordati di noi

Να μας θυμάσαι

Erinnert euch an uns

Kom ihåg oss

Помни нас


 前進する。


تذكرنا

Ingat kami

우리를 기억

memento nos

记住我们


 光を突き抜けるようにして、前に進む。


Remember us


 前方に、何者かが私に背を向ける形で立っている。


わたしたちをわすれないで


 隔てるような薄い“霧”を抜けると、その者がこちらに相対した。

 その者は銀に鈍く光るのっぺりとした仮面をつけていて、身の丈に合わぬ長大な剣を逆手に持っていた。


『――――!!!』


 その者は身を捩り、音のない咆哮を上げた。


 そして、次の瞬間には剣を振るい、私の体を上下に断割していた。許容量を超えた痛みに私は意識を手放し――


……………………………………………


 目が覚めた。


ぱりぱりぱり…


 どうやら、全身に薄氷が張っているようだった。私の体はどうなっているのだろうか。著しい体温低下に耐えるなど普通ヒトの肉体では不可能だ。


「ひもじい……」


 下がり切った体温は上がる気配がない。

 どうしようか。本格的に食料が不足している。外の雑草で腹を満たそうものなら恐らく死ぬだろう……他に食べられそうなものは何かないか? このままでは低体温で死んでしまうだろう……多分。極寒の中生き残ったらしい形跡があるので、低温に強いという可能性もあるが……それに賭ける気にはならない。


「なにか……ん、ぁぁ……?」


 問題はそれ以外にもある。思考がうまくまとまらないのだ。栄養が足りていないのだろう。早急に何かを食べなければ。


「うるせー……」


 あぁ、ひどい耳鳴りがする。視界は色を失い、脳が軋んでいる。


ぐちゃり


 あまりの煩わしさに身を捩ると、私を包んでいるぶよぶよが音を立てた。


「…ぅあ、あ、あぁぁあ……!」


 灰色に見えるその物体が何か理解するまでにしばらくかかった。そう、そうだ。緋色だ! 身体の中身、何度見たかも分からぬ色だ!


ぐちゃっ、びちゃ、ずるずる


 残骸の、溶け出した臓物を啜る。今までに感じたことのない、むせ返るようなねっとりとした甘みも、私の食欲を妨げることはなかった。


ぐじゅ、じゅる、ずずず

「んぁぁ…ふぅ……げほっ……んふ…」


 獣のように臓物を喰い散らかした。私の体積を明らかに超えているのにも関わらず、残骸の中身はほとんどなくなったようだった。


「う、あ……」


 色覚は既に回復していた。残骸の胸腔にオレンジ色の脈動する物体が残っている。制御できない強い衝動のまま、私はそれに食らいついた。


もぐもぐ……ごくん

「――!?!?!」


 飲み込んだ瞬間、腹部が異常に熱くなった。次に手足が異常に震え、そして全身が激しく痙攣した。しゃわしゃわと音が聴こえる。痛い、痛い! 素晴らしい誰だお前は! 素晴らしい助けて! 素晴らしい消えたくない


「ぁぁぁぁぁああ?! あっああ! ふぁぁ…んぁっ、あ、あ゛っえ、えぁぁあ! あっ、あっ、」


 今まで感じたことがないほどの頭痛と、熱狂的な高揚感。こうも常軌を逸した感覚に晒されるとおかしくなってしまいそうだ。








 閃光が目を灼いた。全身をぐちゃぐちゃにして適当に戻したみたいな感じがする。気持ち悪い。おかしくなりそう。血のような味がする。何かが焼けるようなにおいがする。脳みそをかき回されている気がする。吐きたい。吐けない。痛い。叫びたい。口はどこだ。視界が歪んでいく。恐怖を感じる。ここはどこ。苦しい。名状しがたいものが見える。おかしな音が聞こえる。怖い。感覚が戻る。変なにおいがする。あああ…。崩れて、戻される。痛い。息ができない。かき混ぜられる。…は何。私は誰。自分は……。暗く…暗く…暗く…。…は自分だ。私は…だ。沈んで行く…。深く…深く…深く…。既視感。あぁ…そうか……そうだった……



 →?



 ������

 寂しいな…。

 私は██

 ――全て知っています。

 報告書12番は喪失されました。

 暗く、暗く、なお暗く…。

 みんなが私からこぼれていく。

 契約は反故にされたままです。

 ██は献身した。大き過ぎる犠牲はない。

 ワタシは――

 どうしてこんなことに…。

 果たして何度繰り返せば気が済むのだろうか。



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